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東鳴子温泉

学生の頃から東北が好きで、休みのたびに18きっぷを使ってあちこち旅していた。なぜ東北だったのか、それは語るに恥ずかしい話でもあり、かつて私が好きだったものと関係している。高校生の頃、それまで中央公論社や晶文社の単行本、あるいはガロの特集でしか読むことのできなかったつげ義春の作品が、筑摩書房から全集の刊行が始まり身近になりつつあった。なけなしの金で全集を買い始めた私は、たちまちつげワールドに魅了され、そこからひなびた温泉地に興味を持ちだした、という訳だ。そんな野郎が次にはまるものといえば、東北出身の寺山御大と相場が決まっていて、本を読みあさり、『田園に死す』などの映画を繰り返し観て、ダゲレオ出版の『実験映像ワールド』VHSセットも手に入れ、そして『人力飛行機ソロモン』再演に合わせて友人と下北から津軽までを旅するに至った。それぞれに楽しかったが、当時の趣味嗜好を通じた自らのふるまいを思い出すにつけ、穴があったら入りたくなる。

こんなことがきっかけで、恐山にも何度か訪れた。まだ大畑線が健在だった頃、田名部から恐山ゆきのバスに乗って、車内で味のある民謡を聴かされ、恐山冷水なる湧き水を飲むために途中で降ろされてたりしているうちに、菩提寺に着く。菩提寺は建て替えられたばかりで求めるべき風情はなかったが、静かな宇曽利山湖と硫黄の噴気、積まれた石積み、カラカラ回る風車、北のきびしくて美しい光景は、大学に入ったばかりの私の心を鷲掴みにした。

恐山には、古びた小屋掛けの温泉が数か所わいていて、その中のひとつ『冷抜の湯』に入浴したことがある。立てつけの悪い引き戸を開けると中には誰もいない。源泉がちょろちょろと投入されていて、かけ湯をして入ろうにも熱くて入れない。なんとかからだを木の湯船に沈めた。硫黄の香りを満喫はしたものの、全身真っ赤になったうえ成分が濃いからヒリヒリすらする。東北の温泉にガツンとやられた瞬間だった。

その後も東北の温泉への愛はさめやらず、青森や秋田を中心に巡ったりしたが、実はつい数年前まで宮城の温泉に行く機会がなかった。これには理由があって、関西から東北へ18きっぷで貧乏旅行をしようとすると、東京経由の東北本線は列車の接続が最悪だった。一方、日本海周りで行くと、乗り継ぎも良く、ちょうど夜の新潟までたどり着けて、何かと好都合だったのだ。もっとも、宮城は東北でも栄えているイメージがあり、わかりやすくひなびた景色を求めていた私は、宮城のことを何も知らないくせに足が向かなかった、というのが正直なところかもしれない。

そんな宮城の印象を大きく変えたのが、東鳴子だった。五、六年前、仙台で朝早くに所用があった私は、長距離夜行バスで仙台に向かい、ほとんど眠れないまま仙台の街に放り出された。フラフラになりながらもなんとか用事を終えたお昼前、あとは帰るだけとなったものの、帰路も夜行バスを取っていたので、時間はたっぷりある。ふと調べてみると、ちょうど鳴子温泉方面へ向かうバスが出るタイミングで、あわててそのバスに乗りこんだ。仙台の都会からたかだか一時間ちょいで、噂には耳にしていた東鳴子にたどり着いた。

帰りのバスまで二時間以上あったから、こうなったらあちこち行ってやるぞと気勢をあげる。なんの前知識もなく『砂善(いさぜん)の湯』に吸い込まれたのだが、一軒目から無防備なあたまをトンカチで殴られるような衝撃を受けた。なんなんだこの強烈なアブラ臭は!さほど熱くもないのに、からだが同化してクラクラ溶けてくる、とんでもない湯だった。効能書きを見ると寝小便にも効くとあり、たしかにこの湯は寝小便の方から逃げ出しそうな力強さにみちている。

これはすごいところに来てしまった、と嬉しくなって次の湯へ向かう。玄関で優しそうなおねいさんと少し世間話をする。頑張って標準語を話しているつもりで一瞬にして関西人と見抜かれるのが関西人たる者の悲哀、「あら、私京都と縁があってネ~」と会話も弾んだところでお湯に入らせてもらう。「熱いからかけ湯してネ~」とすすめられるがまま、横にあったポリ浴槽からお湯をすくって浴びると、これがありえないくらい熱い。私は、かけ湯というのは湯船よりもかなりぬるいお湯で徐々に慣らすためのものだ、と思っていたのだけれども、どうやら勘違いだったようだ。後で東鳴子に通いつめていた方にお話を伺うと、「かけ湯テクニック」とは、熱い湯を浴びて楽に湯船に入るための技法らしい。そう知っていれば身構えられたのだろうが、雑にお湯をかぶった私は、またしても東鳴子の洗礼をうけることとなった。ただ、激しいかけ湯の甲斐あってか、広い湯船をじっくり楽しめたので、万事結果オーライである。

有名な『高友旅館』へも行った。こちらの黒湯はアブラ臭をこえて、廃タイヤを燃やした時のような、これまで経験したことのない不思議な香りがする。こう書くととんでもない悪臭にきこえるかもしれないが、それがまったくそんなことはなく、鼻腔にジワジワ馴染んできて、ずっと嗅いでいたいとさえ感じるものだった。褐色の湯には私ひとり、錆びた鉄の曲がりくねった配管からは湯気が漏れ、日本のスチームパンクかくあるべし、といった風情だ。先の二か所の温泉とすぐ近くにもかかわらず、それぞれ異なった個性的なお湯がわいているところも東鳴子の素晴らしさ。ただ素晴らしいということば以外の表現が見当たらず、これは東鳴子に完全に打ちのめされたな、と思った。

ふらふらになって温泉街を歩く。多少の商店はあるものののどかさを画に描いたような通り、帰路のバスの時間まであと三十分足らずだ。腹も減ったので、たった一軒しかない営業中の食堂に入ることにした。「すぐできる食べものは何ですか?」と店主に尋ねると、即答で「タンタンメン」だと言う。本当かよと疑いつつ、タンタンメンを注文すると、案の定これがなかなか出てこない。バスの時間は迫り、もう間に合わないんじゃないかと焦りだした頃合いで、やっとおすすめのタンタンメンが運ばれてきた。

一口食べると、店主がすすめるだけあって美味しい。でもメチャメチャ熱い。タンタンメンだから熱いのは当たり前と言えば当たり前だが、これをあと五分で食えというのか!東鳴子の湯に打ちのめされたと思っていたら、最後の最後で激熱タンタンメンの早食いという試練まで与えられるとは、東北の温泉というものは、何から何までぬかりがないのである。上アゴをベロベロにしながらもなんとか完食し、礼を言って会計をすませ、ちょうどやって来た仙台ゆきのバスに飛び乗った。翌朝、京都駅で夜行バスからふたたび放り出された後も、全身の強烈なアブラ臭と上アゴのひどいベロベロは消えなくて、否が応でも東鳴子の余韻たっぷりな日常をしばらく過ごすこととなった。

この何年か後、ふたたび東鳴子を訪れた。お目当てはもちろん素晴らしいお湯だけれども、それと同じくらい、いやそれ以上にこの食堂のタンタンメンをもう一度食べたかったのだ。今度はゆっくりタンタンメンをすすり、店主に以前も来たんですよと伝えると、そうか、ありがとうな、と恥ずかしそうに笑ってくれた。

寝小便もイッパツで治る
いさぜんの湯、タイルが美しい
激熱のかけ湯
黒湯で、完全に打ちのめされる
人生最高のタンタンメン
四半世紀前の記憶、絶唱『惜春鳥』(青森市にて)

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