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【百物語】金縛りの夜、脱力のその後

 急に、ぽっかりと目が覚めた。
 もちろん、まだ真夜中なのはすぐに分かった。一応、腕を伸ばして枕元の目覚ましを手にして時間をみると、時刻はやっぱり午前 2 時 5 分前。
 ベッドに入った時間が、11 時過ぎだったから、まだ 3 時間も寝てない計算になる。
 まだこんな時間だってのに、こりゃまた妙にすがすがしく目が覚めちゃったなぁ……
 時刻が分かると、次に部屋の様子が気になってきた。タイマーをセットしておいたので冷房はとっくに運転を止めてしまっている。部屋の中は気にする程でもないものの、全ての窓を閉め切っているので空気が重く澱んでいて、やはり暑い。
 もう 1 ~ 2 時間冷房をかけようか……私はそう思ってリモコンを取る為に寝返りを打とうとした、すると。
 パキン
 そんな音が聞こえたと同時に私の身体が指先一つ動かせなくなってしまった。……金縛りだ。
 おいおい、またかよ。
 金縛り事体は、別に珍しい事じゃなかった。疲れた時とか寝入りばなに、私はよく金縛りにあう事がある。もちろん私の場合のそれは心霊現象なんていうおどろおどろしいものじゃなくて、生理的に説明のつく類いの金縛りである。
 現に、実際に金縛りにあう事が多い割には、よく耳にするそれ以上の接近遭遇(?)なんてものには一度としてお目にかかった事がない。
 もともと所謂“霊感”が強かったためしもない筋金入りの鈍感である私の事、幽霊なんてものは物語の中だけの存在だったし、この金縛りにしたって、せいぜいちょっと不快に感じる程度の事で別に害があるわけでもないのだからと、今まで私はそれほど気にとめた事もない始末である。
 だからその夜だって最初は「困ったな」とは思いつつも、それほど真剣に身体を動かそうともがいたりはしなかったのだ。もうすっかり慣れたものである。どうせしばらく好きにさせておけば、自然に--忘れた頃に--解けるか、またはそのまま忘れて寝入ってしまうか、そのどちらかなのだから。
 しばらく凍ったマグロよろしくベッドの上に転がっていると、部屋の暑さが段々と意識にのぼってくるようになる。中途半端にかけられた毛布が、なんだかよけいに暑苦しさを増すような気がするのだが、払い除けようにも身体は動かないのだからどうしようもない。
 しばらくの辛抱、しばらくの辛抱、しばらくの辛抱……
 私は観念して胸の内でそう呟く。
 ところが、である。
 ふいに、天井を見つめたままの私の横目に、何かが映り込んだのだ。
 人影。ドキッとして私はもう一度その方に意識を集中する。すると、それは薄ぐらい部屋の中に立つ背の高い男性だと分かった。
 私の部屋の隅に、誰かがいる! その瞬間、私の身体をまるで冷や水を浴びせられたような寒気が襲った。
 誰だ、あれは。もしかしたら、泥棒じゃないだろうか。空き巣狙い? 押し込み強盗? だがそれにしては、服装がおかしい。泥棒があんなスーツを着るだろうか。それじゃ、殺し屋、テロリスト。……いや、私は平凡なサラリーマンだから人から恨みを買うような事なんてあるはずがない。だから殺し屋ってセンはないだろうし、もちろんテロリストなんて論外。家族にはあんな男はいやしない。……親戚? も、違う。こんな男は見た事もない。そもそもこんな真夜中に誰が私の家の中にいるというんだ。と言う事は……
 幽霊、なんだろうか。
 これがあの、幽霊というやつなんだろうか。
 この金縛りも、今夜に限っては、まさか幽霊の仕業だというのか。
 そう思ったとたん、私の頭は恐怖で一杯になった。目を閉じるべきなのか、見開いて見続けていた方がいいのか、それすらも分からなくなってしまった。見るべきなのか、見ないべきなのか。唯一自由になる眼球をぐるぐる動かして、天井の木目と部屋の隅とに交互に目を向けながら、一体どうしたらいいのかを考えようとするのだが、どうもうまくいかない。
 心臓はばくばくと鼓動を早め、背中からは暑さによるものとは違った種類の汗が吹き出しているようだ。頭の血管が裂けるんじゃないかと思うくらいにずきずきと脈打つのを感じる。先ほどまでの暑苦しさなど、どこかへ吹き飛んでしまっていた。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう……
 やがて、その人物がつい、と動いたのが目に入った。
 流れるような動き。およそ人が歩いているようには見えない、映画やテレビでよく見るような滑るような動作だった。妙な気味の悪い動きで、ゆっくりと、すーっと流れるように、男はなんと、私に近付いて来たではないか!
 やめろ。来るな、こっちへ来るな。
 ここに至って私は恐怖でパニックに陥ってしまった。そりゃ、無理もないだろう。今までこんな目に合った事など一度だってないのだ。ずっと霊感なんてものには縁がないと信じて生きて来た私。幽霊に出会うなんてある訳がないと思っていた私。知らず知らずのうちに目尻から悔し涙がこぼれる。……どうしてこの男は、よりによってそんな私のところになぞ化けて出て来たのだろうか。
 近付いて来たので姿がよく見えるようになった。やはり泥棒なんかじゃない。グレーのスーツを着た初老の男。その顔にはやはり見覚えはない。全くの赤の他人であった。
 男は私の枕元に立つと、じっと私の事を覗き込んでいる。目と目が、合う。何とも言えない、いや~な色の暗~い瞳が私を捉えた。
 ……や、やめろ、やめてくれっ!!
 そんな目で、私を見るなぁっ!!
 叫び声を上げようとしたような気がする。もちろん、声などはちっとも出やしなかった。
 身体を動かそうと必死になってもがいた。もちろん、手の指一本すら動きはしなかった。
 恐怖からぎゅーっと目を閉じようとした。もちろん、目は男に釘付けになってしまった。
 私に出来る残された事は、いささか陳腐ではあるが、うろ覚えの念仏を唱えるくらいだった。それにどれだけ効果があるのかは--今から思えば--疑問なのだが、もちろんその時の私はそれどころではない。目の前約 1 メートルの距離で気味の悪い幽霊と顔突き合わせているのだから、そりゃもう必死になって頭の中で念仏を何度も何度も繰り返す。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……
 私の念仏にも、見下ろす男には別段の変化は見られなかった。じっと、無表情で私を見つめる男。……こ、恐い。マジで、恐い。このままだと私はどうにかなってしまいそうだ。
 やがて、しばらくそうしていた男は、何と私の顔に屈み込んで、……いや、私の耳もとに口を近付け、
「………………」
「うはうああああああああぁっ!」
 私の耳もとで男がぼそっと何かを言ったのと、私が言葉にならない悲鳴を--ようやく--上げたのがほぼ同時だった。
 声が出ると共に、それまで私の身体を押え込んでいた金縛りが解けた。弾かれたように半身を起こして部屋を見渡す。思わず身構えつつ、それまで男がいた枕元に振り返ったのだが、--だが男の姿は、部屋のどこにもなかった。自分の部屋の中には、寝る前と同じように私一人だけしかいなかった。
 男はどうやら、消えてしまったようだ。つい今し方までこのベッドの横に誰かが立って自分を覗き込んでいたなんて、まるで嘘のようだ。
 私は力つきたようにもう一度ベッドに倒れ込んで、ため息をついた。
 幽霊だった。
 あれは間違いなく、幽霊だった。
 幽霊を見てしまったという事実に、私は少なからず動揺を覚えていた。
 何よりも、それまで何でもなかった金縛りの最中の出来事だというのが、決定的だった。
 改めてベッドに横になると、背中がひんやりと冷たかった。汗びっしょりになっているのが自分でも分かる。心臓がまだドキドキいっている。金縛りの後の気だるさが全身にはり付いていて、何だか気分まで悪くなってきた。唾を飲み込んで、私は手の平で顔を拭う。ベッドの上で大の字になりながら、とにかく身体を休めるべきだと自分に言い聞かせる。
 そうだ、とにかく、寝た方がいい。……朝になって目が覚めれば、この事は夢だったのではないかと思えるかもしれないし、……いや、今だってもしかしたら、夢の続きなのかもしれないし……
 --そう言えば、私は冷房のスイッチを入れようとしていたんだった。私は額の汗を手で拭ってその事を思い出し、冷房のリモコンに手を伸ばそうとして、ふと どうしたわけかあの幽霊が最後に言った言葉を思い出した。
 自分の叫び声の中でも、その言葉はやけにはっきりと聞き取る事が出来た。
 あの幽霊は、私の耳もとでこう呟いたのだ。
「打撲で死んだ、僕」
 あの男は打撲で死んだのだろうか。自分の死因を伝える為に、私の前に出てきたのだろうか。
 ……いや、ちょっと待て。
 その言葉を呪文のように頭の中で何度か繰り返しているうちに、いかな鈍感な私にも、この言葉の意味が飲み込めて来た。理解すると同時に、それまでよりもより大きな脱力感が全身を支配する。思わず私の口からため息が漏れた。
 ……もしかしてあの幽霊、これが言いたくて出て来たんじゃ、ないだろうな。
 こんな……下らない、オヤジギャグを。
 もしそうなら、いい歳して涙まで流してビビった私はまるで馬鹿みたいではないか。
 思わず私は手にした冷房のリモコンを取り落とした。リモコンを拾おうと床に手を伸ばし、思い直して身体を起こしてベッドに寝転んだ。まあいい。思わぬ寒けも味わった事だし、今夜はこのまま寝る事にしよう。そうだそうだ、そうしよう。
 私は勢いよく頭から毛布をかぶって、ベッドの上で丸くなる。
 あらゆる点からしても、今夜の出来事は早く忘れてしまいたかった。



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