小糸侑一問一答

この記事は、漫画「やがて君になる」について考察したものである。ネタバレには配慮しないので、未読の方はご注意されたし。

小糸侑。本作の主人公である。作中で最も理性優位で動く人物であるにも関わらず(あるいは、そうであるが故に)、非常に底が深い、いくら考察してもしたりないような人物である(少なくとも筆者はそう考えている)。今回は、小糸侑に関する疑問点を挙げ、その答えとして筆者が考えている仮説を記す、いわゆる一問一答の形式で、侑という人物の謎を解き明かしていきたいと思う。

※ほぼ10000字あります。長いです。時間がある時にお読みいただくか、気になったクエスチョンだけをピックアップしてお読みいただく事を推奨します。

本稿の構成

今回の記事はめちゃくちゃ長いので、先に全体像を提示したいと思う。全体像が見えないままだと、書き手も読み手も疲れちゃうので...

本稿で挙げる侑に疑問は、(目次を見れば分かるが)以下の通りである。

1.侑にとっての「好き」にフォーカスした疑問

Q1.侑はいつ燈子を好きになったのか

Q2.侑はなぜ燈子を好きになったのか

Q3.Q1やQ2の答えはなぜ作中で明示されないのか

Q4.侑は「恋に恋する少女」なのか

2.侑と他の登場人物の対比

Q5.侑と燈子を対比する事で何が分かるのか

Q6.侑と沙弥香を対比する事で何が分かるのか

Q7.侑と怜・朱里を対比する事で何が分かるのか

Q8.侑と槙を対比する事で何が分かるのか

Q9.園村菜月はなぜ必要だったのか

3.侑の人物像の変化

Q10.結局、侑の変化とはなんだったのか


こんなにたくさんあるのになぜ記事を分けないのかという疑問には是非目をつぶって頂きたい。

もちろん、本稿で解明したい最大の疑問は3の「侑の人物像の変化」、つまりQ10であり、1と2はそれを解き明かすための前提となっている。

それでは、Q1から順番に考察していこう。


Q1.侑はいつ燈子を好きになったのか


・理性優位の侑

侑は物語を通して、常に理性優位型の人物として描写されている。燈子のため(理性)に自分の想い(本能)は秘めるし、物語の最後まで侑にとって「好き」は自分で選ぶものであり、心臓が勝手に選んでくれるものにはならない(つまり、本能的に湧いてくるものにはならない)。同じく理性優位型のように見える沙弥香でさえ、燈子に恋をしたきっかけは一目惚れだったり、ある程度本能が働いている部分があるのに対し、侑は徹底的に理性優位である。優柔不断で選ぶのが苦手な理由も、フィーリングで動けないところにあるのかも知れない。このように、侑が他のキャラよりもかなり理性優位型の人物である事を、Q1を考察する前に前提として確認しておきたい。

・理性と本能のタイムラグ

侑は極端な理性優位型の人物である。言い換えれば、理性で納得出来ない事は本能でも納得出来ない、という事だ。最終的に侑は、「好き」は「自分で選ぶもの」、「あなたを好きでいたいっていう願いの言葉で意思の言葉」であると結論づけるが、ここからも、侑にとって「好き」は理性で納得した結果本能が遅れてついてくるものだと分かる。そのため、侑がどのタイミングで燈子を好きになったのか、この疑問を解明するには、侑の理性と本能を切り分けて考えなければならない。

・「好きになりたい」という理性

理性と本能を切り分けて考えた時、理性の面で侑が燈子を好きになった瞬間は、「侑が燈子を『好きになりたい』と思った瞬間」である、と言える。侑の場合、理性で好きになりたい、あるいは好きでいたいと思えるから、本能も動いてくれるのだ。

では、侑はどのタイミングで、燈子に対して「好きになりたい」という想いを抱くようになったのか。初めて明確に「好きになりたい」というワードが侑から出たのは2巻第10話「言葉は閉じ込めて」である。

わたしは本当のあなたを知ってて それでも一緒にいたい 好きになりたい

遅くともこの時点で侑は燈子に対して「好きになりたい」という想いを抱いていたことが分かる。

しかし、2巻をよく読んでみると、6話の時点で既に(羨望混じりとはいえ)この想いは芽生えていたように見える。

...いいな わたしも 変わりたい
それに興味がないって言ったら嘘だし

これらの侑の発言が裏付けになるのではないだろうか。

それまでの侑は、「特別を知りたい」という思いはあったものの、それは決して燈子に向けた想いではなかった。しかし、6話から10話にかけて、徐々にそれは「燈子を好きになりたい」という気持ちに変化していく。

1巻では燈子に対して「ずるい」「心配」といった感情を向けていたが、最後の5話で燈子は「誰も好きにならない」自分のことが好きだということに気づく。その後6話で「好きになりたい」という想いが芽生え、2巻では終始「燈子を好きになりたい」と「燈子を好きになってはいけない」の間での侑の葛藤が描かれているのだ。(そして、第10話「言葉は閉じ込めて」で、「好きになりたい」が故に「好きにならない」と叫ぶという複雑な構図となる。)

※5話で燈子の好意の理由に侑は気づいているので、必然的に燈子を好きになってはいけないこともこの時点で分かっていると考えられる。しかし、侑自身は人を特別に思えない自分を変えたいと考えているので、2巻以降このジレンマに悩まされることになる。

・遅れてついてくる本能

では、侑が本能の面で燈子を好きになった瞬間はいつなのだろうか。

筆者は、3巻第16話「号砲は聞こえない」が決定的な瞬間だと考えている。

体育祭で燈子が走る場面。侑は燈子に見惚れ、勝敗の行方にすら目がいかなくなってしまう。侑が燈子をこれほどまでに強く意識した瞬間はこれ以前にはない。このシーンこそが、本能の面で侑が燈子のことを好きになった瞬間なのではないだろうか。

しかし、扉絵を見ると分かるように、侑の耳は侑自身の手(「燈子の事を好きになってはいけない」という自制)と燈子の手(「自分を好きにならないで」という束縛)によって塞がれ、号砲は聞こえない(自らの燈子への想いを認める事が出来ない)。つまり、侑が燈子を好きになったとは言っても、この時点で侑はそれを自覚することは出来ないのである。(侑がそれを自覚するタイミングに関する考察はQ9を参照)


Q2.侑はなぜ燈子を好きになったのか


Q1を前提に、今度は侑が燈子を好きになった理由を考えていこう。やはりここでも、本能と理性、この2つの側面で分けて考察を進めていくと同時に、ここではさらに踏み込んで「最終的に侑が燈子を選んだ理由」についても考察していきたい。

・理性で「好きになりたい」と思った理由

侑が燈子を理性の面で「好きになりたい」と感じるようになった理由として、侑の「必要とされたい気持ち」があると、筆者は考えている。

前述のように、侑が燈子を「好きになりたい」と考えるようになったのは2巻からである。1巻では、侑の燈子への感情は「羨望」や「心配」だったが、5話以降は徐々に燈子に必要とされることを受け入れていく。やがて、その心情は「好意を手放したくない」「一緒にいたい」、つまり「必要とされたい」という気持ちに変わっていき、それが侑の「好きを知りたい」気持ちとベクトルが合わさる事で、侑は燈子を「好きになりたい」と思うようになるのではないだろうか。

(余談だが、「誰かに必要とされたい」という気持ちと、「誰かを特別に思えるようになりたい」という気持ちは、源がかなり近いように筆者には感じられる。)

・本能で好きになった理由

侑が本能の面で好きになったのは3巻第16話だと考えると、侑が見惚れているのが「燈子が走っている姿」である事に特別な意味が無いとは考えにくい。なぜ走る姿なのかを考えれば、侑の好意の理由も読み解けるのではないか。

これについては、この記事に綺麗に言語化されていたので引用させていただきたい。

思い描いた姉になろうとする燈子。それが16話の走るシーンに集約されてる。

つまり、侑は燈子の走る姿に、燈子のひたむきに努力するさまを見て、それに見惚れたと考えられる。

・余談:例の男子

前述のように、侑は「好きになりたい」という理性から遅れて本能がついてきているわけだが、ではなぜ例の男子(第1話で侑にフラれた例の男子)は侑に選ばれなかったのだろうか。これには、①燈子に対して抱いていた「必要とされたい」という気持ちが生じ得ないから ②侑は燈子を無意識に何度も選んだ結果本能でも燈子を好きになれたが、例の男子を無意識に選ぶ機会は無かったから の2つの理由が可能性として考えられるのではないだろうか。

余談でした。

・最終的に燈子を選んだ理由

8巻40話を経て、侑は特別を「選べる」ようになるが、これは言い換えれば、「燈子を必ずしも選ぶ必要はない」という事である。他の誰かを好きになる、あるいは誰も好きにならないという選択も、侑にはあったはずなのだ。しかし、燈子を選ぶ以外の選択肢があった、ということは、裏を返せば、他の選択肢があったにも関わらず燈子を選ぶだけの理由があった、という事でもある。その理由は何なのだろうか。

8巻第44話「夜と朝」の侑のモノローグを見てみよう。

わたしの「好き」は自分で選ぶものだから
あなたを好きでいたいっていう
願いの言葉で意思の言葉だから

これを踏まえると、侑が燈子を選んだのは、極論「好きになりたかった」から、「好きになりたい」という想いを「好き」と定義したから、とも言える。

では何故、燈子を「好きになりたい」と思えたのか。それは、侑と燈子の関係性があったから、なのではないだろうか。

家族愛を例にとって考えてみよう。家族より話の合う人や性格の相性が良い人はたくさんいる(であろう)にも関わらず、多くの人が家族を大切に思うのは何故か。恐らく、「最も親密な関係だから」である。つまり、家族愛は、家族の人間性や個人の特徴に依拠するものではなく、人間同士の関係の深さに依るものである、と言える。

侑にとっての燈子も同じなのではないだろうか。侑にとって、燈子は素の自分を見せてくれる相手であり、かなり親密な関係といえる。侑は、燈子という個人の特徴や魅力だけを見て燈子を選んだのではなく、それまで築いてきた燈子との関係に「好き」を求めた、つまり「好きになりたいと思えるような関係性」だったから、侑は燈子を選んだのではないだろうか。


Q3.Q1やQ2の答えはなぜ作中で明示されないのか


作中では、燈子が侑を好きになった理由や沙弥香が燈子を好きになった理由は明確に示されているのに対し、侑がいつ、なぜ燈子を好きになったのかは明示されていない。それは何故だろうか。筆者は、①好きになってはいけないという呪縛があったから ②侑は理性で納得できなければ言語化出来ないから の2つの要因を考えている。

①好きになってはいけない呪縛
燈子は「誰も好きにならない」侑の事が好きだった。侑はその燈子の想いに応えるため、「燈子を好きにならない」と決めてしまう。この、「好きになってはいけない呪縛」により、侑が燈子への好意を認める事が出来なくなってしまった事が、Q1やQ2の答えが明示されない理由なのではないだろうか。

②理性で納得できなければ言語化できない?
侑は徹底的に理性優位型の人物である。彼女は、「理性で納得できない事は言語化する事も出来ない」のではないだろうか。
侑が理性の面で「好き」に対する結論を出したのは8巻第40話「わたしの好きな人」である。つまり、それまでは真に理性で納得できたとは言えない(∵好きになってはいけなかったから)のである。そのため、7巻までずっと、侑の「好き」は言語化されないのではないだろうか。


Q4.侑は「恋に恋する少女」なのか


侑の「特別を知りたい」「好きがほしい」という気持ちの描写だけ見ると、一見、侑は「恋に恋する少女」であるかのように見える。実際、侑が好きになる相手は必ずしも燈子である必要はなかったとも言えるし、少女漫画で見るような恋がしたいという気持ちは恋に恋する少女の典型的な思考のようにも感じられる。しかし、侑は徹底的に理性優位型の人物である。確かに、「燈子を好きになる必然性」はないかもしれないが、侑は理性で「好きになりたい」と思えるだけの、「好き」を定義するに足るだけの理由がないと納得することができないのである。したがって、侑は「恋に恋する少女」であるとは言えないと考えられる。(そもそも、侑が恋に恋する少女だったら、1話でフラれる例の男子と付き合うことにしていたことだろう)


Q5.侑と燈子を対比する事で何が分かるのか


「やがて君になる」の最重要人物である侑と燈子は、物語を通して終始対照的な人物として描かれている。侑が理性で動くのに対して、燈子は本能で動く。7巻までは燈子が求める側で、侑がそれに応える側。燈子が「みんなの特別でいる」のに対して、侑は「誰も特別に思わない」。この2人は、様々な面で対極にあると言える。

これらの対比の共通項は、「侑は自分の定義を自分の内側に求めるのに対し、燈子は自分の定義を自分の外側に求める(求めていた)」事なのではないだろうか。

・自分の定義を外側に求める燈子

まず、2巻第10話「言葉は閉じ込めて」、5巻第28話「願い事」での燈子の台詞を見てみよう。

みんなの前で特別でいることはやめられない
みんながそう思ってるのは 私がお姉ちゃんの真似をしてきた結果で...

これらの台詞を見ると分かるように、燈子は自己評価の根拠を「みんな」の評判に求め、さらに自分の長所を澪に転嫁している。言い換えれば、自らの定義を自分の内面ではなく他者という外側に求めているのである。そのため、素の自分と向き合うことが出来ていなかったのだ。

・自分の定義を内側に求める侑

この点において、燈子と対極にあるのが侑である。侑は常に徹底して自分の内面に向き合い、自分の心情をきちんと理性で定義しなければ気が済まない人物だ。完全に納得するまでとことん自分と向き合うがゆえに、「好き」を難しく考えすぎた結果、誰のことも心の底からは特別に思えなくなってしまった、とも考えられる。(侑が優柔不断なこともこのあたりと関係しているかも知れない。)


このように、侑と燈子を対比することで、侑は徹底的に自分の内面と向き合う人物であることが分かる。



Q6.侑と沙弥香を対比する事で何が分かるのか


Q5では侑と燈子を対比してみた。次は、もう一人の中心人物である沙弥香と侑を対比してみよう。

・アプローチの違い

侑も沙弥香も、燈子に変わってほしいという想いは共通している。しかし、この2人は全く違うアプローチを取る。

沙弥香は、燈子の想いを尊重し、「踏み込まない」ことによって、自分の想いを秘め、燈子の行動をいわば黙認した。「燈子に変わってほしい」という自らの想いを押さえ込み、燈子の望みを優先したのである。

対して侑は、沙弥香とは逆に「踏み込んだ」。燈子の反発は覚悟の上で、燈子に自分の思いを脚本にこめてぶつけたのだ。

どちらも、「燈子のため」とも「自らのエゴ」ともとれる。沙弥香の場合、「踏み込まない」のは「燈子のための燈子の行動を尊重した」とも、「関係を壊したくないから踏み込まなかった」ともとれるし、侑の場合も、「燈子が自分と向き合うのが燈子のためになる」とも、「自分のわがまま」とも言える。

・侑が「選択」をしたという事実

踏み込んだ侑に対し、踏み込まないという選択をした沙弥香を対極に置くことで、侑が燈子を動かそうとしたのは決して必然ではない、つまり「踏み込まないという選択肢もあった」ことを示すことができる。侑の燈子へのアプローチは侑の「選択」があったからこそなのだ。別のアプローチ、別の選択肢をとった人物がいることが、8巻40話「わたしの好きな人」の伏線につながっている、とも言えるかも知れない。燈子に対して同じ想いを抱いていながら侑と真逆のアプローチをとった沙弥香は、燈子にとってはもちろん、侑にとっても重要な人物であったことが分かる。

このように、別の選択肢を沙弥香が示し、侑と対比することで、侑の行動は自らが自主的に選択したものだということが分かる、と言える。1巻では完全に受け身の姿勢だった侑が、物語を通して徐々に能動的になっていくのである。


Q7.侑と怜・朱里を対比する事で何が分かるのか


朱里や怜は、「好きを知っている側」のキャラとして、侑との比較対象としての役割を果たしている。「好きを知っている」ということは、当初の侑が描いていたゴール地点に立っている、ということである。そのゴール地点の定点に立ち、侑との比較対象となることで、侑の変化を描き出すのだ。
分かりやすい対比になっているのは、1巻第4話「まだ大気圏」と、5巻第27話「怖いものひとつ」である。

第4話では、侑はフラれた朱里の心情に完全には共感できておらず、好きを知っている朱里と好きを知らない侑の間では明確に壁があるかのように見える。また、怜との会話のシーンでは、「星に届く=好きを知っている」怜と、「星に届かない=好きを知らない」侑の対比が見られる。


第27話では、大垣先輩に彼女がいる事が分かって泣く朱里に、侑が共感を示す描写がある。朱里に共感できるほど侑が「好きを知っている側」に近づいている事が、朱里と侑を対比することで浮き彫りになるのだ。


このように、朱里と怜は侑との比較対象になることで侑の変化を描き出す役割を持っている。侑と対比することで、侑の変化が分かるようになっているのである。


また、朱里にはこれ以外にも役割がある。恋愛がプラスの面ばかりではないことを示す役割だ。朱里がフラれることで、恋愛することが必ずしも幸せなことではない、「やがて君になる」という作品は単なる恋愛賛歌では決してないことを強調することができるのだ。


Q8.侑と槙を対比する事で何が分かるのか


朱里や怜が「好きを知っている側」つまりゴール地点の人物だとすれば、槙はスタート地点の「好きを知らない側」の人物である。彼は、ゴール地点に立つ朱里や怜とは逆に、スタート地点に立ち続けることで、(朱里や怜とは反対側の)侑との比較対象となり、侑の変化を描き出す役割を持っている。


ゴール地点の怜と朱里、スタート地点の槙。この両端に立つ人物と侑を対比することで、侑の心情の変化が浮き彫りになるのである。


また、槙も朱里と同様に、この作品が単なる恋愛賛歌ではないことを示す役割を併せ持っている。槙という「誰も好きにならないが、そのことに不満を持たない」人物がいる事で、「恋愛をする」ことは当たり前などではなく、「恋愛をしない」「誰も選ばない」という選択もあるということを示すことができるのだ。


Q9.園村菜月はなぜ必要だったのか


菜月と朱里。この2人のキャラは、基本的に侑以外の中心人物と関わりを持たない。いわば、「侑のために用意されたキャラクター」である。朱里は「好きを知っている」キャラの代表として侑との比較対象の役割を持っているが、では菜月の作中での役割は何なのだろうか。

菜月は遠見東には通っていないため、登場シーンがかなり少ない。7巻までの登場シーンは、1巻第4話「まだ大気圏」と、4巻第19話「逃げ水」のたった2回だけである。さらに、第4話での菜月の登場シーンは基本的に朱里と侑の対比がメインだったので、菜月が侑に影響を与える役割を持つのは実質的に第19話のみである。

・菜月の役割

では、第19話で菜月は何をしたのか整理しよう。

第19話で、菜月は侑がいっぱいいっぱいになっている事、侑が変わった事を指摘する。(菜月の台詞の真意を掘り下げ出すと菜月の記事になってしまうのでここでは割愛) この後の物語の動きも踏まえて考えると、菜月は侑に「燈子への好意を自覚させた」のではないだろうか。

・菜月じゃなきゃダメだったのか

「燈子への好意を侑に自覚させる」。この役割、菜月にしか出来なかったのだろうか。

菜月が侑の変化を気づいた上で指摘することが出来たのは、以下の2つの条件を満たしていたからではないだろうか。

①(燈子の話題を避ける必要がないため)侑が燈子の事を話しやすい
②(滅多に会わないため)変化を観測しやすい

菜月は侑達とは通う学校が違うため、燈子のことをそもそも知らないし、会うことも少ない。そのため、この2つの条件を満たすことができる。

ところで、①②の条件を満たしているキャラクターは、実はもう一人いる。エスパー槙である。

彼は侑と燈子の関係を知っているため、侑が燈子の話題を避けることはない。さらに、彼の観察眼を以てすれば侑の変化に気づけないはずがない。条件を完璧に満たしている。

しかし、槙は侑の変化に気づいたとしても、傍観者としての自分の立ち位置を維持しようとするため、侑に指摘をすることがない。実際、3巻第15話「位置について」で、彼は明らかに侑の心情に気づいているが、それを口には出さなかった。

(観測者としての槙は、7巻第39話「光の中にいる」で、侑の心情を指摘するという、観測者らしからぬ行動をすることで、結果的に菜月と似た役割を持つことにはなるが、これは本来彼の立ち位置からの行動ではない)

このように、燈子への好意を侑に自覚させる役割を受け持つことが出来るキャラは、園村菜月だけなのである。菜月万歳。

3巻の最後のせのじゅんに入れてもらえなくて可哀想。


Q10.結局、侑の変化とはなんだったのか


Q1からQ9では、侑にとっての「好き」を分析してみたり、他の登場人物と対比してみたりすることによって、侑の人物像を浮き彫りにするのに必要な要素を集めた。Q10では、以上9つの疑問と仮説を踏まえて、「侑の変化」について考察していきたい。

・変わらない要素

侑の変化を見る前に、侑の変わらなかった要素を何かを考えてみたい。物語を通して侑が一貫していた要素。それは、「理性でとことんまで自分と向き合う」ことではないだろうか。

この記事で何度も強調しているが、侑は最初から最後まで、作中で最も理性優位で動く人物である。それは変わらない。これは、侑の人物像を考える上で非常に重要な要素であったと言える。

・「好き」が分かったということ

当初の侑(特に1巻)は、常に受け身の姿勢であり、選ぶことが苦手で、「好き」を知らない。8巻第40話の侑の言葉を借りるなら、「好き」は「自分で選んで手を伸ばすもの」である。受け身で、選ぶことが苦手であるが故に、当初の侑は、待っているだけで「自分で選んで手を伸ばす」ことが出来なかった。侑は、「好き」を手に入れることを通して、「自らの意思で選んで動くこと」を身につけた、と言える。突き詰めれば、侑の変化はこの一点に集約されるのではないだろうか。

・侑の変化のための他のキャラの役割

侑が「自らの意思で選んで動くこと」を身につけるためには、選ぶに足るだけの理由を持つ相手(燈子)や、侑に燈子への好意を自覚させる役(菜月と槙)が必要だし、その変化を読者に伝えるためには、別のアプローチを取った沙弥香、「好き」を知っている/知らないの両端にいる比較対象としての朱里、怜、槙が必要なのである。誰一人欠けてはいけないし、誰一人無駄な役はいないのだ。



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以上で、小糸侑というキャラクターについての考察を終わります。自分でもまだ完全に整理ができておらず、理論に穴がある所もたくさんあるかと思いますが笑ってお許し下さい。もっと上手く言語化できたらちょこちょこ書き直すかも知れないです。

最後までお読みいただきありがとうございました。質問・意見等あれば是非教えてください。

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