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親子っていったい何?

母は癌で、抗がん剤による副作用でしびれがひどく出てしまい、寝たきりになってしまった。
80代の父1人では介護は到底無理で、母は、施設に世話になっている。

それまでの病院の付き添いなど、半分ぐらいは私の時間の許す限りついていき病状などを聞いたりした。
抗がん剤により髪が抜けるので、寝ているときにつける使い捨てのヘアキャップやウィッグを買ったり、眉毛もぬけてしまうので眉毛用の形の定規とアイブロウも買ってきたりして(1回もつかわなかったけど)、私なりに知識を習得し、できるところはフォローした。

思い返せば、両親が70代後半から、誕生日やお墓参りの時などは、両親が味が好みだという浜木綿(はまゆう)という中華料理店につれていき、ご馳走した。
私は、専業主婦で収入がなかったため、それをするために趣味の華道をやめることにした。そのお金をプレゼントやご馳走代に充てていた。
仕事をしながら、家事をする母は体力の限界を感じ、私にこぼすようになった。それで、作り置きを作って持っていくこともした。

このころから親子の逆転っていう現象は起こってきたと思う。
子どもとまではいかないが、親が食べたいという料理を子供に与えるような気持で食べさせ、欲しいというものをプレセントしていた。
自分の趣味を辞めてまで、親孝行できるうちにやっておこうと思ったのだ。

私の原動力となっているものは、母が孫のために(私の娘)きつい生活の中からも必ずお年玉や誕生日のお祝いをくれたこと、私が困っているときに、自転車で必要なものを大変な労力を使って買いに走ってくれたこと。そういう思い出というものに対しての恩返しといったところ。

もちろん育ててくれた恩というものもあるけれど、長女であった私は、義父義母の嫌がらせを受けた母が私を味方につけるため、私は愚痴を言うためのはけ口になっていたので、それなりに苦しかった。

義父から𠮟責をうける両親をよく見ていたし、その姿は、私の夫の親とも重なる。しつけをしようと思っているのだろうけれど、嫁の立場からすればただのいじめに近いものだ。


現在、実母は酸素ボンベをつけながら、人生の終わりに静かに近づいている。
私は、三人兄弟なのだが、母が施設に入って1年数カ月たつが、弟と妹は一度も来たことがない。
忙しいというのが理由なのだが、母といろんなことがあったとはいえ、妹と弟のことを待っている母を思うと、いったい親子とは何なのか?と思わされる。

読んでくださって、ありがとうございます。尻尾を振って、喜びます!!語彙を深めるために、本の購入に充てさせていただきます。