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無責任な親の言うことを子どもは鵜呑みにしてはいけない。

「価値観の違い」といえば、夫婦間だけでなく、親子や友人、仕事仲間、ご近所さんなど、人と人が交わる限り、避けて通れないもの。人それぞれ考え方が違うのだから行き違いや「え?!」と思うことがあって当たり前。違うから新しい発見があったり、自分の未熟な部分が見えたりするわけだ。

それが生きている楽しさなのだが、違いに直面した時の衝撃が激しすぎると、人間不信になって家から出られなくなったりする。いくら周りが「若いのに家に引きこもって時間がもったいない!」と言ってみても、精神的な落ち込みは理屈ではどうにもならない。

精神的な挫折を味わうことは誰にでもある。それをいつまでも引きずらないようにスイッチを切り替える。私はヨガでその訓練をしてきたつもりだが、娘には「お父さんの言うことにいちいち振り回されてどうする!まだまだ修行が足りない!」と笑われる。

今日は親子の「価値観の違い」について、私の友人の話を。
中学校時代からの友人(女性)と子どもの就活の話をしていた時に、彼女が教えてくれた話。私はその時初めてその話を聞いて、本当に悲しくなった。

彼女の親はなぜそんなことを言ったのか?

彼女は中学3年生の時、高校受験を控えて、親と「将来何になりたいか。」という話になった。彼女が思い描いていたのは「看護婦(当時は看護師ではなく看護婦といった)」。それを聞いた途端、母親は「3Kだ!」と猛反対。今はほとんど言わなくなったが、私達が若かった頃は、労働環境の悪い仕事のことを「きつい、汚い、危険」=3Kと言って嫌う風潮があった。

友達のお母さんは親戚にまで手を回し、「看護婦になりたいって相談してきたら、やめておけと説得して。」と言った。友達はそれを押し切って医療の道に進むほど自立している年齢でもなく、看護師の道は立ち消えになった。

友達はその後、絵の勉強がしたいという希望も「絵なんかじゃ食べていけない。」という親の反対で断念。親の言う短大に進み、結婚した。今はネットが発達し、進学も就職も、家に居ながらにして情報が手に入り、手続きまでできる。でも当時は、歯がゆいぐらい何をするにも時間がかかり、世界は狭かった。

悲しくなったのはここから。
友達が40代後半に差し掛かった頃、父親が入院することになった。入院は長引いたのだが、担当の看護師さんが献身的に看護してくれて、お母さんもたいそう感心していたそうだ。

そんな入院中のお父さんをお見舞いに行ったある日、病室でお母さんが友達に一言。
「あんたも看護師さんのような仕事ができたらよかったのになあ。」
は?友達は昔のことを思い出し、腹が立って、何も言い返せなかった。

親は子どもの人生を邪魔してはいけない。

看護婦になりたいと言った時、お母さんは娘のことを心配して言ったのかもしれない。でもそれが本当に娘の幸せを考えての言葉だったのか。中学生や高校生はまだ子ども。経済的にも親の援助がなければ何もできない。親の一言で、すべてが決まってしまう。

これを読んでくれているあなたが、未来ある子どもの親なら、よく考えて発言したほうがいい。自分の安心のためや、世間体を気にして言っていないか。「自分の一言が子どもの一生を左右する。」と、覚悟はできているか。私は、子どもの人生を邪魔する親にだけはなるまいと思って今日まで来た。笑われるかもしれないが、友達同様、親に対する確執が、この年になっても私の中に残っているから。

これを読んでくれているあなたが、これから人生の進路を決めようとしている若者なら、自分を知り、自分の考えを持って、しかし、その考えにも固執せず、柔軟な発想ができる人になってほしい。周りの大人の言うことに耳を傾けることは大切だ。自分の思いもよらないことを言うかもしれないが、「そういう考え方もある。」と冷静に受け入れよう。いろいろなケースを前もって検討することができるわけだから。

そして最後の決断は自分で責任をもって下し、逃げないで、その決意を毅然として親に語ろう。「本気」を感じれば、親は何も言えない。親に言われて諦めるようでは、その程度のものだったのだ。

子どもは親のおかげで命をつなぎ、大人になる。しかし、親と子は別の人間だ。だからこそ、親は子どもの人生を邪魔してはいけない。そして子どもは、しっかりと独り立ちした姿を親に見せなければならない。それで十分だと思う。

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