見出し画像

ネガティブなことは自分を成長させる種になる。

私の自我の輪郭がはっきりしてきたからか、と気づいたことがあり書いています。


先日夜、夫の友人と私たち夫婦と会食をしました。

その方が今お住まいの土地に私たちが旅行に来ているからで、私は初対面でした。


が、夫の友人は私に、

「久しぶりです。」

ともごもごっと言いました。

初めてお会いするのにも関わらず、私とは挨拶もほとんどなく夫とばかり話しをはじめました。


何か違和感を感じていました。


「自分がこっちにくるときに、〇〇でしたよね?」など、以前のことを当然私も知っているかのように話すので、私はハッと気づきました。


「もしかしたら、私のことを夫の前の奥さまと間違えているかもしれません(笑)」


と単刀直入に言うと、



「あっ!そう言えば、何か雰囲気が前と違うと思ってました!」



「こんな知的な感じの人だったっけ??と」



すべては夫の情報連絡不足であり、彼は何も悪くありません。


そこから事情を話し、一気に打ち解け、夜遅くまで笑い転げて楽しい時間を過ごしました。


が、再婚当初の私は、似たようなことがあるたび傷ついたり、連絡不足の夫に怒ってみたり、夫が逆ギレしてケンカになったり、無駄にエネルギーと時間を費やしていました。


夫の前の奥さまと私が比較の対象になったり、自分でも比較してしまったりする心模様に、嫌気がさすことがありました。


今は、私には私の人生があり、夫には夫の人生が
あり、そこに良いも悪いもなく、過去にあったお互いのあらゆることを受け入れることが、自己探求のおかげで自然にできるようになっていました。

私とは全く違う価値観で、全く違う生き方をしている女性だとしても、以前の奥さまの気持ちを理解しようとすれば理解でき、共感できるところがあるだろうな、と思えました。


何とうか、私はしない、という行動をする方であっても、同性という物理的に同じ性を持つものならば、理解できるのではないか、とどこかで思っている自分を感じました。


そこから私は、私自身はしない、というようなことをする女性の心理状態はどうなっているのか、どういう欠乏感がそこにあるのかに興味を持って探求し、そのことが私自身を成長させたと感じます。



それは自我の輪郭をはっきりさせる学びをしてきたことと、ネガティブなことが起きるほど、自我の成長を促進させられることが関係しているのではないかと感じています。


今回は、何がいいたいかと言うと、自我の輪郭がはっきりとしてくることの同義語である、境界線ができてくると、それまでの私が拒絶してきたような生き方の人でさえ、ある程度理解できる、と感じます。


自分を肯定できる分だけ、他者も肯定できるようになるとも言えますし、そのように成長せざる得ないのは、ネガティブな現実が目の前に現ればこそ、と思えます。


ネガティブな現実に逃げずにどう対処していくか、その対処方法が成長の鍵を握っている、と感じます。


今、ネガティブな現実を多く感じている方ほど、成長の芽の機会がたくさんあるチャンスと捉え、希望を持って進んでいけるよう、心からお祈りしています。

お読みいただき、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?