千種

ピアノを教えながら 子どもにわかり、大人にも楽しめる そんなクラシックに関するお話を書…

千種

ピアノを教えながら 子どもにわかり、大人にも楽しめる そんなクラシックに関するお話を書いています。 著作 「やさしく読める作曲家の物語」「猫の音楽界シリーズ」全五巻など

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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 40

10、交響曲への道  そもそも、彼が交響曲を作りたいと思いたったのは、まだシューマンが生きている頃の事です。   しかし、交響曲にしようと思って作曲を始めても上手にまとまらず、それらは結局ピアノ協奏曲や「ドイツ・レクイエム」の一部にと姿を変えてしまい、肝心の交響曲はなかなか形になりませんでした。 「ベートーヴェンがあんなに素晴らしい交響曲を9曲も作曲しているんだ。  その足音を聞きながらどんな曲を作ったら良いというのだろう・・・」 ブラームスは悩み、一時は交響曲の作曲を

    • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 38

      第四楽章 ブラームスの物語 8、カールスガッセ四番地  ユリエが結婚した翌年のクリスマス。 ブラームスはウイーンの中心部に近いカールスガッセ四番地のアパートに引っ越してきました。  「ドイツ・レクイエム」の成功によって、一躍有名な作曲家となったブラームスは、ウイーンの、いえ、世界の名門「ウイーン楽友協会」から音楽監督という名誉ある職につくことになったのです。  楽友協会は、合唱団やオーケストラ、音楽院を持つ伝統ある音楽団体で、この協会のホールでは今でもお正月に「ニュー

      • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 37

        第四楽章 ブラームスの物語 7、失恋・・・。   「ドイツ・レクイエム」の完成が近づいたころから、ブラームスは自分の住まいをウイーンに定めようと考え始めていました。 「それは良い事だわ」 と、クララも大賛成です。 「私も出来ればウイーンに住みたいくらいよ。 後は早くお嫁さんをもらってあなたの家庭を作らなくては・・・。 誰か良い人は居ないかしら。あのアガーテさんと結婚できていたらねえ」 ブラームスだって、できれば心安らぐ家庭が作りたいと願っていました。 彼はモテないわけでも

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 36

          第四楽章 ブラームスの物語 6、ドイツ・レクイエム 「ハハキトク、スグカエレ」 1865年の2月。 弟・フリッツからウイーンのブラームスのもとに電報が届きました。 「どうしてこんな急に・・・。もう生きているお母さんには会えないのだろか」 そんな不安を抱いたまま、彼は真冬の道をハンブルクへと急ぎます。  この前の年の春、ジングアカデミーの仕事をやめたブラームスは、一時ハンブルクに帰っていました。  というのも、両親は相変わらずけんかが絶えず、一緒に暮らしている姉のエリゼ

        やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 40

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 38

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 37

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          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 35

          第四楽章 ブラームスの物語 5、バーデンの夏   一方、クララもまた変わらず演奏旅行を続けていました。クララ・シューマンの名は、名ピアニストとしてますます高まり、同時にクララの努力の甲斐あって、シューマンの音楽も広く知られるようになっていました。  ハードなスケジュールをこなすクララは、時に手を痛め苦しむこともありましたが、同じようにピアニストになった長女のマリエが演奏旅行について来て助けてくれるようになり、気持ちも大分楽になりました。  ブラームスから届く手紙も相変

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 35

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス34

          第四楽章 ブラームスの物語 4、 ウイーンへ 「先生、今年こそウイーンへいらっしゃいませんか?」 1863年の夏、相変わらず決まった仕事もないまま、ハンブルクで作曲を続けるブラームスに、そんな言葉をかけたのは、ハンブルク合唱団のメンバーの一人・ペルタです。ウイーン育ちのペルタは以前からウイーンの自慢話をしていました。   「音楽の都と言えばやはりウイーンですよ。ベートーヴェンやシューベルトが過ごした街ですし、何と言っても伝統がありますからね。 街中に音楽があふれていて、

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス34

          やさしく読める作曲家の物語 33 シューマンとブラームス

          第四楽章 ブラームスの物語 3、葛藤  協奏曲の失敗と、アガーテとの別れのショックから立ち直れないブラームスは足取りも重くハンブルクに戻って来ました。  ところが・・・ 「先生、お待ちしていました。お帰りなさい」 おやおや? 落ち込んでいるはずのブラームスが若い女性たちに笑顔で迎えられています。 実は、彼女たちは前の年からブラームスが指導をしているハンブルク女声合唱団の女の子たちです。 「私も君たちに会うのを楽しみにしていたよ。・・・ずいぶん人数が増えたね」  こ

          やさしく読める作曲家の物語 33 シューマンとブラームス

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス  32

          第四楽章 ブラームスの物語   2、新たな道 1857年1月1日  ライプチヒのホール、ゲヴァントハウスは、いつもとは少し違ったざわめきであふれていました。この日、クララ・シューマンはひさびさにこの舞台に立って演奏したのです。 「シューマンさんが亡くなって半年か。やっぱりクララは少しやつれたね。  顔が青白かったよ」 「それはそうでしょう。余りにも色々な事がありましたものね。あんなに若くして未亡人になってお気の毒だこと。私は演奏を聴いて涙が止まらなかったわ」「わたしは

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス  32

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 31

          第四楽章 ブラームスの物語 1、 旅立ちの秋 「いよいよ行くのね」 1956年10月。  ロベルト・シューマンが亡くなって3か月。 深まりゆく秋のデュッセルドルフ駅にブラームスとクララの姿がありました。 「ロベルトが亡くなり、大きな子供たちは寄宿舎や親せきの家に行ってしまい、そしてあなたまで故郷のハンブルクに帰ってしまう・・・。 寂しくなるわ。まるでもう一回お葬式をしているよう。」 いつになく気弱なクララにブラームスも心が揺れます。 「クララ・・・。でも、またすぐ

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 31

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 30

          第三楽章 シューマン、ブラームス...そしてクララの物語  3.別れ・・・そして  クリスマスが近づき、クララは途中まで迎えにきてくれたブラームス共に懐かしい我が家に帰ってきました。 「お母さま、お帰りなさい!」  家にたどり着き、子どもたちの笑顔を見ると、クララは旅の疲れも苦労も吹き飛ぶ思いがしました。 「ぼく、こんなに大きくなったよ」 「字が書けるようになったの」 「ヘル・ブラームスがお父様の曲を教えてくださったのよ。あとで聴いてね」「お母さまお土産は?」  にぎ

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 30

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 29

          第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語    2.それぞれの決意  シューマンが入院したエンデニヒの病院は眺めのよい静かな場所で、彼には二部屋続きの広い部屋が与えられました。病院には、ボンという場所にふさわしく、ベートーベンの銅像もありました。  初めは興奮していたシューマンも、自然に囲まれた病院で過ごすうちに次第に安定したように見えました。その後も良くなったかと思うとまた悪くなり、という事を繰り返しながら、それでも段々病状も気持ちも落ち着いてゆくのでし

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 29

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 28

          第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語 2、運命  ブラームスが去って火が消えたように寂しくなったシューマン家ですが、実はブラームスと過ごした楽しい日々の裏側で、音楽協会とシューマンの間は、とんでもない事態になっていました。  と言うのは、シューマンが指揮をした10月半ばの教会での演奏会が大失敗で、怒った合唱団はもうシューマンの指揮では歌わないと言いだしたのです。シューマンは自分の世界に入り込み過ぎて、もう他の人の指揮をすることが出来ない状態になっていたの

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 28

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 27

          第三楽章 シューマンとブラームス…そしてクララの物語 1、新しき友、新しき道  さて、お話しをまたシューマン家に戻しましょう。 ブラームスがシューマン家を訪ねてきた翌日。 家の前には、昨日と同じようにブラームスが立っています。 ふう…. 大きく息を吐いて不安な心を追い払うと、彼は勇気を奮い起こしてシューマン家のドアをたたきました。  「シューマン先生はいらっしゃいますか?  あの… き、昨日もお訪ねしたブラームスと言います。  あ、その….ハンブルクから来ました」 ち

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 27

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 26

          第二楽章 少年時代のブラームスの物語 2、運命のとびら   ヨハネスの住むハンブルクはヨーロッパでも指折りの大きな港町で、色々な国の人たちがこの港から遠い国へと旅立って行きます。  そんな旅人達のなかに、ハンガリー人のエドヴァルト・レメーニというヴァイオリニストがいました。  この頃ハンガリーは、支配されていたオーストリアから独立したいと市民達が立ち上がって革命を起こしたのですが、革命はあっけなく失敗。音楽家でありながら革命に加わっていたレメーニは国を追われて、ハンブル

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 26

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 25

          第二楽章 少年時代のブラームスの物語 1、貧しき少年巨匠 「それじゃ、行って来ます・・・」  日が暮れて、あたりがたそがれ色に染まる頃、ヨハネスは金髪を風になびかせながら狭い路地を通り抜けて行きます。  彼は14歳。うつむき加減の青い瞳にまだ子供っぽさが残る少年です。 「いつもすまないね。気をつけて行くんだよ」 お母さんに見送られてヨハネスが向かったのは、小さな酒場です。 「おや、ヨハネス、今日は早いね。」 「こんばんは、おかみさん。今日もよろしくお願いします。」 店

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 25

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 24

          第一楽章 シューマンの物語  23、 病の影  しかし、この音楽監督として2年目の後半、1852年の春頃からシューマンの体調はまた悪くなってしまいます。 「これはリューマチなの。しばらく休めは治るわ」 そうクララは信じていましたが、夜は眠れないしふさぎ込むなど、いわゆる「うつ」の状態が続きます。動作ものろのろとして言葉も重く、とても指揮を出来る状態ではありません。お休みをもらって休養にでかけましたが、効果はありませんでした。 そこで夏には、オランダまで海水浴療法に出か

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 24