煽ることに頼らない勇気。
先日、久々に『あ、無理や…。』と感じてしまった文章に出会った。
いわゆる、勧誘されるときのあの感じ。『あなたは絶対成功できます!』的な感じの文章で、コピーライティングが駆使されていた文章。
『こんなことで困っていませんか?』から始まり、『このままだとあなたは…』と自分の未来が絶望だということを見せつけられる。でも、『絶対に大丈夫です。』という、あの感じ。
理屈はわかるけど、なんだか、読んでいて胸が苦しくなる、完全に勧誘されてる時の感覚が湧いてくるのでした。
なぜなら、そこには温度が感じられず、売ることだけが目的になっている文章だったから。
文章の良し悪しではなくて、むしろ文章はめちゃくちゃ上手だった。
ただ、文章を出す魂胆である、『売ってやるぞおおおお』というものが如実に透けて見えるものだった。
現実でも、そう感じることってありません?
そして、おそらく私たちは、その空気を察知したら一気に距離を置くのではないでしょうか。
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以前、とある経営者の方が『煽って売れる時代は終わった。』なんて言っていたけど、それをふと思い出した。
言葉にはしていないけど、透けて見えるものに人は敏感だったりする。
実際、自分が読み手としても、うまい文章が読みたいわけではなくて、その人の想いや考えがにじみ出ているものだなぁ…ってことだったりもする。(個人差なのかもしれないけど、不安を煽られて嬉しい人はいないもんね。)
その方の文章は普段とは別物だったから、おそらく外注したんだろうなぁ…とか勝手に想像していったんだけど。
とはいえ、外注先も売れる文章を発注され、その文章を作ったのだと思うと、自分の仕事を全うしているわけだから悪くもないよなぁ…とかとか、考えて。
ただ、外注したことによって、一気に温度感、想い、情熱が消え去り、聞こえのいい言葉とモヤモヤでいっぱいの後読感があった。
そこで改めて、煽る時代は終わったんだな…って思った。
『満員電車で通勤したくないでしょう?』とか、『これだけ拘束されてこの給料?』なんて文言を合言葉に喫茶店で囲っている若者たちがいたけど、(今もいるんかな?)今更この言葉には踊らされない。
実際思うのは、1回の販売だけをみれば、煽って売るのは簡単だ。
ただ、恐怖を循環させるのと、想いを循環させるのと、起こりうる結果は雲泥の差だろうとも思う。
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これからは、世界観やブランドが大事になってくるなんて言葉を耳にタコができるくらい聞いているけど、それをひしひしと感じている。
本当に大事なのは温度感、想い、情熱のほうなんじゃないかと思う。
そのあたりを言語化し、世の中に伝えるってそんな簡単じゃないことだけれども、絶対に大切にしたいところだ。
日々の姿勢、選択、発信が結果的に『買わせてください。』と逆に言ってもらえるブランドづくりになっていくんだろうなぁと。
人の価値を伝えるという役割を担っているので、なんだか、そういったことを考えさせられました。
やっぱり、恐怖を循環させるよりも、想いを循環させていく方が、私にとって心の底からときめくものだなぁと思う。
P.S.
画像は先日行ったローランド展で見た、4000万円のお酒。彼はどうやって売っているのでしょう…?興味津々…!
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