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2024年4月27日 土曜日

今朝久しぶりに金縛りに遭う。何故何十回と遭っても、金縛りの恐怖には慣れないのだろう。それは恐怖が先に来るからか。
恐怖で目を覚ます。それからか来る、と感じる。そして金縛りに遭う。
いつもそうであるように、背後に人の気配がする。一体これはなんなんだ、といつも思う。単に頭が目覚めてて体が眠ってる状態なら、人の気配なんてしなくていいではないか。
今日は肩に手のようなものがかけられた気がした。怖くて心の中で「あっち行け!こっち来んな!」と目一杯威嚇した。

川上弘美の『どこから行っても遠い町』を読み終える。図書館の返却日を数日過ぎていたので、読み終えないうち返しても良かったのだが、この本は読了したかった。
短編集なのだが、それぞれの章で登場人物たちがクロスして行き、最終章で最初の章と繋がる。


「じゃあ、お母さんはうれしいとき、どんなふうなの」聞いてみる。
またしばらく、お母さんは考えていた。
「水の中に沈んで、それでね」お母さんは静かに説明する。
「ゆっくり水をふくんでいって、しみとおっていって、でも最後にはね」「最後に?」
「ふくみすぎちゃって、かなしくなるような、そんなふうな感じ、かしら」
ふうん、と、あたしは言った。そんな抽象的なこと、あたし、わかんないよ。そう続けようとした。でも、続けられなかった。わかんない、というのは、嘘だった。あたしは、少し、わかった。ほんの少しだけど、とってもよくわかった。

夕つかたの水

こわい。
そんなふうに、あたしはまた、思うようになっていたのです。いつか運動会で倒れた男の人を見た時のように。
みんな、いなくなってしまった。お父さんも、お母さんも、父も、母も、清子ちゃんも。いつか平蔵さんもいなくなって、そしてあたしもいなくなる。
そうしたら、生きてきたこのあたしを、だれが覚えていてくれるの。あたしという人間の人生は、どこに行ってしまうの。全部は、なかったことになるの。

ゆるく巻くかたつむりの殻

川上弘美の小説の中の登場人物は、いつも寂しくてどこか諦めている。それでもそれなりの生きやすさを見つけて生きている。
そしていつもどこかズレている。よく使われる言葉としては「危うい」というのだろうか。静かに狂ってるような、淡々とした恐怖を覚える。でも静かに狂わなければやって行けない、という感じもよく分かる。
自分が買った本を読まなければいけないから、図書館では新たに本を借りて来ないようにと思っていたのに、川上未映子のエッセイを一冊借りてきてしまった。そんなに厚くないし、返却期限までに読み終えられたらいいな。

夜はボロネーゼを作り、それをパスタにかけて食べた。ボロネーゼとミートソースの違いはいまいち分からない。

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