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「NOT LEGEND」OZROSAURUS(2023)

 邦ロックにいる文系ど真ん中タイプのミュージシャンが、HIPHOPにはいないのはなぜだろう。言葉の情報量で言えばHIPHOPは文系と馴染みそうなものだけれど、実際は馴染まない。それはロック以上に差別と偏見をガソリンにしてきたHIPHOPのルーツがあるからかもしれない。ロックがここではないどこかへ、遠くへ、というロマンチックやファンタジーを持つのに対して、ヒップホップはこの厳しい現実をどうにかしなくではいけないというリアルな切迫感を持つ。他意無く言えば、空想をラッパーは必要としない。「ただの息の仕方」。

 そして彼らは、文系だの理系だのそういうハブを信じていない。教育を信じていない。その延長にある実績とヒエラルキーで作られているドライな世界に彼らは魅力を感じない。その世界には自分の価値観に沿って生きているという手応えは存在しないからだ。「除け者な俺」。
 個人的に学歴マウントなど取る人間ほど下品で低俗な人種はいないと思っているが、結局それも自分のコンプレックスの裏返しなのである。ヒップホッパーはアカデミックに中指立てるどころか、ただただ無関心なのだ。知識や権力を何も感じずにゴミ箱にポイっとできる。

 長いものに巻かれない、どこ行ってもアウェイな強い「個」なのである。平たく言えば、育ちが悪い。
 「君はやさしいから貰えなかったものをあげれる」このようなリリックは親の健康的な愛情を注がれた人間からは生まれないし、貰う事しか考える事ができない弱いままの人間からも生まれない。自身の暗い部分をアートに昇華する事は、誰かの傷を癒す事につながる。まるで1対1の対話のセラピーのようなアルバムだ。


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