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龍神考(10) ー龍神の引き寄せー

令和6年甲辰2月3日の天気

「龍神考(9)」では雨の大切さに触れ、私たち誰にも内在する「霊」に関して、旧字「靈」は「巫」が「口」から神聖な言葉を唱えて「雨」を請い願う姿、または実際に「雨」が降る現象だという旨を述べていましたが、今年の節分祭当日、2月3日の天気は私が住む福岡は曇りのち雨の予報で、しかも次第に雨が降り出す時間帯が徐々に早まっていたので、お祭りが終わるまで何とかお天気が保てば…、とついつい思ってしまっていたのも確かです。
 何度も天気予報をチェックしていたので記憶が混同しているかもしれませんが、前々日ぐらいの予報では降雨は日没後くらいからだったと思いますが、前日の予報では15時や16時ころから雨マークになっていました。
「この調子では明日の雨は止むなしだろう」と思い、また「天気の悪口を言うたらイカン」と伯母が生前口癖のように言っていたことも思い出し、それらもきっかけとなって「龍神考(9)」を書いた訳です。
 ところが2月3日当日になると降雨はもっと早まり、例えば前回取り上げた博多の東長寺で最初の豆まきが始まる10時かその少し前くらいには、ポツリポツリと雨滴を感じた人もいたようでした。
 そしてほぼ終日雨となり、「本降り」のような時も何度かありましたが、それは短時間で終わり、たいていは傘なしでも凌ぐことができるような雨で済みました。
 結果的に今年甲辰の節分は朝から、水神でもある龍神様の雨の恵みを受け続ける一日となりました。少なくとも私が当日いた博多はそのような一日でした。

儀式化された慈雨

 このような穏やかな雨は「慈雨」と言うこともできるでしょう。「慈雨」は信仰の実践における重要な体験で、神道や仏教でも儀式化されています。
 神社の祭典が始まる前に神職や参列者らのお祓いをする修祓(しゅばつ)では、木の棒に麻や紙垂を付けた大麻(おおぬさ)を振りますが、特に重要なお祭りでは塩湯(えんとう)を榊の葉で振りかけることが行なわれます。
 また、大きな釜で塩湯を沸かしてそれを笹束で境内や参列者らに振りかけること自体が目的の神事もあります。

 これらと本質的に通底する儀式が仏教では灌頂(かんじょう)でしょう。「かんじょう」と入力して表示される漢字の選択肢で「灌頂」にカーソルを合わせると、仏教用語としての「灌頂」の意味が複数見えましたので覗いてみますと、いずれも頭頂や墓の上(頂)に水を注ぐことを謂います。
 仏教の灌頂はお釈迦様が悟りを開かれた時にその後背から複数の蛇神が登場して守護したことに由来するとされるのでしょうが、神道、仏教の違いを超えた真理がここにはあります。

 人が悟りを開くとまではいかなくとも、神仏の意に沿うことを実際に行なう時や行なうための行動を起こそうとする時などには急に風が吹いたり、小雨や天気雨のようにほんのわずかな雨が降ることがあります。
 これは「たまたま」でも「考え過ぎ」でもありません。このような神仏と人間の感応現象は、過去20年近く各地の神社やお寺のお祭りなどを拝観してきた中で度々目にしてきています。

神事と天気

 比較的最近の体験で最も感動的だったのは、一昨年の7月15日に博多総鎮守櫛田神社の博多祇園山笠のクライマックスである追い山笠を拝観した時でした。
 楼門の近くの御神木の櫛田の銀杏のそばで追い山笠の始まりを待っていた私には本殿で午前3時に始まった祭典の様子は窺い知れませんでしたが、しばらくすると雨が降り出しました。時間的には祭典の後半か終了後のことだったのではないかと思います。それから楼門や御神木の辺りは追い山笠の開始に向けた喧騒に包まれていきましたが、雨は厳かに降り続け、スタート地点で待機していた一番山笠の指揮を執る「台上がり」の目を閉じた神妙な面持ちが印象的でした。
 やがて追い山笠が始まり、一番山笠から二番、三番…と出走していきましたが、雨は止まず、最後の八番山笠も街中に繰り出して行きました。
 その後も雨は降り続けましたが、追い山笠の締めくくりに境内の能舞台で神慮を鎮める「鎮め能」が終わる頃に雨も止みました。
 博多祇園山笠は鎌倉時代の禅僧で臨済宗東福寺派の開祖、聖一国師(円爾)が、宋から帰国した直後の博多で疫病が蔓延していたので、施餓鬼棚に担がれて祈祷水を街中に撒いていって疫病を鎮めたことが起源とされています。
 これが史実かどうかの議論はさておき、コロナ禍を経て再開された追い山笠の間ずっと降り続いた厳かな雨が私の中では聖一国師の祈祷水に重なり、神仏と人間との感応ということを思わずにいられませんでした。




 もう何年前のことか忘れてしまいましたが、太宰府天満宮で秋分の日前後に執り行なわれる神幸式大祭で、御祭神の菅原道真公が生前お住まいだった地にある榎社から天満宮の本殿に御神輿が還御されるお上りの儀を拝観に行きましたが、当日は大雨で、私が榎社に到着した時に目にしたお祭りの関係者たちはずぶ濡れでした。ところが、実際にお上りの儀が始まるタイミングで、それまでの大雨がまるで嘘のように止んだのです。
 これが何か神慮によるものと見做すかどうかは人それぞれでしょうが、御神輿のお上りの儀が始まるタイミングでの見事な天気の切り替わりに、むしろ「何か」を感じない人の方が少ないのではないかと思われました。

 絶妙なタイミングでの天気の変化というのはほんの一瞬の短いことである場合もあり、むしろその短さゆえに「何か」を感じさせる時があります。
 2019年に春日大社の一般崇敬者を対象とした研修旅行で太宰府天満宮を参拝した際のこと。参加者一同が拝殿に昇殿し、玉串を捧げる花山院弘匡宮司に合わせて一同が二礼二拍手一礼の作法で拝礼が済んだ瞬間、それまで曇天だったのが急に境内に陽光が差し込んだのを、最後列にいた私を含む参列者ら数名も気付きました。この晴れ間はそう長く続きませんでしたが、そのピンポイント性にむしろ「何か」を感じさせるものがありました。
 
 このような神仏との感応は個人レベルでも起きます。福岡市内のある小さな神社の再興に尽力し続けた知人の話ですが、その神社の関係者らと一緒に熊本のやはり龍神を祀る神社に向かう途中で急にほんの一瞬だけ、パラパラッと雨が降ったとのことでした。類似の現象を他の社寺で何度も目撃してきた私は、知人の話に疑いを抱くどころか、前述の神道祭祀で塩湯を榊の葉で三回振りかけるお祓いを思い出した次第です。
 この方は龍神信仰も篤い人でしたが、惜しくも一昨年の春分の日に70代でお亡くなりになりました。この日は神社では春季皇霊祭が行なわれたり、仏教的には春の彼岸の中日に当たるなど、祖霊と繋がり易い日です。
 龍神は神仏と人を繋ぐ存在であると云われることや、龍の目が祖霊も含む死霊である鬼の目と考えられたことを知り、「魂」とは「鬼(祖霊)が云うこと」つまり「祖霊から託された課題」であることに思い及んだ今、改めてこの方の遺徳の高さが偲ばれます。70代での他界は早過ぎる感がありますが、地元の神社の再興に尽力し続け、「祖霊から託された課題」=「魂」を全うされたからこそ、祖霊と繋がり易い春分の日に天に召されたのだろうかとも想像しました。

龍神=水神と「引き寄せ」

 神仏への信仰の実践において節目節目での天気の変化や人の生死も含むさまざまな出来事は、いわゆる「ご縁」によるものとも解釈されてきました。
 この「ご縁」をことを、現代のいわゆるスピリチュアル界隈では「引き寄せ」と呼んでいるのだろうと思います。
 ある人に起こるさまざまな出来事は、その人の思念や言行が「機縁」となって「引き寄せ」られるもの、とも言うことができるでしょう。
 この「引き寄せ」には自然界の中で水という要素が大きく関係しているという説に最近触れました。その詳細は長くなるので後日にしますが、「水という要素」を水神と言い換えると、水神でもある龍神が神仏と人との縁を繋ぐ存在であるとする考え方にも符合してとても興味深いものがあります。
 
 終日「慈雨」に恵まれた博多の東長寺で節分祭も終わりに近づいていた頃、福引所で幼稚園児の女の子が「鬼さんと写真撮った」と嬉しそうに話す声が聞こえました。福引所の方から「鬼さん怖くなかった?」と訊かれると、「中は人間だから怖くなかった」と答えました。
 するとすかさず父親がその子の胸を指して「鬼は心の中にいる」、それから自分自身の胸や他の人たちにも指差して「誰の中にも鬼がいる」、そしてまた娘の顔を見ながら「心が悪くなると鬼になる」と教え諭しました。
 この会話が、その日の未明に投稿した「龍神考(9)」の内容と相通じるものであることはお読みいただければ分かると思いますが、記事を投稿したその日のうちに記事で述べていた内容を見知らぬ親子の会話を通して耳にするとは、「ご縁」や「引き寄せ」というものがあると確信してはいても、やはり驚きを禁じ得ませんでした。
 
 

 

 


 
 
 

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