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『想いが循環するブランドにしたいです。』に対する違和感

『想いが循環するブランドにしたいです。』と言われることが増えた最近、本当に心から賛同するときもあれば、違和感を感じるときもある。

想いを循環するブランドは、

・クチコミがどんどん生まれていく
・人が人を呼んでくれる
・集まる人が理想の人で溢れる

というイメージがあるように思うし、そのあたりは、個人的には同意している。

実際、私も素敵な接客を体験をしたら、無意識にすごい熱量で人に語っていることがある。

他にも、個人的に想いを循環するといったら、BTSなのですが。

(そう言えば、以前とんでもない熱量でnote書いてた。こういうことなんだと思う。)

彼らとお一緒に仕事をした人やたまたまご一緒した人からの本当、いい人エピソードでしか出てこないことにも驚愕する。

結果も出し続けて、奢ってもおかしくないのに、いい人だと…???と本当に衝撃を受け。

前世でどれだけ徳を積んできたんや…といつも、自分の行いを振り返った経験がある、BTSファンの方がほとんどじゃないだろうか。

と、話はそれましたが、想いの循環するブランドと、違和感をもたらすブランドには大きな違いがある。


違和感の正体

違和感の正体は、『想いの循環する』ということが、そもそも自分自身に矢印が向いてしまっているというポイントにある。

想いというのは、伝えるべき人(お客さまやペルソナさん)に向けているはずだけど、それよりも、自分にしかベクトルが向いていないというのが違和感の正体だ。

想いが循環する現象を作ることが目的になっていたら本末転倒だ。

(とはいえ、想いを循環することと同じように、自分に対してベクトルを意識していると、そういう人たちが集まってきて、同じように結果が出てくるので、渦中にいるとうまくいっているように感じるのかもしれない。)


想いの力とは

いつもお世話になっているブランドの方が、彼らのお客さまと、そして、私も含めた関わる人に対して、実はこっそり動いていたということを、別の人づてに知った。

コツコツと、見えないところで愚直にできることをしてらっしゃったということを知って、正直、私は、びっくりして。

具体的なことは言えないので伝わらないかもしれないけど。

私は、そんな真摯に物事に取り組んでいる姿勢を見て、彼らのためにもっと恩返ししたいし、もっと動きたいとなった。

想いの力というのは、自然に発生するものであり、そして、強制されるものでもない。

私は、結果的に動きたくなったけど、それは、個人的な感情で動きたくなっただけだから。


想いを循環させるという執着を手放すこと

『想いを循環させたいです。』と言われて、他者の想いをないがしろにしている態度を見たり、『ありがとう。』の一言もなかったり、そんな矛盾点に遭遇したとする。

私だったら、例え、想いを持っている人がいたとしても、その想いを届けたいと思うだろうか?と考えさせられる。

想いを大切にできる人は、想いを大切にしてもらった経験が、どんなに尊いのか知っているからこそ、人の想いも大切にできるのだ。

*

いいエピソードを生まれるのは、目の前の人に真摯に向き合った結果でしかない。

どんな立派なノウハウよりも、自分が関わるに対して、向き合ってきたことが、ブランドに大きな影響を与える。

想いの前の、自分の在り方が、そのブランドの佇まいに大きく直結していくと思っている。


と、ここまで書いたけど、私も聖人君子でもなんでもないので、自分にとって、何度も思い出したい記事として、残しておこうと思う。

特別な誰かに対して書いたものではないので、何か拾えるところがあったら、自問自答してご活用ください。



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