なんでもかんでもコンプレックスにしたがる人々

 コンプレックス、という言葉は結構多義的で、使う人間とその文脈によって意味合いが変わってくる。

 ただ不愉快なのは、目の前の相手の喋り方が気持ち悪くて気分が悪くなってるのに、勝手にその内容についてのコンプレックスがあると判断されることだ。

 たとえば。
「やっぱこの時代、英語話せないとダメだよね。時代の流れに乗り遅れてるっていうか、そもそも頭が悪いっていうか。時間とかお金とか、自分のリソースを英語学習に使わない人って馬鹿だと思う」
 とかって言うやつがいたとして、それに対して「でも」とか言った日にはそれだけで「英語コンプレックスなんだ」って決めつけられたりする。
 ちなみにこれはその「英語」の部分が何に変わったって同じだ。学歴でもいいし容姿でもいいし性経験でもいいし、人種や職業、収入、身長や胸囲。そういうのでもいい。
 noteユーザー的にたとえるなら「やっぱこの時代、個性的、創造的じゃないとダメだよね」とか言い始めて、それを否定する人がいたら「その人は自分がクリエイティブじゃないことにコンプレックスを抱いている」とかって決めつけることかな。的外れすぎて、どうしようもない。クリエイティブかどうかなんて、生きる上でどっちでもいいことだ。

 自分が興味のないことについて、実際以上に重要視している人が目の前にいると、人は普通反感を持つし、それに対して文句を言いたくなる。「それってお前が言うほど重要なことじゃなくない?」と言い返したくなる。だが、それを実際に重要視している人からすると「そういう風に否定するのは、お前がそれについて劣等感を抱いているからだろう」と推測されるし、そういう風にしてお互いへの誤解が生まれる。

 人は普通、色々なものに興味を持っているし、その中で一番強い興味を持っているものに、何らかのこだわりを持っている。こだわりを持っていること自体はなんら悪いことではないし、人のそういう部分を馬鹿にしたり、低いものとして扱おうとすることは、おかしなことだ。
 だがもっとおかしいのは「たくさんの気にしていること」のうちのひとつを、自分との差に焦点を当てることで、相手の弱点として認識しようとすることだ。
 自分にとって、まったくどうでもいいと思っているわけではないが、他の大事なことがらと比べて特別視しているわけでもないことでイジられるのは、不愉快極まりない。というかそもそも、イジられること自体が、自分の好きな人以外からだと、気持ち悪いだけだ。

 時々、ちょっとつまらないことを言われただけで「それ次言ったら怒るからね」とかって、もうすでに怒りながら言いたくなる。私、ふだん理性で抑えつけてるけど、かなり怒りっぽい性格だし、人が適当にその場を盛り上げるために言った不用意な発言にもムッとするタイプの人間だ。

 見下されるのが大嫌いだし、自分が見下してしまうのも、本当は嫌だ。見下さなくていいくらい、ものごとをちゃんと考えていて、気を付けて言葉を話す人が、本当は好きだ。でも私自身が、いつもそういう人間でいられているかと問われたら、そうではないから、それも不快だ。

 もし単純に、対象に対してネガティブな感情を抱いているというだけが「コンプレックス」の条件であるなら、私にとってこの世界のほぼすべてはコンプレックスの対象だし、それの何が悪いのかも分からない。

 そもそも他人の複雑な感情のことを「コンプレックス」とかいう単純な言葉で片づけてしまおうとする、その、他者の感情を尊重しようという気持ちの欠如自体が、不快なのだ。気持ちが悪いのだ。

 自分自身の実際の生き方と異なる生き方をしている人や、自分とは違う感情を抱く人のことを、自分よりも低くて単純な感情を抱いていると決めつけるのは、本当に下品なことだし、反射的にそういう人間とは距離を取りたくなる。
 なんだかんだいって人間はそれぞれ、自分自身のことについては真剣に考えてる生き物だし、だからこそ、他者の生き方を自分と比べて単純なものだと思い込みたがる。私たちは、本能的に、他者を自分よりも「あまり考えていない、あまり悩んでいない」存在だと思い込もうとする。
 自分があまり悩まないことがらについて悩んでいる人間のことを見下し「彼女はただ、自分に自信がないだけだ」などと思い込もうとする。でも私は、自分に自信がないことだけで悩んでいる人間なんて、あまり見たことないし、その人が実際「私は自分に自信がなくて、悩んでいる」と単純に言う時でさえ、じっくり話を聞いてみれば、もっと細かくて具体的なことを色々とひとりで考えていることが多い。それを、能動的に人に伝える能力がちゃんと育っていないから、そういう風な単純な表現に押し込もうとしてしまうだけなのだ。

 自分自身がよく悩む人間であり、それをうまく表現できないと思うなら、自分の気持ちが相手に届かないと思うなら、それはきっと、他の悩んでいる人たちも自分やまた別の他の人に対してそう思っていると考える方が自然だ。
 自分自身の悩みについては複雑に考え、それについて向き合っているのに、他人の悩みについては「コンプレックス」の一言で片づけようとしてしまう。そういう人間の単純さ、愚かさが、私にはどうにも不快なのだ。

 私たちは理性も想像力も欠けている。だから他人の心を、その人の言葉だけで判断しようとする。反応や態度だけで判断しようとする。
 ゆっくり、長い時間をかけて付き合っていこうとしない、他人と丁寧に付き合うことを忘れた人間は、そのうち自分自身と丁寧に付き合うことすら忘れ、自分自身ではなく、自分自身の後天的な付属物の方を、自分自身よりも大切にしようとしてしまうことだろう。
 金とか、地位とか、名誉とか。楽しみとか、幸せとか。そういったものが、人間というものの価値の本質だと、思い込んでしまうことだろう。

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