「やがて君になる」という事~侑、燈子、沙弥香の変化~

この記事は、漫画「やがて君になる」について考察したものである。ネタバレには配慮しないので、未読の方はご注意されたし。

「やがて君になる」。このタイトル、パッと見ただけではその真意を読み取る事は難しいのではないだろうか。この記事では、タイトルの意味を、登場人物の変化を軸に考察していきたいと思う。

※1800字ちょっとあります。

①誰が誰になるの?

「やがて君になる」という言葉では、主語が省略されているうえに、「君」という代名詞が使われているため、誰が誰になるのかが不明である。このタイトルが、誰が誰になることを指しているのか、それを解明すればタイトルの意味は掴めるはずだ。

・2つの説

筆者は、タイトルの意味について、

1.燈子が燈子になる 2.燈子、侑、(沙弥香)が自分自身になる

の2通りの解釈を考えている。それぞれについて詳しく見ていこうと思う。

②説1.「燈子が燈子になる」

・侑、燈子を軸に考える

省略された主語や代名詞が、作中の中心的な登場人物を表していることは間違いないだろう。タイトルの意味は「やがて堂島が生徒会長になる」でした、なんてことは無いはずだ。作中の中心的な人物、具体的には侑と燈子が、タイトルに絡んでいると考えられる。

・燈子は侑にならないし、侑は燈子にならない

侑と燈子をタイトルに当てはめてみると、

「侑が燈子になる」あるいは「燈子が侑になる」

となるわけだが、作中では終始侑と燈子は対照的な人物として描かれているので、この当てはめ方は不自然に感じられる。これが答えではなさそうだ。

・燈子が燈子になる?

では、

「燈子が燈子自身になる」「侑が侑自身になる」

と考えたらどうだろうか。特に燈子の方は、かなりしっくりくるように見える。(「侑が侑自身になる」の方は説2に回します)

3巻第14話「交点」での侑の台詞

先輩は先輩になれるのかな...

6巻第31話「後篇」の劇中の燈子の台詞

私は私になれるから

なども、この説の根拠になりそうだ。

燈子は澪を演じ続けるが、最終的に素の自分を受け入れる人物として描かれている(詳しくは七海燈子についてをお読み下さい)。これはつまり、「(仮面に囚われていた状態から解放されて)素の自分を取り戻す」、という事である。

燈子が燈子自身になる。これが、「君になる」の真意なのではないか。


以上が説1である。


③説2.「侑、燈子、(沙弥香)が自分自身になる」

説1では、タイトルの意味は「燈子が燈子自身になる」と考えた。説2では、説1の考え方を前提に、自分自身を取り戻すという行為が他の登場人物にも当てはまるのではないかと考え、説1を一般化して捉えている。

・二面性

人は誰しも二面性があり、それは作中の登場人物も例外ではない。

燈子の場合:「澪を演じている自分」と「素の自分」の二面性

侑の場合:「燈子を選べない自分」と「燈子を好きになりたい自分」の二面性

(沙弥香の場合:「燈子に想いを伝えるのを踏みとどまる自分」と「燈子に想いを伝えたい自分」の二面性)

一般化すると:「受動的な自分」と「能動的な自分」の二面性

・脱皮(=抑圧と解放)

いわゆる「本来の自分」にあたるのはいずれも後者である。にも関わらず、いずれも後者が抑圧されてしまっている。燈子は素の自分を受け入れられない。侑は燈子を好きにならないと宣言してしまう。沙弥香は燈子への想いを秘める。これは、本音と建前や本能と理性の構図に似ている。

本音と建前、本能と理性の関係は、得てして「建前(理性)が外面、本音(本能)が内面であり、建前(理性)が本音(本能)を抑えつける構図」である。作中の登場人物の場合も、能動的な自分を内側に押し込むような描写が多くみられる。

最終的には、3人とも内側に押さえ込んでいた自分自身を解放する。「抑圧していた自分の内面を解放すること」、これこそが、「君になる」という事なのではないだろうか。


以上が説2である。


③まとめ(結局何が言いたいの?)

・「君になる」の「君」は、登場人物自身を指しているのではないか

・「君になる」というのは、「内面に押さえ込んでいた自分を解放する」という意味なのではないか

・その上で、このタイトルの解釈は2通り考えられるのではないか


以上で、「やがて君になる」のタイトルに関する考察を終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。あくまで筆者一個人の意見・解釈であることをご了承下さい。意見・質問等もしあれば是非教えて下さい。


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