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「新しい自分」に出会うまでには、もう一度生まれ変わるくらいの時間が必要

 「日本人って本当に止まれない人種なんだよね。
止まることを許せるって、けっこうハードル高いことなんだよ」

先週、海外の大学院に留学している友だちとオンラインで話したときに、こんな会話が出て。何度も止まっているわたしたちは「ものすごくレア」だという話になったのです。


少し前のことなのですが、2022年冬ごろシューマッハ・カレッジに行きたくて情報を集めていたときに、あるnoteにすごく腑に落ちる言葉を見つけたので、ここで紹介したいなぁと!

この方はハネムーンを兼ねて9ヶ月くらいかけて世界を旅している人だったのですが、シューマッハ・カレッジのプログラムでの自己紹介を聞いた講師が、彼女にかけた言葉が「rebirthだね」だったのだそう。

「人間の命が生まれ出るまでに必要な期間が大体それくらいでしょう。そう考えると、旅を通して新たなものを生み出そうとしているのかもしれない。それが何かは今は分からなくていいよね」

見た瞬間「なんて素敵な言葉なんだろう…」と思ったのと、わたしも会社や働き方を変えるタイミングで、1年くらいのお休みを取るようにしていて。

なんとなく決めた自分との約束の期間だったのですが、この言葉を見て

「あぁ、あのときのわたしは、自分が生まれ変わるための時間を必要としていたのかもしれないな」

と、とても腑に落ちたので、そのことについて改めてわたしなりに言葉にしてみようと思いました。


「終わり」を大切にすることで、新しい「はじまり」が生まれる

終わりのない空白って、誰にとってもちょっと怖いのではないでしょうか? けれど、「終わり」を決めることでそこまでは本当に自由で居られるし、ちゃんとそこまでに一つの答えが見出される気がするのですよね。何かが生まれる可能性のための「余白」みたいになる気がします。

わたしの場合、退職日の翌日ってなんだか腑抜けみたいになって非現実的な1日になるイメージで。毎回けっこう余裕を持って退職日を設定するのですが、なぜか最後の1ヶ月は仕事量が半端ないことになってしまい、その上に送別会が加算されてものすごいスケジュールになってしまうという。

「あと○日頑張れば思いっきり寝れる…!」

という謎の合言葉を片手に、毎日のエネルギーを使い切るように過ごしていたので、退職日の飲み会が終わって、明け方家に着くころには力尽きてベッドに崩れ落ちる感じでした。

そして、とりあえず3日間くらい寝て、我に帰る。ふと、今日やらなきゃいけないことがないことに気づいて、ちょっと不安になる。(笑)

けれど、だんだん体力が戻ってくると、自然とやりたいことって湧いてくるんですよね。最初はあの本読もうかなとか、映画見に行こうかなとか小さいことなのですが、前から行きたいと思っていた場所に行ってみようかなとか、この資格とってみようかなとかだんだん立体的になってくる。次の道を見出すための期間限定のお休み(最長1年!)と決めているので、そこまでに何かを見出すために色々やろうという気持ちになってくるのです。


ちなみに転職するときって、ほとんどの人がすぐ次の会社に移ると思うし、わたしも何の肩書きもない自分に不安になったりしたのですが、後から考えればその間の「何もないわたし」の時間ってすごく大切だったなぁと。

多くの人がそうだと思うのですが、転職してすぐ次の会社に行く場合、最後のほうは次のことで頭がいっぱいになって、今の会社のことっておざなりになってしまったりしませんか? 

でも後ろが空白だと「最後までこの会社にできることをやろう!」っていう感じになるので、やり切った感もあるし、本当に感謝でいっぱいのお別れになるんですね。そして、その満足感をちゃんと味わってこの道を「綴じる」からこそ、多分次の新しい道がやってくるのだと思うのです。


仕事を辞める事情はそれぞれ違うけれど、今までいた会社やそこで過ごした時間を客観的に見つめることや、それまでの自分を次にどう活かすかを考えることって必要な気がします。どうしても人は延長線上を歩きたくなるし、慣性の法則って働いてしまうから。

誰かに求められるわけではないからこそ、自分のためにわざわざ予定を入れない期間をつくって「ただのわたし」に戻る期間は、すごくすごく貴重だし、自分を大切にすることにもつながるし、想像以上に自分の人生と向き合わせてくれるなぁと思います。

休んでも大丈夫。わたしたちは思っている以上に疲れているから

あと意外と毎日働くのって疲れているので、単純にカラダを休めるのも大事。気がすむまで思いっきり寝ること、自然の中でただ生きることに集中すること、そういう経験があると、また内側から次のヒントが湧いてくる気がするのです。

わたしは新卒の会社を辞めたときも、派遣社員の期間満了のときも、2社目の正社員を辞めたときも、最終出社日から1ヶ月以内に海外に行く予定を入れていました。それもどちらかというと「のんびり」旅。

なので、仕事がなくなったことにしんみりしすぎることなく、自然の中で癒されて、新しい風にあたって、気づいたころにはリフレッシュしている、という感じでした(1回目はアメリカ、2回目はニュージーランド、3回目はデンマークと本当に場所はいろいろ)。


ちなみに、多くの人が気づいていない気がするのですが、「やりたいことをやる」前に必要なのは、「やりたくないことをやめる」こと。

今の生活を維持したまま、新しいことをやろうとしてエネルギー切れしている人ってすごく多いと思うのです。けれど、もしあなたにとって「仕事=やりたくないこと」だった場合、それってかなりのエネルギーを使っているはず。なので、それ以外の生活に使う時間を除けば、例え「物理的な時間」は存在していたとしても、新しいことに注ぐ「純粋なエネルギー」は残っていないのが普通です。

わたしは実際に休んでみてわかったのですが、3ヶ月くらいすると本当にイライラすることがなくなってくるし、会社の愚痴とかなんであんなに怒っていたんだろうってなります(自分が渦の中にいるとわからないけれど…)。ベースが安定しているのもあるし、多分自分に矢印が向いているので、周りのことが意外と気にならなくなる気がします。


わたしの場合、これまで2回休みをとっているのですが、1年のうち半年くらいは派遣社員や業務委託でお仕事をしていて、それ以外は海外に行ったり新しいことを学んだりしていました。一時的にインカムはちょっと減るけれど、時間的にも正社員よりずっと楽だし、振り返ってみればそのときに経験したことが、確実に次の選択肢に繋がっているんですよね。

一つの仕事を辞めることって本当に人生にとって大きな決断で、迷ったりぐるぐるしたりして時間がかかるもの。けれど、きっとそれは長い時間を過ごすうちに、自分のバランスや仕事との関係性が心地よいものではなくなってしまったから、見直しのタイミングなのだと思うのですね。だとしたら、もう一度選び直すって自然なことなのではないでしょうか。

自分を見つめ、キャリアを選び直すことが当たり前になる世界へ

もちろんすべての人に「止まる」ことを推奨しているわけではなくて、企業の中でどんどん上をめざしたいという人には「止まる」ことが足枷になることもあるだろうし、転職をするときにはまだまだ偏見もあります。

きちんとその期間をとった意図とか、そこで経験したことの説明ができれば問題ないはずなのですが、履歴書の空白期間ってそんなこと書けるスペースないのですよね、、、(そもそも「空白期間がある=ダメ人間」で思考停止している場合もあれば、人事の人たちも疲れているからそんなの聞く余裕がなかったり、キャリアの空白期間がある人を自信を持って推せないというのもある)

それから、社内でポジションを変えたり、人生のステージ変化できちんと自分の人生の見つめ直しができる人もいると思うので、一つの場所にいることが悪いことだとは思っていないです。たまに「一度も転職したことないコンプレックス」の人に出会いますが、それは一度目にちゃんと出会うべき会社を選べた自分を褒めていいと思うし、一つのことを長くできる才能でもあるので、まったく問題ないかと。


ヨーロッパだと「バカンス」があるし、北欧には「学び直し期間」が社会的なシステムに組み込まれていたりするけれど、日本社会は元々終身雇用だったからか、まだまだ「意図的な余白」をとることって一般的ではない気はします。けれど、本当に自分が生きている意味を思い出して、自分の向かいたい方向と、自分の生かし方がわかっている人が増えた方が、きっと社会はもっといいものになるはずなのにと思うのです。

加えて、身体も心も元気でエネルギーに満ちているほうが、いい仕事ができるだろうし、結果的に効率も良いはずなのですよね。

ちなみに、ここ最近「サバティカル休暇」とか「キャリアブレイク」という言葉を近しい人たちから聞く機会が増えてきたので、もしかしたらそういう時間を取ることがポジティブに捉えられる未来がくるのかもしれないぞ…? とかちょっとだけ希望を持てていたりします。

社会的な時間が止まると、心の時計が動き出す

と、ここまで書いていて気づいたのは、「止まって」いるのは世間的な時間で、自分の時間はちゃんと動いている気がするということ。「外」の動きが止まっている方が、「中(内)」のことがよく見えるのかもしれません。

ドイツの名作児童文学「モモ」にもこんな言葉が出てきます。

主人公のモモは、人々から奪われた時間を取り戻すべく「時間の国」に向かい、この世の時間を司るマイスター・ホラが住む<どこにもない家>をめざします。そして、そこにたどり着く途中で、すべてのことが逆さまになる<さかさま小路>を通ることになります。

「ゆっくり歩けば歩くほど、はやくすすみます。
いそげばいそぐほど、ちっとも前にすすめません」

ふと、今わたしは<さかさま小路>を歩いていて、<どこにもない家>に行こうとしているのかもしれないなーと思ったのでした。

なぜなら、周りの人から見たとき、今のわたしは何もしてないように見えるかもしれないけれど、今までずっと放置してきた「大事だと思うけれど、急ぎではないこと」に向き合えているから。「やりたいと思いながら、やれていなかったこと」にちゃんと手を伸ばせているから。

これは休んでみないとわからないことだったし、わたしも2回目にしてはじめて実感が持てたこと。もし、社会とのリズムがズレていて不安に思っている人がいたとしても、そのときにあなたの心が動いているなら、全然心配することないし「よかったね」って伝えたいと思います。


というわけで、何かちょっと行き詰まりを感じていたり、新しい自分を見つけたいと思っている人がいたら伝えたいこと。

❶まずは、社会の時間から一度距離を置くこと。なぜなら、社会の時間は本来機械の時間であって、あなたの人生の時計と同じ速度かどうかはわからないから。

❷そして、身体が求めているリズムを思い出すこと。個人的には、気がすむまで寝ることと自然のそばに行くこと、身体を動かすことがおすすめ。

❸そのうち、自然と心が動きたい方向を教えてくれるはず。最初は小さなことからでも心の声を拾っていくと、だんだん深い望みが上がってくる。

「やりたいことがわからない」という人も、まずは社会の時間から少し離れて、休むことからはじめてみるといいのでは? と思っています。

自分らしく生きる前には、本当の自分に戻る時間が必要。そのまんま、ただの自分の存在を受け入れるという意味でも「お休み」のもたらすギフトはすごいので、もし試せる人がいたら試してみてくださいね。


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