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文具業界不完全就職ガイド Nさん(47) 書籍卸文具部門 → 文具卸



ー お生まれはいつですか?

N  1974年の1月生まれですね。

ー  どのあたりでお生まれになったんですか?

N  相模原で生まれてずっとその辺りに住んでましたね。

   相模原の隣町が大和なんですが今はその辺りに住んでます。

   祖父母のルーツは九州の鹿児島だと聞いてますが

   祖父が仕事の都合で東京に出てきて

   父親からは東京で生まれ育ってます。

   父が大学で母と出会って早くから結婚して

   それから相模原に住んでます。

   母方の家に団地に部屋があって

   そこに生まれてから小中高と18歳まで住んでた団地っ子ですね。

   それで18で浪人した時に隣町の大和に

   親がマンション買ってそこに一緒に住んで

   就職して4,5年はそこに住んでましたね。

   妻とは大学の時にスーパーで働いてる時に

   二十歳で出会ってそれからの付き合いですね。

   二年間だけ世田谷の千歳船橋に住んでいた時があったんですよ。

   神奈川の人間は皆多摩川の向こうの東京側に

   住んでみたいという願望があるんです。

   相模原から東京方面に出かけた時って

   東名横浜町田インターから乗っていくんですが

   東京の用賀インターで降りて最初の案内板に

   「千歳船橋」

   って書いてあってその文字に

   相模原の人間からするとモダンな何かを感じて

   いつかは世田谷に住んでみたいな~と思ってましたね。

   自分が大学生の頃に

   下北沢に憧れが強くていつか住んでみたいという

   気持ちが強かったんですよ。

   それで社会人になった時に

   探してみたらお風呂もあってトイレもあって

   駅から歩いて五分で

   家賃六万であったんですよ。

   それなら相模原ともそんなに変わらないなと思って

   住んだ時期が二年ほどありました。

   あと仕事で転勤になって名古屋に二年働いてる時期がありました。

   やっぱ子供に相模原の土地で育ってほしいって

   いう気持ちがありますね。

   何にもない所なんですけどね。

ー  昔、相模原に行った時に

   ものすごいネオン街があって衝撃を受けた記憶ありますよ。

N  あれは小田急相模原のあたりに昔あったんですが

   もう10年前で今はマンションが立ち並んで

   健全な街になりましたね。

   あそこは相模原と座間の境目で

   そういう市と市の境は警察の管轄とかの関係で

   そういう店が栄えるらしいんですけどね。

ー  子供の頃はどうやって遊んでたんですか?

N  近所に公園は多くて秘密基地を

   作ったりできる環境ではありましたね。

   自転車でちょっと行くと山があったり相模川でザリガニとったり

   田んぼで遊んだりしてましたね。

   今は自分の子供には危ないし学校にも言われてるので

   そういう時には行かせない様にしてますね。

   ファミコン世代なんで小4の時にスーパーマリオが出たので

   気が付いたときにはゲームがありましたし

   コロコロコミックとかあったのでビックリマンとかが

   すごく流行ってましてそういうのにすごく影響を受けましたね。

   今回子供の頃の自分を思い出そうとしたんですが

  

 何かにやる気のある少年ではなかったですね。


   親が教育にお金をかけてくれて中学受験するために

   町田にある塾に行かせてくれたんですよ。

   公立にそのままあがるのが一般的な時期に。

   でも自分自身にそこまで意欲がなくてテレビゲームやる方に

   流れちゃって中学受験が全部落ちちゃったんですよ。

ー  全部ですか?

N  全部ですね~

ー  勉強できなかったんすか?

N  できませんでしたね~。

ー  成績は良くなかったんですか?

N  特別できないというわけではなくて

   全部ふつうという感じでしたけどとりたてて


   なにかが得意というわけでではなくて

   半端な感じでしたね。

   親は努力してくれたんですが

   自分が最低限塾は行くけど家ではゲームしちゃったりで

   それで全落ちでしたから親には申し訳なく思いましたね。

   高校三年生まではそれまでなにか

   本気にやったことはほんとになくて

   中学高校も同じようになんとなくそこそこできるという感じで

   夢があったり将来こういう風にしたいというのはなくて

   地元の公立の中学高校に通って

   部活は中学は軟式テニスやって高校は帰宅部で

   そこまで何かに打ち込んだというわけではなくて

   友達はいたんでゲームしたり麻雀やったり

   プロレスや漫画を好きになったり

   はしたんですが
 
   高校受験の時は苦なく普通のところにはいれました。

   のちにいくつか運よく内定をもらったうちの一つが出版業界で

   そこがお茶の水で水道橋にむちゃくちゃ

   近いということになるんですが。

   それで進路をどうしようという話になるんですが

   最初は大学行くつもりはなかったんですよ。

   親もそんなになにか言ってくる感じでもなくて

   調理師の学校行こうかなと思ったりしてたんですが

   周りの友達が

   お前大学行かないの?

   と言ってて

   まあ大学受けるでしょ?

   という雰囲気があったので

   半数が調理とかITの専門とかだったんですが

   まあ友達がそういう調子でじゃあ自分も大学受けてみようかなと

   思って大学受験してみたんたんですが

   これまた全部落ちたんですよね。

ー  それは友達と比べて勉強できなかった

   という訳ではないんですよね?

N  だから友達はちゃんとみえないとこで勉強してたんでしょうね(笑)

   友達は法政大学に受かったんですが

  

 自分はそこも他も全部落ちたんです。


   中学受験の時に失敗した事を六年後もまた同じ様に

   繰り返してしまうんですよね。

   自分の中では大丈夫だろと思ってたクラスの大学も落ちて

   そこで初めてこれまでの自分の人生はなんだったんだろうかと

   思う訳なんですよね。

   それでショックを受けて初めてスイッチが入りましたね。

   それで親に今まで迷惑をかけてきたので申し訳ないけど

   一年だけ浪人させてくださいとお願いしたんですよ。

   このままではなんか悔しいなと思って。

   それでまあ浪人するにあたって

   当時は大きい予備校いっぱいあるんですが

   大きいところだと埋没してしまうというか

   自分に甘く楽してしまって結果が

   出ないんじゃないかと思って

   マンツーマンに近いところに入ったんですよ。

   それで高校生の時は試験前も受験前もたいして勉強してなかったのに

   浪人の一年は漫画とかゲームとかは全く触れないで

   六時に起きて二十二時まで勉強するような生活して

   親もビックリしてましたね。

   今思うと人生で本気になった事ってその時の一度しかないんですよ。

   予備校の先生も今思えばすごい相性が良かったと思います。

   今思えば成績が上がって

   模試でもいい成績が出てっていう成功体験が

   初めてであの一年間がなければ

   ちゃんと就職して生きていけてなかったと思います。

   その一年の前と後で自分の人生は全然違うと思いますね。

   浪人の一年は漫画とかゲームとかは全く触れてなかったですね。

   担任の山口先生がノせてくれるのがすごいうまくて良かったです。

   もうその予備校はなくなっちゃったんですけどね。

   その結果受けた大学全部受かったんですよ。

   それで結局友達の入った

   法政大学入って四年間多摩校舎に通いましたね。

ー  大学時代は何してたんですか?

N  バイトいっぱいしてましたね。

   大学に1995年に入ったんですがみんなでスキー行ったりとか

   テニスサークル入ったりして

ー  軟派ですね~

N  軟派だったんですが

   ゼミではゼミ長やって発表会やったりして

   浪人生時代にやる気出た勢いが続いて

   大学時代は忙しかったですね。

   漫画とかプロレスも当然好きなんで漫画も読むし

   大学いた1995年ごろから2000年頃まで

   私の好きだった全日本プロレスが

   自分的には一番面白かった時期なんですよね。

   一番見てた時代で武道館とか後楽園ホールとか観に行ってましたし

   週刊プロレスとか週刊ゴングがむちゃくちゃ売れていた時代で

   毎週買って読んでまして

   一番好きなのは全日本プロレスなんですが

   週刊プロレスが東京ドームで興行やった時期で

   プロレス全体が熱くて好きだったので

   新日本とUインターの対抗戦の武藤対高田も観に行ったし

   大仁田厚の川崎球場とかのビッグマッチは行きましたし

   週刊プロレスの影響受けて

   パンクラスのベイNKホール観に行ったりしてましたね。

   全日本女子も行ってましたね。

ー  忙しいですね~。

N  めちゃくちゃ忙しいんですよ。

   バイトも掛け持ちしてましたし。

   スーパーもそうだし力仕事とかコンビニでワンオペとか。

ー  漫画はどういうのが好きなんですか

N  全方位的に好きでしたね。

   それで音楽も好きだったんで北欧に飛行機だけ取って

   行ったりしてましたね。

   その頃はカーディガンズとかのスウェディッシュポップが好きで

   憧れてスウェーデンのマルメっていうスタジオがある

   街に行ったんですよ。

   全然観光地じゃないから日本人初めて見たって顔されましたよ。(笑)

   漫画はジャンプも読むし青年誌も読んでました。

   今思えば大学に受かった成功体験で

   色々な事に興味が湧いてきたんだと思います。

ー  プロレス、漫画、大学、バイトどれか一つでも大変そうですもん。

N  そうなんですよほんと忙しかったですね。

   それで進路をどうしようかっていう話になるじゃないですか。

   それでゼミ長やってたしバイトやってたしで

   人とコミュニケーションとれる

   仕事がいいなと思ってたんですが

   好きなことを仕事にしたいなと思って三つに絞ったんですよ。

   スーパーとか量販店とか小売りをやってるところ

   か

   ゲーム業界か

ー  ゲームは何が好きだったんですか?

N  最初は親に買ってもらえなくて友達の家で

   ファミコンやってたんですけど

   中学受験の後にPCエンジン買ってもらってやってましたね

ー  一番やったのは?

N   ザ功夫とかカトチャンケンちゃんとかRTYPEとかの

   初期が好きでしたけど

   CDROM2とか後の方もやってましたよ。

   セガもメガドライブもセガサターンも買いましたし 

   スーパーファミコンも買いましたし

   プレイステーションも買いました。

ー  時間がいくらあっても足りないですよね。(笑)

N  そうなんですよ。

   PCエンジンはPCエンジンGTっていう携帯型があって

   重いし電池もすぐ切れちゃうんですよね。

   そんな風にゲームもすごい好きだったので

   アミューズメント施設とかの方のゲームの業界か

   漫画好きだったんで出版社も考えたんですよ。

   プロレスの業界は行くのは難しいと思ってたんですよね。

   狭き門過ぎると思って。

   団体にフロントとして入るのは無理だなと思って。

   あと好きすぎるとやっぱり

  

 仕事にするよりも好きでいた方がいいなと思って



   全日だと三沢とか田上とかと仕事がしたいとか

   自分がそこで一緒になにかできると思えなかったんですよね。

   それで書店とかスーパーとかゲーム業界とかで

   絞って考えましたね。

ー  音楽業界はどうだったんですか?

U  それもプロレスと同じで自分が何かできる気がしなくて。

   接客とか営業とかが自分にできる事かなと思ったんですよ。

   それで企業に応募のハガキ書きまくって

   それで有難い事に氷河期と言われていた時代だったんですが

   

10社ぐらいどの業界からも内定を頂きまして

ー  すごいですねそれ。

U  振り返ると今入った会社も特別本に詳しかったわけではないので

   プロレスの話しかしなかったんですよ。

ー  どういうことですか?

U  入社の面接でプロレスが好きだって話をしたんですよ。

   全日本のプロレスは流れがある程度決まっていて

   ある程度お互いの信頼関係がないとできないと思ってて

   当時四天王のプロレスを観てて

   お互いを信頼しあいながら

   頭からマットに叩きつけるような

   とんでもない技を仕掛けあう

   競技というかスポーツというか

   エンターテイメントとしてのプロレスに

   自分は感化されていて

   そういう信頼関係を持って仕事をしたいという話を

   ジャイアント馬場さんの考え方をを例に出したりして

   役員面接に臨んだんです。

   それで変わった奴だなと思われて

   採用してもらえたんだなと思うんです。

   そこはプロレスに感謝しなきゃなと今でも思ってますね。

   履歴書にも相手との信頼関係をプロレスから学んで

   それはいつどこの誰と誰の試合とかまで全部書いてましたね。

ー  それは凄いですね。(笑)

N  実際にそう思ってましたからね。

   全日本はそういうのを大事にしてるからお客さんのも伝わって

   観る人の心を打つと思ってたので

   そういう仕事もじぶんもしたい

   というのを書いたし言ってましたね。

   だからちゃんと伝わったんですかね~。

   振り返ると自己PRを何を書けばいいのか分からなくて

   周りをみるとバイトとかボランティアの事ばっかりだから

   目立とうというのはちょっとはありましたけど

   ホントにそういう風にプロレスから影響を受けていたので

   そういう風に書いたのがうまく具合に転がりましたね。

   それで水道橋の近くのお茶の水が本社にある書籍の卸の会社に

   決まるんですけど

   自分が50とか60とかになっても

   できる仕事で考えたらゲーム業界とかよりも

   本の仕事の方がその位の年齢になっても

   できるかなと思って最後にそっちを選びましたね。

   今みたいにキャリアアップとかは頭になくて

   最後まで勤め上げる事が出来るかも漠然と頭にありましたね。

   それで後楽園ホールとか東京ドームのある

   水道橋も近くて最高!と思うんですが

   最初に配属されたのが神奈川の営業所だったんですよ。

   だから全然後楽園ホールの近くじゃなかったんですよ。(笑)

   だから実家から仕事通ってましたね。

ー  じゃあプロレスはあまり行けなかったんですか?

N  勿論観てましたよ。(笑)

   全日本がちょっとずつおかしくなって

   ノアができてっていうので

   悲しかったですけどね。。。

ー  それで仕事はどうだったんですか?

N  神奈川で書店を担当させてもらって

   営業が12~13人いるのでそれで神奈川全域の担当して

   自分も数十件担当を持たせてもらって

   本を売る仕事をしてましたね。

   説明すると本は基本的に委託で配本されで返せるんですよね。

   それで基本的に本屋さんはどんどん頼んでなくても

   お店に届くんですよ。

   それをこの出版社はいらないとか

   この出版社とかこの著者を増やしたいとか

   の調整をするような仕事だったんですね。

   たまに15万する百科事典を本屋さんの得意先に売りに行ったり

   とか集金とか本屋に関するあらゆる事をしますね。

   書籍の卸って基本的に一つの書店に一社なんですよ。

   委託だから他の卸にも返せるようになっちゃうので。

   だから家族ぐるみでお付き合いになるお店も沢山あって

   

ご夫婦でやってる店で一緒にご飯食べて行ったりとか


   そういう雰囲気で7年くらいやって

   支店の統廃合で神奈川支社が東京の本社に入る事になって

   初めて東京離れてさっき話した千歳船橋に引っ越しましたね。

   プロレスも行きやすくなるし終電も遅いので

   しょっちゅう終電まで飲んで経堂から歩いて帰ってましたね。

   大学の時からそんな風だったんで40歳ぐらいの時に

   このままじゃ死にますよって言われたんですよ。

   それで本の仕事で何が面白かったかって言うと

   自分の読んで面白かった本をお店のスペースとお借りして

   ポップ作って工夫して置かせてもらったら売れる様になったりして

   自分のお勧めしたい物を売れるっていうのは

   他にない面白い仕事なんじゃないかなと思ってましたね。

ー  じゃあ本屋さんは受け身というか送られてくるものを

   お店に出してでやれていくものなんですか?

N  それはそうなんですがそういうお店はやっぱり個性がないものに

   なってしまって

   どんどん減っていってしまってましたね。。。

   そういう仕事を七年くらいしてましたね。

ー  それで千歳船橋ライフは?

N  二年経ったら満足してしまって

   ずっと付き合ってる彼女とそろそろ家族を持とうか

   という話になって相模原に戻りましたね。

  それから仕入れの方の仕事になりましてバイヤーというか

   出版社の方と付き合う仕事になったんですよ。

   出版社って5000社くらいあって

   本って一日300点位出るんですよ。

   それで出版社さんとこれくらい仕入れてくださいと言われて

   交渉したりとかをやったりで

   それを7年位やった後は

   その中の部署で

   全国の本屋さんで○○フェアとかやってるのを

   考える仕事をしてました。

   書店のフェアって出版社のフェアもあれば

   卸のフェアもあるし

   書店さんが自分でやるフェアと3パターンあるんですよ。

   それでいいフェアをやっていければ

   自分の所の卸に切り替えてもらえるんじゃ

   という所もあったりして

   それで出版社さんと協力して注文書つくったりして

   今度はミステリーの切り口でやろうとか

   スポンサーをみつけてきて帯にそのスポンサーの商品入れたりとか

   ポスター作ってもらったりとかっていうのを

   何年かやっててそれもおもしろかったんですよね~。

   それで名古屋に2年転勤になるんです。

   35くらいで子供も生まれたばっかり

   だったんですがついてきてくれて

   名古屋も面白かったですね。

   食べ物がおいしくて太っちゃったんですけど。

   20キロくらい太っちゃって(笑)。

   それで二年経って東京戻って

   

やっと文具の担当になるわけですね


ー  ここまで長かったですね~。(笑)

N  卸の一部門に別の卸から仕入れる部署があったんですが

   今から10年前ですからまだ本屋は本だけしかないというお店も

   多かった時代に本格的に本屋に

   文具を置いていこうというのをやる話に

   なって責任者になるんですがやっぱり当時は文具の知識がある人が

   少なかったので勉強したり昔から本も文具もやっているお店さんに

   教えてもらいに行ったりして若い子とも一緒に勉強しながら

   文具を一緒にやってみませんかという仕事をしてましたね。

   やっぱりうちは本屋さんなのに文具を売るの?

   というお店も多くて

   本は委託しかない世界で買い取りの文具をいきなりやらないかと

   言われてもすんなりとはいかない世界で

   それをなんとかするというのは

   それはそれで面白かったですね。

ー  大体面白かったって言ってますね。(笑)

N  今思えば文具に興味があったわけではなかったんですが

   同じ会社なのに転職したくらいいろんな事が

   できたのはすごく良かったなと

   思って毎回フレッシュな気持ちになって人間関係も書店の人達から

   出版社の人達になって文具の人達になって

   毎回新鮮な気持ちになれたのは良かったですね。

   それで40歳の時に血糖値が爆上がりして

   全然具合悪いとか入院とかはないんですが

   

痩せないと子供が大きくなる姿みられませんよ


   ってお医者さんに

   言われてなんとか今生きてますね(笑)

ー  笑ってますね。(笑)

N  薬は今でも飲んでますけどね。(笑)

   それで文具の仕事は37,8位からですね。

   それでその頃は出張も多くて文具の事が分かる人間として

   全国の出張所から呼ばれて

   詳しい説明しにいったりに

   北海道から四国から九州から全国行ってましたね。

   それでじゃあ文具を始めるって言う時も本棚を外して文具の什器を

   並べて鉛筆やら消しゴムやら詰めて

   最初はあんまり分からないんですが

   不安にさせない様に分かってる雰囲気で出しながらやって

   最初は分かんないからちょっといてよ

   っていうお店さんには何日かお店に通ったりもしましたよ。

   わかんないから最初はしばらくいてよって(笑)。

   それで今は文具店に文具を卸す仕事になって

   今は全く書店とは関わってないんですね。

ー  そこは何が違うとかはありますか?

N  そこはできるのかなって一番不安が大きかったですね。

   自分は文具はやって来たけど本の仕事してきた人間だから

   通用するのかと思いまして。

   メーカーとかお客さんとかも相手にしてもらえるのかという

   不安がものすごく大きかったですね。

   まだそれから2年ちょっとなんですが

   ほんとに2年前にまたリセットして一から始めてる感じですね~。

   答えとしては面白くないかもしれないんですが

   みんなほんと優しくて社内もメーカーさんも

   お取引さんもみんなすごい

   優しくてすごく丁寧に色々教えてくれていじめられたりは

   今んとこしてないです。

ー  (笑)

N  文具業界ってメーカーさん同士のつながりも強いし

   卸同士も繋がりがありますよね。

   本は基本一社だから卸同士で会う事もほとんどないんですよ。

   私の場合は希望して文房具の業界に来たわけではなかったんですが

   やってみたら面白かったですし本とも通ずるものが

   あって卸って何を売ってもいいって言う立ち位置じゃないですか。

   見本市で商品を手に取って面白いなと思った物を

   お勧めできる立ち位置で

   仕事できるってあんまりほかの仕事にはない

   面白さだなって思うんですよね。

   自由度が高いというか視界が開けた仕事というか

   その辺は文具も本も一緒だなと思うんですが

   本は読んでみないと分からない所があるんですが

   文具はみてすぐ分かるし触って

   すぐこれいいねって反応が返ってくるし

   そういう物を売るっていうのはすごい面白いというか

   こんないい仕事って

   他にないよなって今は思ってますね~。

ー  じゃあこれからも文具の仕事で頑張っていきたいって事ですか?

N  そうですね!

   いいんですかこれで?

   つまらなくないですか?

   どうですか?

ー  すごい面白いから大丈夫ですよ(笑)

   じゃあなにか文具業界で働いてみたいと思う人とか

   これから社会に出る人になにかメッセージをお願い致します。

N  何がしたいのかを明確に言うって難しいじゃないですか。

   こういう事がしたいとか就職活動でしっかり言うのって

   みんななんとなくとかみんなしてるからで就職する訳で

   自分はプロレスがあってたまたまうまくいったので

   自分は本が好きで運良くその仕事ができたので

   やっていて面白いと思う仕事が今でもできてるので

   自分はすごくラッキーだったなと思いますね。

ー  すごくいいまとめですね。(笑)

N  だから文具業界もすごく面白いと思うんですけど。

ー  なんでも面白さを感じられる人なんじゃないですかね?

N  確かになんでも面白がれるタイプだとは思いますね。

ー  なんでもやってみろって事ですかね(笑)

   最後に

  

 たまに食うならこんな店


   という事でいい店教えてください。

N  すごい考えたんですよ~

   最初一番外食で食べてる店で箱根そばにしようと思ったんですけど

ー  箱根そばはちょっと~。

  ※ 箱根そば=小田急線の駅にいっぱいある立ち食いソバ屋。

N  そう言われるの思ったので

   最近気に入ってるのが有楽町の駅前にある

   よもだ蕎麦っていうのがあるんですね。

   都内に何店舗かあるんですよ。

   そこの売りが本格的なスパイスカレーが食べられる

   立ち食いソバ屋なんですね。

   そこが有楽町で立ち飲み屋を始めて

   7~8人入ったらいっぱいになっちゃうような店なんですけど 

   立ち飲みよもだってお店で

   そこが早い時間だとチューハイが

   店内のサーバーで自分でお代わりできて

   30分500円で飲み放題なんですね。

   そこでその名物の一膳カレーとかグラタンカレーとかすごい

   おいしいのでぜひ行っていただきたいですね。

   これから就職する人がこれを読んでくれてたら

   この店で仕事のストレスを

   解消してほしいですね。

ー  いい締めですね。

   今日はありがとうございます!



2023/7/22 下北沢 珈琲館にて

面白い人に話を聞いてみたいです。 リアクションあるとはげみになります。 メッセージ添えて頂けたらなお嬉しいです。