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わたしと霊性|第4話 不思議な記憶のかけら

わずか一歳にしてあの世に片足を突っ込んでしまった僕。

しかしその後患った肺炎を乗り越えてからは、不思議な遊びを編み出したりしながら元気にすくすくと育っていく。

今思えば「風呂に落ちた出来事」が、僕の脳を「一般的な人間の脳のチューニング」から「それ以外の脳のチューニング」へ変えてしまったのだろうか。

僕は前回綴った「不思議な遊び」以外にも、自分以外の人には理解できないであろう「不思議な感覚(問題)」を持ち合わせていました。

それは以下の内容になります。


◆なぜ「魔法」が使えないのか問題

「昔はこの手でいろいろな「魔法のような能力」が使えていたのに、今はなぜ使えなくなっているんだ?」という真剣な疑問がありました。

これはファンタジー漫画の見過ぎとかゲームのやり過ぎとか、何かに影響を受けてそう思ったのではなく、自然に湧き上がる想いでした。じゃあ、幼少期の人間が言う「昔」って一体いつの時代の話なんだという話になるわけですが、「とにかく今(幼少期)より過去(前世)には魔法が使えていた」という謎の感覚がありました。

そして同時に、「20歳を過ぎたら能力が復活して、また魔法が使える様になる。そういうことになっているが、それまでの過ごし方によっては魔法が全く使えない人生にもなる」という、一体誰からのメッセージなのか分からない「人生の設定のような言葉」も、不思議と心の中に刻まれていました。

「昔は魔法が使えていた」
「20歳を過ぎたらまた能力が使えるようになる」

どちらの言葉も、自分だけれど自分ではない様な、あえて言葉にするなら「自分の中にいるもう一人の成熟した大人の自分」から発せられている様な感覚がありました。

基本的には子供の自分が意識を支配しているけれど、何かに想いを馳せたり、深くものごとを考えたり感じたりした時には、「自分の中にいるもう一人の大人の自分」に意識が繋がることがありました。


◆「神職」に就くのはやめよう問題

これは「神社での「神職」の仕事を、過去に精一杯やり切ったので、今回は別の人生を歩もう」という謎の感覚です。

そしてそれは神社の「神主」に留まらず、お寺の「お坊さん」、キリスト教の「神父」に至るまで、とにかく「前世の人生」では「神様にお仕えする仕事」に繰り返し就いてきたという謎の感覚が染み付いていました。

なので神社やお寺・教会など、神様のいる場所や、それに付随するお話などはとても馴染みがあって懐かしさを感じました。

馴染みがあるので、今回の人生でも選んでしまいそうな道なのですが、「今回の人生ではそれを選ぶことはやめよう」という確固たる想いがありました。


◆「謎の女性のシルエット」問題

これは小学生になってからの話ですが、自分の将来の結婚相手のことを思い浮かべると、「いつも決まった女性のシルエット」が浮かびました。

シルエットなので顔は分かりません。しかしその人が、

①海の街の生まれであること
②お父さんを早くに亡くした人であること
③音楽をやっている人

ということがなぜか分かっています。

しかし、これは自分の妄想が創り上げた「虚像」なのかなと、あまり深くは考えずに過ごします。


◆「さだいじん」問題

意味は分からないけれど、「さだいじん」という謎の言葉が自分の中にこびりついていました。

想像するに「左大臣」という漢字になるのでしょうが、なぜ自分の中にこの言葉があるのか全く分かりませんでした。


◆「自分が無限に拡大する」問題

これは「絵を描く」と決まって起こる現象でした。逆に絵を描いていない時には起こりません。

絵を描き出すと否応なく「集中力」が高まります。すると、自分がいる部屋の中に「白い煙のようなもの」がだんだんと観えて来ます。それは謂わゆる「氣(き)」と呼ばれるものだと思うのですが、それが観えるようになると同時に、自分の意識がどんどん拡大していくのです。どういうことかと言うと、絵への集中が極まり、夢中になり過ぎて「自分が今人間である」ということすらも忘れている状態です。そうなると拡大した意識が「体の大きさ」も軽く超えてしまいます。そして徐々に自分の意識の大きさが「部屋の大きさ」も超えると、「部屋の隅々のものに触れているような感覚」になります。もちろん実際には触れていませんが、「空間全てと一体になっている様な感覚」です。

それで、ハッと我に返る時に「今自分は人間の体の中に入っているんだった!」と、自分が今人間であることを思い出すのでした。馬鹿みたいな話ですが、本当に毎回こう思ってしまうのでした。

現象自体としては、「アスリート」などに多く見られる「ゾーン状態」として説明が出来るかと思います。

なので僕の場合は、絵を描いている時が一番深い「瞑想状態」になっているのだと思います。


◆「今回の人生が最終回」問題

これはそもそも「人間には「前世」がある」という前提の話になりますが、そういった哲学や思想・理屈を抜きにして、単純に子供の自分の中に「今回の人生が人間として最後の人生なんだ」「最終回の人生なんだ」という認識がありました。

それはどういうことかと言うと、今まで果てしない数の「輪廻転生」を繰り返して来たけれど、正真正銘これが最後の「転生」で「人生の最終回」であり、この人生が終わると「もう転生はしない」と理解している状態です。

そう思うことには何の根拠も理由もありません。

誰かに言われたわけでもなく、理由無く「ただ、分かる」という、一切迷いがない感覚。

この「ただ、分かる」という感覚は、僕の人生において非常に重要な感覚で、理由もなく「強く思うこと」や「分かること」というのは、本当に「その通り」であることが多くありました。

そしてこの「最終回の感覚」は、揺るぎのない感覚として、今も僕の中に存在し続けています。

noteの立ち上げの際には、自分自身でURLに使用する「言葉」を決めますが、その時にも「人生の最終回」を意味する「my last life」という言葉を選びました。

これには、「人生の最終回に相応しい悔いのない表現をする」という決意が込められています。


ここまで読んで察しがついた人はいると思うのですが、今回お話した「幼少期から持っていた不思議な感覚(問題)」は、その後の人生で「その感覚を持っていたことの意味」が全て紐解かれていくことになります。

「心から一点の曇りもなく思っていること」、それは「顕在意識」ではなく「潜在意識」から思えていることだと思うのですが、僕はこれまで一点の曇りもなく「最終回の人生」を生きている自覚がありました。

それは最終回だから「偉い」とか「人よりも優れている人生や能力だ」とか「悟りの境地に達している」みたいな話では全くありません。

むしろ僕は人として至らない所ばかりで、無知で、どうしようもない人間だなあと思うことばかりです。笑

これは僕の持論でしかありませんが、「魂」というものは、人それぞれに「探究するテーマを決めて存在している」と思うのです。

そして「そのテーマ」を「一回の人生」の期間で探究するのではなくて、「果てしない数の輪廻転生」を繰り返しながら少しずつ学びを深めていき、やがて自分なりの探究を終える時が来ると思っています。

そういう意味では、「僕自身の最後」としては相応しい、「正真正銘最後としか思えないような人生」が展開されて来ました。

ゲームをやる人なら分かると思いますが、一度ゲームを完全にクリアした後に二周目をプレイすると、「特別な状態・バージョン」でプレイ出来ることがあります。謂わゆる「裏面」というものですが、僕は良くも悪くも、そんな「裏面」の様な世界を生きてきた人間だと思います。

目の前に突然「パラレルワールド」が展開したり、理屈では説明出来ないようなことが起こるのも一つのいい例だと思うのですが、これは決して幻覚・幻聴、何かの病気の症状などではありません。

しかし一方では、理解出来ない人からすると、僕の体験記はただただ狂人の戯言にしか映らないだろうとも理解しています。

実際に僕自身も、もしも他人が僕と同じ体験をしてその話を聞いたとしても、僕がそれに近い様な体験をしていなければ全く理解することが出来ないだろうと思います。


そういえば先日、「生まれてこの方不思議な体験は一度もしたことがない」と話す友人とご飯を食べる機会があったのですが、

友人:「俺はトワ君みたいに不思議な体験は全然したことないんだけどさ、・・・そういえば、子供の頃に「座敷わらし」がいるっていう「岩手の宿」に家族で泊まったことがあったんだけど、家に帰って来てから、夜になると「子供の声」がしばらく聞こえたな。一週間くらいは聞こえた。」

トワ:「それだよそれっ!!!めちゃくちゃ不思議な体験してるじゃん!笑」

…というやりとりがありました笑


なので「不思議な体験などしたことがない」と言う人ほど、意外と不思議な体験をしていて、単に忘れているだけだったりするのではないかと思います。

僕からすると「今自分が生きている」ということ自体が、いつまで経っても不思議なことでしかありません。



僕がこの「わたしと霊性シリーズ」で綴っていこうとしている内容は、世間的に見ると突飛な内容になるのかもしれません。しかし特別な世界の話ではなく、この世界で起こっていることの一つの話でしかありません。

目に見えない世界、それはきっと観る気がない人には観えない世界です。

もし目に見えない世界を「裏面」と捉える人がいたとしたら、僕は「裏面」と「表面」を行き来して生きる人であり、以前僕のお腹に御霊が宿った際に、


「_あなたには、この世に生まれる前から定められたお役目が御座います。

御霊(みたま)を賜られた方ならば、ご自分で、これから何をなされるべきか、既にもうお分かりだと思います_」


と言った神宮の神職さんもまた、「裏面」を知り生きる人だということが、発せられた言葉から伺い知ることが出来ます。

本当は表も裏もない世界だと思いますが、これから「僕が知る裏面の世界」をご案内させて頂きます。



つづく

やさしさに包まれたなら/荒井由実(松任谷由実)


◆「わたしと霊性」第1話はこちらから


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