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オヤジの思ひ出話~第59話「交代勤務と自宅待機」

新型コロナウイルスが蔓延し、政府が緊急事態宣言を発令した2020年。当時、新聞社に勤務中だった私の職場(営業部門)でも、感染防止対策として交代勤務が取り入れられました。

部署の社員を2班に分け、2日勤務→2日自宅待機というローテーションを組んだのです(日曜日は当番以外は休み)。自宅待機といっても、テレワークができる仕事ではないので、事実上の休日となりました。

勤務日は社員が半減してしまいますが、新型コロナでイベント等が一切なくなり、加えて広告依頼は激減しており、忙しさに追われるということは全くありませんでしたね(苦笑)

それよりも、自宅待機日の方が中途半端でとてもきつかったです。休暇日ではないので、会社やクライアントからの電話連絡には対応しなければなりません。給料をもらっているので仕方ありませんが・・・

ただ、そんなに頻繁に連絡があるはずもなく、とどのつまりは自宅にカンヅメ状態になるだけ。買い物くらいは許可されていますが、遠出はもちろん、遊び歩くこともできません。

給料の方は、自宅待機日が出勤日と認定されるため、カットされませんでした。まあ、欠勤扱いするようなら命令を無視してでもムリヤリ出勤していたでしょうけどね。

そんなわけで5月1日からスタートし、最初のうちは手付かずだった物置の片付けや旅行で撮りためたフィルムの整理に時間を費やしました。ただ、それだって何日もかかるような作業ではありません。

あとはブログを書いたり、読書をしたりしながら、何とか暇つぶしをするという日々。ちなみに歴史ブログ「思い入れ歴史・人物伝」を始めたのもこの時期からでした。

週によっては、出勤日が水・木曜しかないということもあり、これまで30数年間、休みが取れなかった身には戸惑うことばかり。リズムも狂って、メンタルに変調をきたすようになりました。

振り返れば、この年の8月に退職の意思を固め、9月に行動を起こし始めているわけですが、定年退職から早期退職に心が傾いてきたのは自宅待機のこの頃だったような気もしています。

この措置は6月も続きましたが、月半ばになってくると季節的な仕事が入ってきて忙しくなり、事実上なし崩し状態になりました。結果、7月からは通常の勤務体制に戻ったわけです。

ちなみに、交代勤務を実施したのは営業部門のみで、編集部門はずっと通常勤務のままで変わらず、支局は人数が少ないので交代勤務などできるはずなし。なんとも中途半端な感染防止策だったとさ。


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noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!