衣食住がとても好きです。 洋服に関しては、誰からも指図を受けたくないので、家族であっても他人にはほとんど買ってもらわない。買ってもらってもありがたく保存するに留まる。 食事は、我が家(実家)は全員食べることが好きだというのもありこだわりがそれぞれ強いと思う。好き嫌いがあるわけではなく(私もまったくない)、「これが食べたい」という食い意地みたいなものだ。がめついな(笑) 「台所は女の城」と云うように、専業主婦である母には、唯一の表現の場が台所だった。私も、幼い頃のお手伝い
【立ち読み記録】 精神科医 Pocheさんの「がんばるのをやめたらうまくいった」を立ち読みしました。 Pocheさんは以前からツイッター(X)でフォローしていて、とても優しい言葉や心づかいだなと思っていたのですが、今回は読みやすそうな表紙にもつられ手に取りました:-) ・「帰りたくないなら、実家には帰らなくていい」「(実家が)帰りたい場所じゃなかった、というだけ」…私も、物心ついた頃(もしくは思春期頃)から、友達の家にばかり行って夜遅くまで帰ってこなかったり、泊まりに行っ
どうにも不安定な日々だけど、いつでも、感じることはたしかにある。 子どもを笑わせたいこと、好きな食べ物には無言で手が伸びること、花や草木の気持ちよさ。それが私を作るのかもしれない。
「スマホ脳」という本を頭のほう読み、やはりどんなことも体感が信じるべき唯一のものだと思い直しました★ 私も思うところあり、ガラケーに替えようと策していたので、更新も減るかも。脳を休めます~~👐🍀
「かわいい」や「かっこいい」って、何なんだろうなと思うときがある、その人の価値観や考えでしかなくて、それは押し付けられるべきものではなく。自分の感じたかっこよさ、かわいさが何よりも優先され、尊重するべきだと感じました!
街が静か っていいなぁ 誰の声も聴こえない 自分の本当がよく見えて聴こえる、 落ち着く、心のスペース。 やっぱり夜は 一人がいいなぁ
姉の恋愛を成就させたい 相手もどう思ってるかわからないけど 15年くらいになるんじゃないかこの片想いは… 少なくとも、私が架け橋になれそうなことは確かだ しかし近くにいると何もできない 私の居場所は、やっぱりここじゃない。
まるごと愛する 私にはいつも味方でいてくれる優しい友人たちがいる その人たちはいつも、自分を愛することを説いていて 私にはなんのことかさっぱりわからなかったけど 今なら、(その友たちと話したときのようにやさしく、柔らかい気持ちを感じたあの場所への旅を経て、) 少しだけ、わかるようになった。 どんなときも自分は味方なのだと たとえば周りにダメだとか気持ちが悪いとか言われることを過去にしたのならば、その自分をもまるごと愛する それをできるのは、世界でたった一人、自分自身だけ
韓国エッセイを試し読みして、あぁ、そういう人もいるんだ、同じような気持ちを持ってていいんだ、と思えた。別の記事だけど「(他人ではなく)自分のための笑顔を」という言葉、染みたな
都市になくて田舎にあるのは何かと思ってたけど、曲線だったと…。自然の曲線美を見たい
気づいたら3Gが4G、4Gが5G…と、社会の情報スピードが、そしてそれに伴って人々の足並みやコミュニケーションのスピードが、ますます速くなっている。 「どうしてそんなもの作ってしまったのか……」と、私はいま素直に思っている。 連絡手段としてのチャット、私は最近とても苦手だ。 見えそうで見えないそのやり取りのためのルールが、今の自分には向いていないようだ。 家族とたまにメールや、写真共有ツール内でやり取りすることがある。電話やその他を使うこともあるけど、特に必要のない話は、
実家のほうれん草がとっても甘くて、柔らかくて美味しかった、、野菜をもっと食べたい!って思ってその後も もりもり食べた(笑) 無意識に手が進むものっていうのは、あるんだなぁとしみじみ
他人に共感したり、受け入れようとしすぎた結果、「自分」がわからなくなってしまったよう。旅が必要だね( ^^)✈
以前住み込み先で誰かに手紙を書きたいなと思って入った郵便局で、"自分に宛てて、手紙を送りませんか?"というのを目にして、それだ!と思い、自宅に送りました。「確かにそこにいた証拠」や、時間がつながっているんだという感覚、そして、それを書いているときの気持ちは本当に楽しかった!✌
いつでも歌いながら、らくがきをしながら、ふよふよと漂っていける。 そんな器用な人間に、私はなりたい。 私の「好きなこと」は、取るに足らなくて、いつも力強くて声の大きいものに、覆われる。 私はそれが仕方のないことで、諦めざるを得ないことで、誰とも共感されないものだと思っていた。 でも、旅をして、色々な人に会って、話を聞いて、優しさを与えてもらった。 感じることを大事にしていていいんだと、そしてそれは自分にしか拾うことができなくて、表現しなければ、誰もわかってはくれないこと
文章を考えたり書き起こすのが好きですが、最近、自筆の縦書きの文章と、横書きでの文章では、まったく書く時の心持ちが違うことに気づきました。とてーも面白い・・・( ゚Д゚) 言うなれば、横は詩的で縦は誠の心。 日本語(文字)の流れや書き方が、たぶん縦だとつながりやすいんだろうなあ。