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【百物語】風のサブリミナル

いきなり襲ってきた影に不意を突かれ、僕の右腕に激痛が走った。
その痛みを堪えながら、足元に置いていた護身用の鉄パイプを握る。
焚き火に照らされた相手は、全身を覆い隠すマントのような布きれをはおっていた。
同じように鉄パイプを握っている。
息をつく間もなく、再び飛びかかってきた。

すでにこの世界に秩序はない。
ほんの些細な事から勃発した戦争は一時的に世界を混乱に陥れた。
しかし、戦勝国と敗戦国が決まった時点で終息すると思えた騒乱は、なぜか様々な争いを誘発させたのだ。
人種差別、経済格差、宗教論争、なんてもんじゃない。
皆が、日頃の鬱憤を晴らすかのように、気に入らない奴を襲い、弱い者を襲い、欲しい物のために襲い、時には単にゲームとして誰かを襲った。
あの戦争をきっかけに、人々の心の中の”たが”みたいなものが外れてしまったのかもしれない。

鉄パイプがぶつかりあい、ガキン! と高い金属音を発する。
相手は無言でただひたすらに殴りかかってくる。
おそらく僕が焚き火で焼いていた肉の匂いを嗅ぎつけたのだ。
「少しだけなら分けてやる! だから、やめろ!」
僕はそう叫びながら、なんとかこの状況を打開する方法を考えていた。

社会のルールが崩壊し、様々なインフラが機能しなくなり、今では食料を得るのにも殺人や強盗がまかり通る。
文字通り、無法地帯。
なぜ、こうなってしまったんだろう?
その疑問に答えるかのように、まことしやかな噂が流れていた。
サブリミナル効果だ。
あの戦争が起こった時、敵国撹乱の手段として、相手国のありとあらゆるメディアにサブリミナル・メッセージを埋め込んだ、というのだ。

『殺せ、おまえの嫌いな奴を殺せ』

そして、そんなメッセージが地球規模のネットワークに乗り、無差別に人々の心を歪めてしまったのだと。
もちろん、すでにそのネットワーク自体が崩壊した今では、それを検証する方法もない。
ただ、生きていくために戦うしかないのだ。

僕は少しずつ後退し、相手を油断させたところで、一気に体当たりをくらわせた。
相手は地面に叩きつけられながらも、鉄パイプを構えて隙を見せない。
しかし、僕の作戦通り、マントに焚き火の炎が燃え移っていた。
慌てて地面をころがりながら火を消そうとするところに僕は馬乗りになる。
暴れるのを無理矢理押さえつけ、顔面を殴ろうとした。
その時、焚き火の灯りに浮かび上がったのは、おびえる少女の顔だった。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう?
まるで弱肉強食の世界。
それはある意味「自然な世界」なのかもしれない。
社会というルールがなくなれば、人間もただの動物なのだろうか?
いや、それとも、本来の姿に戻っただけなのだろうか?

少女が僕の腕に噛みついた。
「やめろっ!」
僕は誰も殺したくはないのだ。
僕は人間らしくありたいのだ。
僕にそんな事をさせるな。
僕に君を殺させるな。
お願いだから。

その時、
冷たい風が吹いてきて、焚き火の炎を揺らめかせた。
彼女の瞳に憎しみの炎が宿り、
そして、僕は力の限り鉄パイプを振り降ろした。

疲れ果てた少年はぐっすりと眠りに落ちている。
冷たい風から身を守るように体を丸めて眠っている。

その「風」の音に耳をすましてみるといい。
秘かに仕組まれたメッセージが、もしかすると聞こえるかもしれない。


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