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#炎の中に座る・「紛争の心理学」

  紛争の心理学:融合の炎のワーク A・ミンデル著 永沢哲監修 青木聡訳
                   

  アメリカ同時多発テロ直後に訳書が出版された「紛争の心理学」について書いてみます。


「個人の人生における復讐心には気づいても、国際的な政策が復讐の欲求に基づいている可能性があることはほとんど注目されていない。合衆国は他の国々に制裁を加えることがある。たとえば、イラクがブッシュ大統領の暗殺を計画していた(実行されなかったが)ことをCIA(中央情報局)が知ると、合衆国はイラクを爆撃した。合衆国がもっと賢明だったなら、イラクの代表を招き、両国が互いの復讐心に取り組むテレビ番組を放送することができたかもしれない。そしてもし、エイミーと私がモスクワで目撃したように、すべての国民がその過程を見ることができたならば、世界の諸問題に対して新しい解決策が現れるかもしれない」

  この「紛争の心理学」の著者、アーノルド・ミンデルは大学院で量子論を学び理論物理学者としてスタートしながらも、ユング心理学に出会い臨床心理学に転向、プロセス指向心理学(POP)を創始した人です。

プロセス指向心理学の大切な前提は、「過程はそれ自体、知恵を内包している」ということです。
プロセスを重視すること自体は他の心理学でもポピュラーなようですが、特にPOPでは分析・解釈せず「場」の微細な雰囲気、流れ、を重視します。
プロセス指向心理学はユング心理学やネイティブアメリカン、タオイズム、禅から発展したものらしいですから日本人には親和性のある考えかもしれません。(ただむしろ、日本人は「場」を乱さないようにという意識が抑圧となって意見を言えない方が主流派になりがちだとは思います。そのような「場」では意見を言う事自体が非主流派になってしまう)

著者はエイミー夫人と共にインド、イスラエル、北アイルランドといった紛争地域に自ら赴き、人種差別、民族対立、階級などをテーマに、対立のエネルギーを融合のエネルギーに変える炎のワーク・・・ワールドワークと称する集団討論で『魂の錬金術的変容』を促します。

その場ではテロリストと独裁者、主流派と非主流派、あらゆる対立がひとつのワークのなかで激しく罵倒し、泣き、討論するなかで気づきがうまれ、劇的に変容する過程が幾つも述べられているのです。

  外部からの洗脳、押し付けではなく、「ファシリテーター:促す者」のサポートによって、各自が自分の社会的ランクを自覚すること、抑圧していることや抑圧されていることをつまびらかにしてゆきます。

  ファシリテーターは言葉だけでなく場の雰囲気、発言者や周囲のダブルシグナル(笑みを浮かべながらも拳を握っているというような)に留意して、微細な一瞬「ホットスポット」を逃さないように細やかにサポートします。
そこでは感情的に反論することは恥ずかしいことでも大人気ないことでもありません。むしろ笑顔で大人、の対応がますます事態を悪化させることもあるのです。

  衝突、驚愕、凍りついた一瞬など、感情が大きく動く瞬間こそが「ホットスポット」なのです。あるテロリストはワークの最後に「ほんとうは誰も殺したくないんだ」と言いました。そこに至るには主流派の側の抑圧していたことに対する気づきと、ファシリテーターが適切にホットスポットを捉えたことにあります。

  事態はいつもこううまくいくとは限らないけれど、どんな状況においても人間には変容する可能性があることを信じていいのだ、という気持ちになりました。相手を変えようとして罵り合っているうちにふと「自分が」変わったと感じる一瞬があるのだ、と。

  多様性の尊重、「みんなちがってみんないい(by金子みすず)」はもちろん大事なことで、大前提でもあります。
けれどもほんとうに心からそう言えるには、自分のなかの偏見や露になっていない差別を手放さなければ言えないのです。

  ミンデルは「争いで平和を築く」と言います。もちろん血の流れる暴力で、ではありません。
美しく平和的な言葉で平和が訪れるならそれに越したことはないのですが、その態度自体が非主流派にとって憎しみの原因となることも多いからです。
自分に向けられた憎しみに耐え、自分のなかの憎しみに向き合い、心の血を流しながら多様性を抱きしめること。
受容、は自分の側を変えてゆくことです。簡単なことではありません。

「大事なのは、それまでのあり方や物の見方に固着することなくはっきり理解したうえで、軽やかにそれらを手放すことだ。それによって、新しいより柔軟で知恵に満ちたものの見方や存在のあり方が生まれてくる。たえず変化してゆく生命のありようを信頼し、尊重し、そこから知恵を引き出しながら自己を成長させてゆく。それがプロセス指向心理学の目指すところであり、特徴だといえる」
             
「反差別主義が解決にならないのは、力の差異に目をつぶり、形だけの平等を口にすることによって、しばしば自覚に向う過程を押しとどめる装置として機能するからだ」
             
「どんな困難な状況にあっても、逃げ出さない。自覚を保ちながら、その場にいつづける。必要なら休みを取り、自己の内面をチェックしながら炎が燃え尽き、錬金の技が成就するまで座りつづける。「炎の中に座る(Sitting in the Fire)」という本書の原題はそのことを端的に表現している」
(日本語版読者のための前書きより)

この本は主に世界紛争問題に取り組むミンデルのワーク方法について、ですが自己内面への取り組みとしても具体的に読めます。
内は外であり外は内であるからです。ミンデルはむしろ、そこから始めなければ、と考えているのです。ひとりの人間のなかにある多面性のなかで、ある面がある面を抑圧しある面は過剰適応する。 インナーワークするにはまず、そのどれにも同一化しない長老を育てることが必要となります。客観的、とは他人の視点ではなく自己のなかの長老なのだと思います。

  長老になるにも段階があり、ミンデルの言う「メタスキル」が必要です。言葉の向こうの微細なことへの感受性、気づくこと(アウエアネス)。
成長した長老は裁かず、善悪もなく、トラブルに学び、独裁者にも耳を傾ける。長老はプロセスにまかせる。どの面の存在をも認める。神秘的な河の流れを尊重する。そうして自己(集団)のなかのまだ現れていない・辺縁に押しやられた一面を浮上させる。

長老は霊性、高次自我、言い方はなんでも良いですが魂の視点だと思います。その視点を大事にすることが主流派が牛耳る「民主主義」ではない、少数派、非主流派、たったひとりの意見も尊重する社会、ミンデルがこの本の中で言う「深層民主主義:ディープデモクラシー」なのだと解釈しています。

  ミンデルは、そのような世界に向けて「自覚の革命」という言葉を使っています。革命、です。ラディカルな言葉です。それでもあえて使っているのは、自覚の深化と世界の深化がつながっているという認識からです。
それは甘く優しいポジティブシンキングではなく、怒号や否定、争いからさえ生まれるもの、泥をくぐりぬけて咲く蓮の花のようなものなのかもしれません。


アーノルド・ミンデル
1940年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程終了(理論物理学)、ユニオン大学院ph.D(臨床心理学)。プロセス指向心理学の創始者。ユング派分析家。著書は、「うしろ向きに馬に乗る」「ドリームボディ・ワーク」「プロセス指向心理学」「24時間の明晰夢」ーいずれも春秋社、など。

以前この文章を書いてから随分時間が経ってしまった。また中古か図書館でしか手に入らないかも。ミンデルを知ったのは明晰夢からだった。それはまた別のお話。

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