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【百物語】携帯電話

 帰宅途中、電車を乗り換えようとすると、どこかの駅で人身事故があったとかで、電車が止まっていた。駅は人であふれ、雨が降っていて、まとわりつくような蒸し暑さだった。おれは駅を出て、食事をし、本屋で文庫本を買って喫茶店で半分ほど読んでから駅にもどった。二時間ほど時間をつぶしたことになるだろうか。ダイヤは乱れたままだったけど、電車は走っていた。なんにしても都会の交通機関はこういう場合には強い。その時間の乗客のかなりの数は、今日、どこかで人身事故があったことさえ、気づいていないだろう。
 そんなことを考えながら、電車を降りたのだけど、なにか違うような気がした。なにか……そう、かえって、整理され、漂白されたような感じだった。人身事故があったのはこの駅なのだ。電車が走り去り、人々が足早に階段を降りてゆくと、雨の音と、それから、ネオンライトのジィー、ジィーという音が聞こえてくるだけだった。
 携帯電話がホームの端のベンチの上にポツンと取り残されていた。

 応対した駅員は心底くたびれたようだった。この上、遺失物のひとつやふたつ、というのが心境なのだろう。どこか泣き出してしまいそうな顔で、用紙に記入していた。おれは人身事故のことを尋ねてみた。駅員は、どこかほっとしたように、飛び込み自殺のようでしたよ、と言った。
 自殺?
 ええ。若い女の人。
 遺失物を入れる袋を持ってきた。「携帯電話」と書き込みながら、彼は、小さく笑った。
 こりゃまたでかい携帯電話ですね。
 もう何年も前のものみたいだ。色あせて、ひっかき傷も無数についているような携帯電話。駅員はひょんと遺失物袋に入れて、それから口を閉じた。
 そうして、それで終わりのはずだった。

 雨は夜半過ぎに小降りになっていた。電話の音で起こされたのだが、それはおれの部屋の電話ではなかった。
 プルル、プルル……
 音は鞄の中からで、あけるてみると、駅で見つけたあの携帯電話があった。
 なぜ?
 とりあえず、電話に出てみた。電話は無言だった。ずっとずっと無言で、それから、プチッと切れた。ただ、なんというか、遠く微かに音がするのだが、それがなんなのかはわからなかった。

 次の日、おれは昨日の駅員をつかまえた。駅員はきつねにつまれたような顔で、奥から遺失物袋を持ってきた。中はもちろん空っぽだった。駅員は頭をかきながら、いや~すみませんね、と苦笑いを浮かべた。結局、駅員に渡して、そして帰った。
 だが、家に帰ると、やはり携帯電話は鞄の中から出てきたのだった。そして、二時。携帯電話はまた鳴り出した。
 プルル、プルル……
 今度も無言だったが、背後の雑音はもう少し、はっきりと聞えた。「シャーッ」と。それは波の音のようにも聞えたし、雨の音のように聞こえた。やはり一言も発っしないうちに切れてしまった。
 次の日、駅員はいなかった。おれはしかたなく鞄の中に携帯電話を入れたまま家に帰ってきた。そして、午前二時。
 プルル、プルル……
 やはり電話が掛かってきた。雑音は雨の音だった。もう、はっきりとわかる。土砂降りの雨の音だ。そして、電話の向こうの息遣いも。おれは電話を切った。電話がまた鳴りだしたが、おれは出なかった。
 プルル、プルル、プルルル、プルルル……

 次の日も駅員の姿はなかった。
 おれはすっぱりと終らせてしまう行動に出た。つまり、駅を出て、家とは反対方向のあまり人通りのない道に入り、見つけたごみ置場の前で鞄を開けた。すると、それをどこからか見ていたように、携帯電話が鳴り出したのだった。
 プルル、プルル、プルル、プルル……
 雨の音だった。土砂降りの雨の音だった。それから女の声で、
「あなた、だれ?」
 おれは、一瞬、全身の毛が総毛立った。なんともない声だったが、そこにはなにか尋常じゃない雰囲気があった。
「あなた、だれ?」と女の声はくりかえした。
 おれは電話を切った。すると、すぐにまた、電話が鳴り出した。電源を切ろうとして……
 ドクン……
 電源は最初から切れているのだ。では、一体、今、鳴っているのは、これはなんなのだ?
 プルルル、プルルル、プルルルルルルルル……
 心なしか、電話の音自体大きくなってきているようだった。
 プルrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!!!!!!
 おれは電池ケースの蓋を(ヤメテ、ヤメテ)……それはなぜか異常にかたかったが(ヤメロ、ヤメロ)、なんとか開けた。(ギャー!)すると、手にどろりとなにかが垂れてきた。血だった。電池ケースの中になぜか、血がたまっていて、溢れてくるのだ、次から次へと。その間も電話はプルルル、プルルルと鳴り続けた。やめて、やめて、と言っているように。おれは電池をコードから引き抜いた。その瞬間、「ぎゃーっ」という声が聞えたような気がした。おれは携帯電話と電池をその場に放り投げて、走って逃げた。それから鞄も。走っている最中、なぜだかそれらしい音がしたから。


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