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新編 銀河鉄道の夜より『猫の事務所』と『よだかの星』

連休中読むために積んだ『積読』より


買い直してないとしたら、30年近くなる
ボロボロだ

たまに、ほんの少しのきっかけでものすごく気が滅入ってしまって、何をしても浮上できないときがある

連休中ほぼご機嫌で過ごしていたが雲行きの怪しくなる瞬間があった

不機嫌に押しつぶされないように散歩をしたり、引きこもって音楽を聴いたりご機嫌を取り戻そうとしても『全部やめちまえ』と破れかぶれまであと一歩

そんなときはお酒も飲まないし、甘いケーキも和菓子も効果がないし、誰かに話をすることも出来ない

けれども、こんな物語たちを読むと荒ぶる心が鎮静する事がある

ものすごく偏った感想ではあるけれど、これらの物語において私が好ましいなと感じるのは『救いようがない』ということがあるということをシンプルに書いているところ

『救いようがない』ことを知るという『救い』のようなもの

“かま猫”は事務所の解散で不幸になったとも幸せになったとも書いてないし、“よだか”は肉体を失ってしまっただけなのか念願かなって星になったのか私にはわからないので『救いようがない』とするのは私の解釈だけなのかもしれない

おそらく私の気が滅入る時や落ち込む時の大きな要因や根底に、ずいぶん若い時分からの『抱えきれないコンプレックスといまだ向き合えない幼いままの自分は、他の誰とも関わることの出来ない存在である』という考えがある

いつもいつもそんな事を考えているわけではないし、様々なことが重なり合ってしまった良くない状態に限るけれど

本を読み、誰かに問い、改善や回復に励んでも、むしろ励めば励むほどいよいよ崩壊へすすむようなそれらが様々に絡み合う何かが混乱をきわめた瞬間、少しだけやって来る

そんなとき、この2つの物語では持って生まれた容姿や変える事の出来ない習性や性質によって『救いようのない』悲哀や絶望のようなものを淡々と書いているように思えてくる

『猫の事務所』では、竈に入って寝てしまう癖からすすだらけで汚いという理由で煙たがられ、優等生気質が祟って嫌われてしまうが、推薦してくれた黒猫(エリートではない事を象徴している)の顔を潰したくない事もあり皆とうまくやるべく”普通“になろうとするが、色々裏目に出る上に、土用(酷暑)生まれが故に皮膚が薄く竈で寝るしかないことまで『自分が悪いのだ』と自分を責めて涙を浮かべて悲しむ

『よだかの星』に至っては、冒頭から“みにくい”鳥だと言い、その醜さにたいしたことないひばりからも嫌われ、”鷹“の仲間ではないのに名前に入っているという理由で意地悪な鷹に、改名(市蔵)と告知を迫られちゃんとやらなければ殺すぞ、と脅されるさなかにも、大量の虫を殺す─生きていくために食べるということ─事がつらくなり、その大量の虫を殺すただひとつの自分が鷹に殺されるのでそんな事なら飢えて死のう、でもその前に殺されてしまうから遠くの空の向こうに行こうというところまで考えがいくのである

命を戴いて生きていくことさえつらいことだと言い出す”よだか“のことを、優しいね、とか命を大切に思ったからこそ思う事なのね、で済ますことはもはや出来ない

その主人公が“猫”と“よだか“だからマイルドには感じつつも、悪いこともせず、むしろ懸命にひたむきに生きていても救いようのない事を書いているところが救いだとさえ感じてしまうのである

これを救いようがないと考える事が違うのかもしれないし、私は本当の意味での絶望や孤独を味わったことがないからこのように思うのかもしれない

いつも救いを求めたり、何かを学ぼうとしてこの2つを読み始めるわけではないのにこんな事を考えてしまい、そのうちあれもこれもと不思議な物語の世界に入り浸るのでちょうど良いのだろう

『猫の事務所』は竈猫を取り巻いての騒動を見た獅子によって、こんな事をして地理も歴史も要ったものではないというひとことで解散となる

『よだかの星』は星という星に辛辣な言葉をかけられ続けて、飛び続けて何が何だかわからなくなったとき、今も光り続ける星になる

中学生の時、初めて読んだときからこの物語たちに対する印象も自分自身もたいして変わっていないように感じるけれど、今、頭に思い浮かぶのは

『どんな因果によってつくられた事実、殊に自分の思いや気持ちというようなものほど、あまり極端なところに置いてしまわないようにしよう』かな


この本の中なら、次いで『カイロ団長』、『シグナルとシグナレス』がスキ

トバスキーとゲンゾスキーの箇所に短い手を挟むの図

ぜいたく猫の調べたいことをすぐ答えられるように!
頼れる4番書記、竈猫

読み終えた頃には妙な力が小さく体の奥底に湧いているので、その勢いで飛び入り積読の中島敦『李陵・山月記』から『名人伝』などを読む

とんでもない、突き抜けた力が戻ってきたところで、10年ほど前に誕生日が同じと知って読み始めた内田百閒『百鬼園随筆』読んで、ひどいな!とか何じゃそら!ってもうニヤニヤしている、私












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