【差別と悪意エピソードゼロ】女性が苦手になった原因

 連載エッセイ「差別と悪意」が先日完結を迎えた。今までの比較にならない量の反応をいただいて、辛かった日々が報われたような気がした。そこで今回はまだ誰にも話したことがないエピソードを書いてみる。それはズバリ「俺が女性に苦手意識を持つようになった理由」だ。一番大きな原因は学生時代にある。女性読者には少々きつい内容かもしれないが、多くの方に読んでもらえたら嬉しい。

 高1の時の担任が、およそ教師とは思えないようなエロ親父だった。2ヶ月に1回くらいのペースで、キャバクラに行ったという話を俺たち生徒に聞かせるような人間である。しかも、店で撮った写真まで見せてくるのだ。セクハラまがいの言動を俺たちに自慢しながら、である。
 ここまででも十分教師としてあるまじき姿だが俺は、まあそれはよしとしていた。男ならそういう欲望はあって当然だと割り切ったのだ。そうしないと担任との関係性が崩れそうで怖くもあった。

 事件が起きたのは1学期も終盤にさしかかった頃だ。
 俺たちの学校には「介護等体験」というイベントがある。将来福祉関係の仕事に就きたいという学生たちが、俺たち障がい者と一緒に学校生活を送るのだ。食事の介助や時には授業まで、特別支援学校で体験できるあらゆることに参加する。
 俺たちのクラスにも学生が入ってくれた。女子大生だった。当時の俺は女性と接したことがほぼなかったので、ものすごく緊張していたらしい。しかしせっかくのチャンスだからと、俺は頑張って彼女に話しかけた。問題が起きたのはここだ。
 俺は緊張すると、全身に力が入ってしまう。それは意思によってコントロールできるものではない。特に強く力んでしまうのが足で、緊張すると棒のように伸びきったまま固まってしまう。当然、女子大生に話しかけた時もそうなった。するとあのエロ親父が、こう言ったのだ。
ドラゴン、お前なに興奮してんだよ。足があそこみたいに立っちゃってるじゃん
 ……とまあ、実際はもっと直接的な表現だったが、とにかくそういう意味のことを言われた。俺はもちろん、女子大生の方も固まってしまい、気まずい沈黙が流れた。当時の俺にはそっち方面の知識はほぼなかったが、なんとなく「今この人すごいこと言ったよね」という程度の認識はあった。
 介護等体験2日目。俺は前日の帰宅後に、あの言葉の意味を調べて大変なショックを受けた。なぜあの時否定しなかったのかと後悔した。おそらく女子大生の方はもう何も気にしていなかったと思うが(俺が何かしたわけじゃないし)、こっちはそうはいかない。「また足が棒になっちゃったら、昨日のことを思い出させて不快にさせてしまうかもしれない」。そう思うと自分から話しかけることができなくなった。

 校外学習に行った時もそうだ。帯同した養護教諭の女性があのエロ親父のタイプだったらしい。「壇蜜」というあだ名をつけ、俺が緊張していると見るや「ドラゴンもあれとやりたくないか? 勇気を出して告白しろ!」と俺をその先生の目の前まで連れていった。もちろん上記のやり取りは、彼女にも筒抜けである。気まずいことこの上ない。しかしこのタイミングで逃走するわけにもいかず、「バスで隣に座ってくれませんか?」と精いっぱいの言葉を伝える。
 もちろん、年代の近い女性と話せることは素直に嬉しい。しかし経緯が経緯なので、会話が弾むはずもなかった。「俺の担任がすみません」、「ドラゴンくんは全然悪くないよ」と言っている間に目的地に着くのだ。人生であんなに気まずい時間はなかった。

 このふたつの事件があって以来、「俺は女性と関わらない方がいいのではないか」と考えるようになった。過度に緊張してしまう俺が悪いし、それを表に出してしまうといいことがない。周りには面白がられるし、当の女性には「キモい」と思われてしまう。何よりもまた足が棒のようになって、女性にそういう連想をされてしまうのが怖い。俺は女性と、ただ仲良く話したいだけなのに。
 これについては、どうしたらいいのか俺にも分からない。「緊張しないようにする」というのはおそらく不可能だからだ。これはいわば条件反射や生理現象と同種のもので、それを抑えようとしても限界がある。だからこの記事を1人でも多くの女性に読んでもらって、意見をいただきたいと思う。
 最後に一言。
 俺だって普通に女性と話したい!

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