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バルセロナ観光から学んだ「人間の限界」

今、僕は旅行でバルセロナに来ていて、昨日までの3日間はたっぷりと観光をして来ました。それを踏まえて、僕がこの3日間で感じたことを書いていこうと思います。

人間、文化、自然

1日目は、ベタベタな観光スポットに行きました。 アントニ・ガウディが作ったサクラダ・ファミリアをはじめ、カサ・ミラやカサ・バトリョにも行きましたし、ピカソの作品を3800点も展示しているピカソ美術館にも行きました。

長年工事を続けている未完のサクラダ・ファミリアは、未完成でありながら歴史を感じるというリアルタイム性と歴史性が僕に不思議な印象を与えてくれましたし、サクラダ・ファミリアが人々を魅了する秘密というのを肌で感じることができました。ガウディの作ったカサ・ミラやカサ・バトリョも建築物に芸術の要素を加えるだけで、こんなに街が面白くなるのかという衝撃を僕に感じさせてくれました。

2日目は、スポーツや文化を肌で感じることをメインにしました。ちょうど、錦織圭選手も出場しているバロセロナオープンがホテルの近くで開催されていたので、錦織選手の3回戦を見に行きました。そして、夜は本場のフラメンコを肌で感じるためにPalacio del Flamencoという場所にフラメンコを見に行きました。

いつもテレビで見ているテニスとは違って、会場の雰囲気を直に感じることができましたし、世界で活躍する錦織選手の強さ、そして日本を離れて戦うアスリートの空気感を肌で感じることができました。Palacio del Flamencoでは、ストリートダンスとはまた違ったダンスを見ることができ、人々魅了する表現やリズムの片鱗を感じ取ることができました。

最後の3日目は、日本以外の「自然」に触れたことがなかったので、自然に触れるため、バルセロナから1時間ほど離れた場所にあるモンセラート(Montserrat)に行き、自然を感じるとともに2時間ほどハイキングをしたり、岩の上でただただボーッとしたりしていました。

地中海に面するモンセラートの自然は、日本の水を多く含んだジメッという感じの自然とは違い、乾燥しながらも緑と融合している新感覚の美しい自然でした。岩肌には苔が生えておらず、全ての岩肌がむき出しており、日本と比べてクリアな自然を感じることができました。

別に計画していたわけではないんですが、ふと振り返ってみると、このように僕は1日目に「1人の人間が作り出した芸術」を見に行き、2日目に「多くの人間が長い年月をかけて生み出したスポーツや踊りなどの文化」を体感しに行き、3日目に「人間がどうにもできないような長い年月をかけて地球が自ら生み出した自然」を肌で感じるという経験をしていました。

限界が生み出す美

その中で、僕が最も感じたのはタイトルにもあるように「人間の限界」というものでした。世界を代表するような建築家アントニ・アウディが作った建築物も、知らない人がいないほどの芸術家ピカソの作品も素晴らしいものではあるのですが、何万年という時間が形成したモンセラートの自然には遠く及ばないように感じました。

勿論、彼らの作品は到底僕ができることではないし、すごく美しいものなのですが、自然から感じる「深み」には敵わないことをすごく感じました。

と同時に、日本の思想やことわざなどにも残っているように日本の先人たちもまた同じようなことを感じていたことに気がつきました(僕の世界が狭いだけで日本の先人だけに限った話ではないかもしれませんが...)。

日本の芸術などに見られるように、日本人は自分たちのできること(人知)は有限であり、やれることも限られているというどこか諦めのような姿勢を持ち、人間を超えたもの(天命)に身を託すということが1番だと結論付けたんだと思いました。

だからこそ、人間を超えたものには神が宿る(八百万の神)という日本の自然観が生まれ、自然を大切にし、自然と調和するという独特の自然観が形成されたのだと思います。

僕の大好きな「人事を尽くして天命を待つ」という諦観の姿勢もまたこの自然観を元に形成されたんだと思います。

ただ、だからといって人間には何もできないというわけではなくて、多くの芸術家やスポーツ選手、世界で活躍しているその他の業界の方々も自分たちが表現できる美しさ、人間だからこそ表せる世界観を作るために頑張っているのだと思います。

人間だからこそ表現できる美もあり、人間と自然の調和が生み出す美、不調和を故意に作ることで表現できる美もあると思います。また、あえて勝てない自然に挑戦するという美しさも1つの素晴らしい芸術表現だと思います。

人間の限界を感じたからこそ「人間とは何か」「自分自身とは何か」ということを考えることができますし、長い歴史の文脈の中で自分がするべきことが見えてくると思います。

「自然への畏敬の念を感じつつ、人間の限界を痛感させられる」

今回の旅はそんな旅でした。まだまだ自分の中に落とし込めてないものも多いので、時間をかけてゆっくりと自分の血肉にして、発信していけたらと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

1997年の日本生まれ。