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現在50代半ば。離婚後、街行く熟年夫婦に第二の人生と伴侶について重ね合わせました。再婚…

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現在50代半ば。離婚後、街行く熟年夫婦に第二の人生と伴侶について重ね合わせました。再婚ということで、周囲に内緒で婚活・マッチングアプリでの再婚活を選択。同じく離婚歴のある二つ年上の今の主人とアプリでめぐり逢い、幸せに暮らしています。再婚活や、より良い熟年期に向けての話を綴ります。

最近の記事

運転を見てください。

免許取り立ての私の運転を見てほしいと言ったあとの、 菅野くんの反応については、その時、多分どきどきで胸がいっぱいだったせいか、菅野くんの反応が薄かったのか、年月のせいか、、その全部か、あまりよく覚えていないのですが、とりあえずOKではありました。 そして、次の土曜日の午後13時に彼の最寄りの駅のロータリーのところに私の祖父の車に乗って集合し、そこからドライブが始まりました。 確か、音楽はかけてなかった気がします。かける余裕なんかなかったろうし。 私は運転を見てもらいたいと

    • 日帰り温泉へのドライブ

      それからというもの、菅野くんのまるで春の陽だまりのような笑顔が、仕事中ふとした時に蘇ってきて、私の邪魔をしていました。 それでも、米ちゃんの時のような、あのドキドキ感はまるでなかったんです。ただ、思い出すたびに穏やかな心地よい気持ちが続いていました。  数週間後、えっちゃんから、今度は、「玉川くんから、みんなでドライブに行かないかと誘われた。」と連絡がきました。日帰り温泉へのドライブ。先日のクリスマスイブに集まった8人で、男性グループ二人の車二台に四人ずつ分乗しました。 玉川

      • 仕事は毎日楽しかったけれど

        楽しかったシアトルでのホームステイも終わり、帰国して、いよいよ就職活動。 貿易関係の仕事に就きたかった私は、船会社に就職が決まりました。その頃は、バブルがはじけた直後の頃。まだ、当時ははじけたとはいっても、バブル期のきらきらしたムードが残っていました。 外国の商船の仕事で、営業部に配属となった私は、毎日たくさんの電話を受けていました。商船の会社なので、お客さんは船会社に船のスペースをブッキングしてきます。船荷証券というお客さんの荷物の情報が載った有価の預かり票を発行する仕事も

        • Ichiroという名の素晴らしい選手がまだそこに居なかったころ

          専門学校の授業の一環として、語学研修の体験というものがあり、米国シアトルでの三週間のホームステイプログラムに参加することができました。私も初めての米国、両親にお願いして行かせてもらいました。初飛行機、アメリカンエアライン。 機内にはすでにアメリカの空気が漂っていました。期待と興奮でいっぱいにいなり、ろくに機内で眠れませんでした。 現地に到着し、入国審査を終えました。空港の中は、地下鉄の駅のようにもなったおり、空港の別地点に移動するときの様子は、さながら未来都市のような感じだっ

        運転を見てください。

          バイクに乗った紳士

          週末に遊ぶ時間はあまりなかったその頃、中学時代からの地元の数少ない友人のひとり、みやちゃんと一緒にいることが増えてきました。彼女も別の英語の専門学校。モデルみたいに背が高くてスタイルが良く、常にダイエットを気にして、中学のころから、いつも小鳥の餌程度、ちょっぴりしかご飯を食べない子でした。 そんな彼女のご両親が秋葉原に喫茶店を出したので、週末にちょこっととか、学校の休みの期間とかの空き時間に、よくみやちゃんと一緒に、ウェイトレスのアルバイトをしていました。薫り高いコーヒーに

          バイクに乗った紳士

          ライブをやってみようよ

          地味なまりかの、人生初の記念すべき一日がこうして終わりました。 文化祭が終わって、周りからの私を見る目がちょっと変わってきたようです。文化祭での演奏もうまくいき、けいこちゃんからの私への信頼も増したようです。 ある日、けいこちゃんは私に訊きました。「ライブをやってみようよ。」 先日の体育館での演奏が楽しかった私は、けいこちゃんの誘いに即答しました。 ライブに出るためのバンドのメンバーは、同じバンド部の、ボーカルのみきちゃん、ドラムは私、そして、けいこちゃんはギターに転向。ほ

          ライブをやってみようよ

          皆が私を見ている!

          翌年の文化祭、クラスで色々な計画を立てていました。 うちのクラスは確か模擬店。まぁ、女子高なので、共学校のようなあの華やかな感じはなかったです。 部活のほうでも、催しの計画を立てます。バンド部では、3年生の先輩たちが卒業ライブの予定が決まっていました。 なんと!同じバンド部のけいこちゃんが、「ねぇ、まりかちゃん!私たちも、ライブをやらない?」と私に持ちかけてきました。 彼女はベース。とっても器用な子で、すぐギターも弾けるようになっていました。 片や、私は楽譜が読めないので、と

          皆が私を見ている!

          陰気だった子どもの頃のこと。

          私は、東京の下町で生まれました。 小学校~学生時代は、あまり思い出したくない出来事がたくさんありました。 当時の写真を見るのは、あまり好きではありません。 私はとにかく人見知りで繊細な性格でした。 大人しすぎて、何故か先生からもいじめられることがありました。 私は不器用で、周りと馴染むのにとても苦労していました。友達は普通にいましたが、何かペアになって進むような場面で、奇数の人数でいるときには、いつも自然に取り残されていました。 花いちもんめみたいな遊びも好きではあ

          陰気だった子どもの頃のこと。