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フォトグラメトリをした3Dモデルから意味を見出したい。 ー廃仏毀釈 その3ー

 私はフォトグラメトリで生成した3Dモデルを単に愛でるのも好きですが、その3Dモデルから何らかの意味を見出したいとも思っています。このシリーズでは私が作成した3Dモデルのうち、石塔や石仏、石碑の3Dモデルから私なりに読み取れたこと、そこから仮定したことを綴っていきたいと思います。
 そのシリーズ1回目のテーマは「廃仏毀釈」です。

 以下の記事は@musimarusanが個人サイト(現在は廃止)に掲載していた内容を基に改めて考察を行い再構成をしたものです

1.あと2つの題目塔

 このシリーズのシリーズ1とシリーズ2で計3基の題目塔の様子を見てきました。この題目塔はいずれも西東京市の下保谷とよばれる地域にあります。そして、下保谷地域にはさらに2基の題目塔があります。ここでは、それら題目塔の現状を確認してみます。

 1基はシリーズ1で扱った路傍の題目塔とシリーズ2で扱った下保谷天神社の中間ほどの位置にあります。ここでは説明の便宜上、シリーズ1の題目塔を「路傍の題目塔1」、そしてこの題目塔を「路傍の題目塔2」と呼ぶことにします。そして、もう1基は路傍の題目塔1から200mほど南下した位置の交差点の一角にあります。こちらを「路傍の題目塔3」と呼ぶことにします。
 それぞれの題目塔の全景を以下の3Dモデルにでご覧下さい。

 そして図2が路傍の題目塔2の、図3が路傍の題目塔3の各面の3Dモデルです。いずれも角の部位に大なり小なりの破損があります。図1では西面の文字が読み取りにくくなっていますが、これはフォトグラメトリ処理で表面状態を再現するに十分な写真を撮っていなかったためと思われます。いずれにしても、図1、図2の各面は文字部分を読めなくなるほどの損壊はないように思えます。表面状態の詳細をご覧になりたい方は以下の高解像度画像もご覧下さい。

図1 路傍の題目塔2の各面
図2 路傍の題目塔3の各面

 ただ、路傍の題目塔3については亀裂が入っていることが分かりました。図3は上面を中心に各面の一部を配置した画像です。亀裂が入っている部分の近傍に黄色線を引いています。各面の亀裂の入り方から考えると、南面の頂部は剥離し、北東の頂角を頂点とする三角錐状の部位が大きく分離したのではないかと思います。特に北東の部位は大きく損壊しているようですが、図4の題目塔上面の写真をみると大きな亀裂部分に沿って樹脂接着剤のような白い物質が付着していることが分かります。これは現代においてこの題目塔を移設する際に高所から落として破損させてしまったなどの「事故」が発生し、その修復をした可能性が考えられます。

図3 路傍の題目塔3の亀裂部分の拡大
図4 路傍の題目塔3の上面の写真

 このシリーズのその1では「廃物稀釈の風潮の煽りを受けて、文字部分が人為的に削られたのだ」と仮定しました。廃仏毀釈の運動は仏教的要素を排することが目的の1つだったと考えるのですが、もし題目塔が廃仏毀釈の影響を受けるとすれば、この「南妙法蓮華経爲法界」の文字(題目)が破壊されるのではないかと考えています。
 路傍の題目塔1については、南面の「南妙法蓮華経爲法界」の文字(題目)が読み取れないほど損壊していました。一方、下保谷天神社の題目塔2基には損壊はほとんどなく、路傍の題目塔2、同3については幾分かの欠損があり大きな破損の可能性があるものの、刻まれた文字(題目)に目立った損壊はないということが分かりました。この結果から考えると、この下保谷地域において廃仏毀釈の運動はそれほど徹底していなかったのかも知れないと考えることができそうです。
 今回対象とした地域の歴史について市史や郷土資料も調べました。シリーズ最終回はこれらの記述とこれまで見てきた題目塔の現状を照らし合わせて「題目塔がうけた影響」を考察してみます。

おわり