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マインドフルネス瞑想してみたら〜今の自分のフェーズに合うものをチョイスする〜


今年に入ってからマインドフルネス瞑想を毎朝、またはやれるときに適宜するようになりました。


瞑想がいい、という本ややり方はいろいろなところで紹介されているので、10年以上前くらいにいろんな本を読んだり、ワークに参加していた時期がありました。


あんまり現実は変わらないなあ、やらないよりはいいのかなあ??くらいでやったりやめたりしているうち、ここ3.4年は全くやらなくなっていました。


そして、その頃の私はどれほど自分を抑圧して長年生きてきたか、に本当には気づいていない時期でした。


そして、そのあと自分の抑圧してきたものの大きさに気づいてから、昨年くらいまでは動く瞑想やボディワークをよくした時期がありました。


それらを体験したことにより、大きく動いて内側にあるものを出し、ある程度心身がスッキリしてからじゃないと、溜めてきたものがありすぎで、座ってもあまり効果を感じられなかったんだ、と気づきました。



座っても表面が薄ら凪になっているだけで、何かをきっかけに内側の渦が押し上げてきたならば、凪なんてひとたまりもなく嵐になっていたのだろう、と。


それまでの私は実際に他人と嵐になるのではなく、他人の態度や言動で簡単に傷つき落ちこんだり、承認されようと無意識に頑張り認められれば安堵し、認められなければさらに自信を失うような、自分という輪郭が脆弱な状態でした。


カウンセリングやセラピーを受け学び、抑圧してきた蓋が外れてきたら、今度は本当に他人に思ったことをズバリ言ってしまう時期があり、実際現実的に人と揉めることが出てきました。


私を見下してきた身内にやり返すということなどをしたものですから、当然問題が勃発し、関係を破壊した時期でした。


そのうち、一時期的にスッキリしたところでこれは私の本望ではないなと感じたり、言い返さなくてもいい、自分をわかってもらう必要性をそれほど感じない、などといろいろやらかした時期を経て、フェーズが少しずつ少しずつ変わっていったように感じます。


ただ、今思うと、私はあらゆる経験を積みたかったんだ、思います。


言いたいことを言わずに我慢ばかりする経験。
ズバリ言ってしまう経験。
見下される経験。
見下す経験。
自分を卑下ばかりする経験。
調子にのる経験。


ズバリ言うのも、調子にのるのも、見下すのも、一瞬の泡のような快楽であり、長くみると気持ちのいいものではない、とやってみればこそ分かったので、やる必要がないと思えました。


そのようなそれまでとは違う自分を経験したあと、マインドフルネス瞑想をしたら、思考が鎮まり、落ち着ける、気持ちが良いものだ、と思えるようになっていました。


疲れていたり、焦りやモヤモヤするときに座ると、明らかに疲れが軽減され、思考が整理されるような感覚を体感しました。


いわゆる、マインドフルネス瞑想がいいですよ、と言われるのはこういうことなんだろう、と。


今日は何がいいたいかと言うと、自分のそのときのフェーズに合ったものをチョイスする、ということの大切さです。


なんでもそうですが、例えば脂肪や筋肉がたくさんある人のダイエットが、ただ単に水太りやむくみで太ってみえる人と同じ運動や食事をしても効果が薄いように、今の自分の状態を適切に知る、が何より大切だと感じます。


そうでないと人と同じことをしても、その人に効果はあっても自分には効果がない、ということになるので。


自分の状態を適切に知り、どんなことも今の自分に相応しいものを適切に与えられると、人生の質が良くなると思います。


今日もお読みいただきありがとうございます。

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