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文具業界不完全就職ガイド Tさん(43)文具メーカー営業 インタビュー


文具業界人または文具業界経験者に色々聞いていくインタビュー

溜まったら冊子をつくります。

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生まれて育ったのは東京の世田谷です


小学校時代


友達と遊ぶのが大好きで

学校から帰ったら毎日友達と遊んでました。

ゲームはファミコンディスクシステムスーパーファミコンゲームボーイ

と任天堂の輝かしい時代のゲームをたどってきました。

ハマったゲームで思い出すのはファミコンはファミリートレーナーです。

ファミコンと専用マットを繋いでその上で走るゲームで

裏技として、ちゃんと走らずマットを手でモミモミすると

早く走れて100mが5秒とかで走れました。

外遊びも大好きで野球やサッカーはもちろん

公園の草むらを改造して秘密基地を作ったりもしましたね

実家が小学校の目の前の文房具店だったので学校で使う物は

だいたい使いたい放題でロケット鉛筆やねりけしなんかの

新製品を学校に持っていってみんなに自慢してましたね。

月曜になるたびに新品になってる感じですね。

自分の通ってる小学校の目の前のお店だったので

みんなあそこの息子だって知ってましたね。

学校の先生も知ってるくらいです。

家の仕事で教科書の委託代行発送もやっていたので

三月や八月に学校に行って親と一緒に納品と仕分け作業をするのが

一足先に教科書の中身をチラ見できたりするのが楽しかったですね。

実家が文具屋で文具が使い放題というのと

勉強の出来は残念ながら比例しませんでしたね。(笑)


中学校時代


小さい頃は姉の影響で良くバドミントンをしてたので

バドミントン部に入ろうと思ったんですが

先生の判断で男子が入部不可という

今ではありえない性差別を受けて

バレーボール部に入ったんですが

結果的にすごい楽しかったので良かったですね。

その時のバドミントン部の先生がたまに竹刀持ってるんですよね。

さすがにそれを武器にしてるのを見た事はないんですが

今では絶対ありえないだろうと思うんですが。。。。

先生も生徒も学校全体が個性の塊みたい人が多かったと思います。

この頃からあまり自己主張せず

目立たず控えめな性格になっていきましたね。

小学校の頃は徒歩一分で学校に行けたのが

三十分かかる様になったのもつらかったですね。

怖い先生もいたので下駄箱いるときにチャイムがなったりした時は

焦ってダッシュで階段上がってましたね。(笑)


高校時代


ここからが自分の中での不遇時代で

学校生活にめぼしい思い出や記憶がないです。

私立に推薦で入ったんですが

それもあまり考えずに受験が大変そうだから決めちゃった感じで

みんな部活やバイトをバリバリやりはじめ学校は渋谷が近かったので

チャラい子はセンター街で遊びまくる中

自分は帰宅部でバイトもせず

ずっと家と学校の往復でした。

毎日つまらなかったですが

そこでできた数少ない友達は

今は消防士になってたり

アメリカで永住権取得してレストランやってたりと

今でも連絡がとれる大切な友達ができました。

高校の友達2人は、入学時、出席番号がたまたま3人並びだったから。

2人の名字が「こ」からはじまり、私が「た」だったので

さ行の人がいたら仲良くなってなかったでしょうね

そのクラスが変わっても修学旅行の班を一緒にしました。

卒業後、1人は少ししてアメリカに旅立ちましたが、

帰国時は必ず会ってます。

世界は広いということを目の前で教えてくれた人です。

もう1人は20歳過ぎてた頃、しょっちゅう新宿で2人で飲んでました。

終電なくて金もないから、

5、6駅前から千鳥足で朝まで歩いて帰宅してた記憶あり、

人間の帰省本能の優秀さを感じてました。

とにかく酒を飲むのがカッコいいと2人で思ってて、波長の合う人です。

そんな高校時代ですが自分に唯一ノルマを課したのが学校を休まない

という事で多少体調不良でもなんでもむりやり行って

三年間皆勤できました。

38度の熱出ても行きましたよ。

遊ばなかった訳ではないですけどとにかく地味に過ごしてたので

心身共に軟弱寄りなので何とかやり遂げましたね。



大学時代


更に暗黒時代に磨きがかかってきまして

推薦入試で入りましたが片道二時間が辛くて、

単位を取る為だけのキャンパスライフとなりました。

商業系の大学だったので、商学部に入りましたが

何もわからずただ合宿行ったり呑み会に出たりするだけでした。

簿記を全く勉強しなかったのは今となってはものすごく後悔しています。

当時は地元の友達とまた再会し遊ぶようになって

そっち優先の生活に変わりました。

夜12時位から友達の家に集合し、朝方までPSの

ウイニングイレブンで対戦して、

負けたら夜食で吉野家に買いに行かされたり

車の免許取ったので

世田谷の環八のドンキで安いテント買って

いきなり奥多摩にまで野宿しに行ったり

都内の深夜までやってる人気ラーメン店回ったりとか

今思うとバカ学生ですね。(笑)

大学の時のサークル的なのは会計学研究部というものに入ってて

1年に2度位、他大学の同様のサークルと会計学に関して

発表と討論をするんですが、私は1mmもわからないので、

会場の準備設営と片付け、打ち上げの予約とかをしてました。

だから当時は簿記の簿の字もわかりませんでした。

大学は大卒証明を取る為だけに大学に通った感があり、

親に対する懺悔の気持ちが自分に子供が出来て親になってからは

すごく思うようになりましたね。。。。


 

就活


それで三年生になり就活を意識しだしてから将来を考えました。

ゼミが広告マーケティング関係で、ビール会社にゼミでサッポロビールとか

の企業訪問したりして企業のCMや雑誌、

交通広告、商品PRなどに興味が一気に出て、

どちらかというと飲料や食品の業界で

そういう仕事に携わってみたいと思い就活をスタートしました。

ただ、大きな問題が二つありました。

一つ目は当時就職氷河期の真っ最中でエントリーシートを出しても

説明会にすらいけないレベルで

学校のせいではないですがいわゆるFランと呼ばれる大学だったので、

足切り状態もありました。

二つ目の方が重大なんですが

実家の文具店でゆうパック売ってたからその伝手で

親に言われて1週間年賀状の仕分けをやっただけで

それ以外のバイトという事を

全くしてこなかったので単純に働くという行為に

漠然と不安しかなくて運動もしてきた訳ではなく

体力もない自分が

週二日の休みで

一か月の長期休みもない社会でやっていく事が心底不安でした。

なんでバイトしなかったかっていうと

とにかく立ってられなくて

スーパーでもコンビニでも1日8時間とか

立ってられないと思ってみんなすごいな~と思ってましたね。

当時友達にも

お前は絶対就職できない!

と言われてましたね。

大学の時に唯一がんばったのが販売士というのを勉強して取ったんですが

それ以外にスキルもあったわけではないし

とにかく活動的ではなかったので体力も社会に適応する能力も

含め自分に全く自信がなかったです。

会社側の人間だったら

この時の自分を採用したいとは一ミリも思わないですもん。


最初の入社試験


それでも悪戦苦闘するうちに

初めて個別面接まで行けた企業で

大失敗してしまいました。

前日に緊張して全く寝られず、

朝歯を磨いているだけでもオエッて吐きそうになるくらい緊張してしまって

そんな状態で臨んだ面接本番で

椅子に座ってる時にぶっ倒れてしまいまして。。。

多分貧血だったんですが

控室で休ませてもらった後帰ったんですが

人生の絶望を

その時始めて感じた気がします。

就職できず一生ニートでもう人生終わったと思いこんでしまって

数日間なんにもやる気が出ませんでした。

人生の岐路なのが

その会社のグループ説明会で

たまたま隣にいた人と就活仲間になってて

その人から

今すぐ電話してもう一回面接受けさせてもらえ!

と猛烈に励まされました。

恥ずかしいしすごいイヤだったんですが

勇気を出して面接官の人に電話したら快諾してもらって

最後のグループに入れてもらって面接する機会を頂きました。

結果はだめだったんですが、

最後まで面接できた事で

吹っ切れて就活も継続できました。

もうその人がどこでなにしてるか分かりませんが

その人とのやりとりがなかったら社会人になれなかったと思うので

今でも人生の恩人だと思ってますね。


文具メーカーの入社試験


それで何十社と応募した結果あるスーパーに内定を貰いました。

ただここでも漠然と採用予定者が多い所を手当たり次第に受けて

それがたまたま内定を貰った感じなのでモヤモヤしてたんです。

そこで就活サイトを流し見してたら文具メーカーをみつけ

自分の実家の店でも扱ってる商品の会社だったので

このネタを生かせるのではないかと思い応募しました。

文具に親しみを感じて応募しましたと言いたいだけでしたね。(笑)

その頃はまだ実家のお店もやってて

もしかしてニートになったらいつか継ぐのかな~

とかは思ってましたね。

そこは大きくない会社で採用予定数も若干名だったので

ダメもとで受けて不採用ならスーパーに行こうと思って

気楽に受け結果内定をもらい入社する事になりました。

正直自己PRを頑張ったというより

面接をしてくれた役員の話をひたすら相槌を打って

一時間位聞いていたら内定が出たという感じです。

自己PRはほんとに最初にちょっとしただけで

あとは一時間位ほぼ話聞いていただけで

自分とあと二人で合計三名内定出た感じですね。

いろんな業界の話とか松下幸之助の話とか色々お話されてました。(笑)

後から聞いたらSPIテストも中の下だったらしく

それだと10数名面接した中で下の方だったはずですし

ただただ話を聞いていただけだったのにその役員から

熱心さが伝わったと言われ

今でもなんで入れたのかよく分かりませんね。(笑)

(入ってからその人にすごく目をかけられたとかはないんですか?)

全然ですね。入ってからもちろん会って挨拶もしますけど

なんもないんでいまだに謎なんですよ。


社会人生活




 ブラック研修


強烈だったのが、入社式直前に企業研修を委託されている会社の

新入社員研修で三泊四日で愛知県の田舎に行きました。

テレビでたまに見るような軍隊式のやつです。

パチンコ屋さんとか他の会社の新人もいて計10人くらいで

宗教団体みたいな白装束を着させられて

いわゆるブラック研修で

口を大きく開けろと

先生に口に指を突っ込まれながら発声練習をしたり

電話作法、お題を出されて相手を罵るディベートなどしました。

毎朝ラジオ体操をするんですが

ラジオ体操が三分なんですが

プラスマイナス十秒以内に終わらないと

もう一回とか間違ったらもう一回とか

ひたすらやらされたり

電話作法もなぜか外で先生が20メートルくらい

離れた所でやらされて発声が常にフルパワーで

ちょっと小さい声だと

聞こえない!もう一回!

って繰り返させられるんですよ。

今でも思い出して笑うのが

別の会社の参加者が

電話の呼び出し音を

プルルルル はい田中です。

みたいに口でやるんですが

その人がちょっとふざけて

ぴょろぴょろぴょろ~

って呼び出し音をやったら

先生が怒っちゃって

さらに10メートル離れてその人は

30メートルで電話対応を繰り返しやらされて

喉が潰されてましたね。。。。

こういう複数のカリキュラム全て合格しないと

卒業できないと言われて

働くとは何て地獄なんだと悟りましたね。

林道を30分歩きながら猫と冷蔵庫の共通点を三つ考えるっていう

謎のカリキュラムもありましたし。

夜になったら社長に親への手紙みたいに

今日は何ができるようになりましたとかを毎日書かされまして。

すごいのが三日目の朝に一人いなくなってて

朝食会場に来なくて僕らは心配して

先生はめちゃくちゃ怒っててみんなで少し探したんです。

結局見つからなくてその人は愛知の人で車で合宿所に来てたので

夜中に荷物まとめて帰って普通に会社に出社してたそうです。

今思えば、そういう脱走は先生も過去経験あったのかと思いました。

その後先生がいっそう厳しくなった記憶があるので

その人を少しうらんでます(笑)

そんで最後は卒業式で卒業証書もらって

こっちも先生もみんな号泣してるんですよ

親にもこんなに怒られたことはありませんでした!

とか言って。(笑)

知らないからその時は社会に出る人は

みんなこういうのやってるんだと思ってましたね。

 

新入社員生活



それで社会人生活が始まるんですが

同期は三人いたのですがその三人で23区の文具店のリストをもらい

手分けして全店行ってこいという

とんでもないノルマを入社早々もらいました。

鞄の中に今週の提案商品を持って

ご挨拶と商品紹介をするというものでした。

自分の会社は知名度もなくお店によっては入店手続きがあるのも知らずに

正面から入ってお店の人に

帰れ!

と怒鳴られた事もありました。

それから車での営業が始まったら

荷台にどっさり商品を積まれ空になるまで

何週間でもお店を回ってくださいというノルマもありました。

とにかく働く事社会人である事に精一杯で毎日ド緊張だったので

帯状疱疹になって休んだりして散々でした。

今でもよく覚えてるのが展示会の時に

お客さんが来て端にある物から始めて

最後に一押し商品を紹介するという自分で考えた流れで

案内しようと思ったら

上司から

こっちから先に案内せなあかんやろ

と思いっきりスーツの裾を引っ張られて

転んでしまったんです。

お客さんは驚いてバツが悪くなり立ち去ってしまい

お客さんに申し訳ないしで悔しいしで半泣きになってしまい

その後はしばらくトイレにこもってしまいました。。。。

最初の2年は働くという事がとにかくつらかったんですが

そんな中で最初の転機だったのが

入社三年目くらいの時大手雑貨店の店頭で自社商品の実演販売

をする事になったんです。

その商品はハンドシュレッダーで実演販売した社員はまだあまりいなくて

売れるか不安なのと朝から晩まで週末の二日間立ちっぱなしなのも

体力持つだろうかと不安だったんです。

上司からは10台売れれば御の字と言われてたんですが

幸運にも2日で30台位売れてそれが評判で他店でもやってほしいと

たくさんのオファーをいただいて

その時が社会人になり初めて

誰かの役に立った、評価された、

と感じて大変うれしかったですね。

入社後5~10年 


自分の会社はメーカーなので

日々企画立案して何個もボツになりながら新商品を販売していくんです。

基本的にはプロダクトデザイナーとその他の幹部で進行していきます。

現場営業もお客様との商談で生まれたアイデアや

実際の売り場での商品動向

などの情報を会社に日々報告していく形で

自分のやりたかった商品開発やPRをやれるのかなと思ってました。

当時から文具は化粧品や生活雑貨やアパレルなどより半歩遅いと

思っていたのでそういう物からアイデアをもらえないかと思って

それである日時間を作って

担当先の雑貨店を

文具以外の物もいっぱいあるのを

地下から最上階まで半日かけて商品を見たんです。

それで目をつけたのがお弁当コーナーで

弁当箱、水筒、お箸など

カラフルさ、サイズ感、機能面まで

幅広く取り揃えていて自分が学生時代に使っていたものとは

全然違っていてお客さんのニーズを

拾おうとしている感じがしたんです。

その中で階層で食べ物を仕分けし

食べる際はテーブルに三段を平置きして中身が一目で分かる

スタッキングできる3段重ねのお弁当箱が目に留まって

その収納を重ねて省スぺースできる所にヒントを得て

二段式の筆記具入れ&小物入れのマルチ収納ケースを立案し

仲の良かったデザイナーに協力してもらって

社内プレゼンに挑んで

商品化が決まりました。

他にもそのデザイナーと組んで出したのが穴あきシールがありまして

パンチ穴を補強するシールというのは大手メーカーにも自社でも既存商品で

あるんですがただ丸いだけで地味な見た目なので

ハートやマトリョーシカ、スイーツ、受験用に合格ダルマ型など

様々なデザインで発売して好評で長期間販売する事ができました。

さっき話した収納ケースは3ロットの生産で終了してしまいましたが(笑)

ただ営業は売るのが仕事だから作ってみても自分の担当のお店に

持って行っても

いらない

って言われたら。。。。

とか

売れなかったどうしよう

という事にはめちゃくちゃプレッシャーが

ありましたね。

そのあたりの仕事が商品企画から売り場での展開方法からPOPに至るまで

0から携わる事ができて学生時代からやりたかった事が出来て

大変うれしかったです。

少しずつ担当先も個人の売上目標も増えていきましたが

パソコンのスキルもないので

見積書や提案資料を作るのに人より時間がかかってしまい

夜中まで会社で提案書を作って帰ってちょっと寝て

朝五時に起きて新潟まで四時間運転して向かう事も

あったりで

今思うと自分の能力の無さを

若さと気合でこなしてた時代ですね

この頃は会社携帯も支給されていて

営業は20人位いたので

デキる先輩に積極的に相談してました。

携帯で思い出したんですけど

最初は私用の携帯を使ってたんですけど4000円だけ会社から出るんですよ。

電話の利用明細に仕事で使った部分にだけライン引いて会社に提出すると

4000円まで出るっていうのを毎月やってましたね。

最初は公衆電話も使ってた記憶ありますよ。

若い人には多分全くわからない話ですね。(笑)

それで先輩に

お客様にどう提案しているか

とか

ピンチの事案の時に

先輩だったらどうしますか? 

いつも電話して相談していて

何年も売上目標達成してる先輩がいたので

その人にはストーカーぐらい日々電話してましたね。(笑)

今ではその人はまだ若いのに役員になって全営業の責任者になってるので

僕の目利きもなかなかだなと思います。(笑)

入社後10年~現在


入社して最初の10年は

店頭の文具店、納品店、その他の専門店、新潟などの広域を

重点的に担当してたんですが

今は通販関連の得意先を多く担当するようになりました。

年に1回か2回のカタログに自社商品を提案し掲載頂くというのが基本で

全国規模のお客様なので毎日沢山頂く各種見積依頼に対応する、

その他の問い合わせの迅速な対応、

大規模なキャンペーンの企画立案とそれを如何に進行し

成功まで導くかが現在の仕事です。

カタログの出る半年後とか1年後を読む仕事なので難しいですね。

自分の失敗とか怠慢が会社にしたらものすごい損害になっちゃいますので

商談の時はいまだに緊張しますし

元々ゆっくりじっくり考えて石橋を叩いて渡る性格なので

今の仕事になってからはその量と速度感に圧倒されましたし

取引額も大きいので失敗できない責任感も重なり

大変ではありますが充実した日々を送っています。

中国出張


今から7年前に初めて中国出張に行くことになりまして

当時はほぼ中国の自社工場協力工場で生産しており

一度自分が販売している商品がどう作られてるのか

どう商談しているのかに以前から興味がありまして

その頃が香港や広州でとんでもない大規模の展示会が開催されている時期で

新規の協力工場探しも上層部やデザイナーが定期的に現地でやっていたので

それに自分も応募して参加させてもらいました。

現地に行って自分の得意先に販売が決まっている商品の製造状態を

実際に見たり次の新規商品の打ち合わせや

東京ビックサイトの何倍のあるような会場で行われる展示会

を1日半かけて視察したりしました。

向うの接待はおもてなしの精神がすごくて工場でかなりシビアな商談を

した後に夕食の席があったんですがこれがすごくて

青島ビールを20~30本抱えきれないくらい持ってこられて

呑める方ではないんですがこれが日中友好だと思ってほんとに命がけで

頑張りましたね。(笑)

それですごいのが

明日行く工場の方に

その夕食の後に向かうスケジュールだったので

それだけ飲んだ後に2時間かけて向かうんです。

途中のパーキングみたいな所でトイレ休憩というか吐きたいんですが

真っ暗で危険だからって言われてなぜか止まってもらえなくて

すごい酔ってたはずなんですが心底苦しかったのは今でも

忘れられないです。

日程は6泊7日だったんですが

出張なんて旅行半分ととうっすら思ってましたけど

歩く、見る、呑む、言葉は通じないけど大きな声で話す

の繰り返しでハードでしたね。

その時一緒に行った出張慣れしてる先輩から

一人当たり40万近くかかっている事を聞き

ありがたいというのと自分に投資してくれた会社に

還元しないとばちが当たると思って

より気を引き締めて仕事に取り組むようになりましたね。

その時に会社が自分に期待してくれてると初めて感じた瞬間で

これまた転機ではありますね。

若い人へ



文具業界は他よりも古きを重んじる傾向がありますが

最近はアップデートされてきてるように思います。

会社の規模でやらなくちゃいけない事と

やらなくていい事もありますし

それぞれいい事悪い事もあると思いますので

大事なのは市場や業界も数年単位で変化し

同じように入社した会社も

必ず変わってくるので自分もその周期で変化できるかどうかが

大事だと思います。

今まで私は自分に自信がなく

自分はできる!

と自己暗示をかけてやっていますが

その周期の変化を感じられるようになってきたとは思います。

学生の方にアドバイスできるとしたら

発信する力=自分の意見をしっかり声にして伝えること

吸収する力=人の話をしっかり最後まで聞く事

咀嚼する力=聞いた事を自分なりに飲み込める大きさまで噛み砕き

途中で吐き出さない事

を養ってほしいですね。

(いいお話をありがとうございます。
今までお話聞いた方はみんな転職されてるんですが
同じメーカーに20年働いてるんですよね。)

そうですね。

(何人かは文具業界はゆるいな~っていうんですがその辺は
感じますか?)

ぼくは他の会社知らないのでそういうのはわからないですね

最初に軍隊式で始まったんで(笑)

(後輩とか新入社員は入って来てるんですか?)

うちの会社は

僕が最後に入った新卒であとはみんな中途ですね。

僕と一緒に入った同期は数年でやめてますが

先輩では新卒で入って勤め上げた方もいますね。

自分はとにかく自信がなかったので何が正解か分からずに

やってきてわからないまま今に至る感じですね。

吐きそうなほど緊張する事もあるし自分はできるって自己暗示

かけてやってますし

そこで頼れる先輩がいたのは良かったですし

上司に恵まれたのは良かったと思います。

全てがいい人ではないですが悪い上司も反面教師に

していけばいいので。

今の上司にもすごい恵まれたなと思っていて

仕事の事で相談とかするじゃないですか。

それでお前はどう思うんだ

って言われて

こう思います

とか
これで行きたいです

って言うと

それが答えだ

って言って

おまえができると思えばできるんだ

という話でアドバイスはしてくれないんですけど

後ろから押してくれるんですよね。

迷っている時に答えを引き出してくれて

じゃあそれでいいじゃん

って言ってくれる人で

すごくやってみようと思えるんですよね。

まあやり方を押し付けてくる人もいましたけど

営業はゴールがひとつじゃないんで

やり方をそういう風に自由にやらせてくれてくれるのは

ありがたいです。

(後輩はいたりはするんですか?)

まあ入っては来ますがいかんせん出入りが激しいので。。。

若い人はいますけど上下関係なくやって

逆にパソコン仕事とか色々教えてもらったりしてますね。

(いままで文具業界で20年になりますけど
転職考えたりはなかったんですか?)

そんなになりますか~。(笑)

一応冗談半分にお誘いはあったりしましたね。

一緒に独立してやらないかとか。

でも就活の状態の自分を拾ってくれた会社だし

ここ何年は中国出張とか自分に投資してくれてると

感じるしやりたい事もやらせてもらえてるので

不満は特にはないですね。

たらればですけど

違う会社でやってたら自分はどこまでやれたんだろうと

思ったりはしますけどね~。

自分がもし文房具屋引き継いでたら

どうやってただろうな

とかも思いますよ。

自分が30ぐらいの時に親に継ぐかって言われたんですよ。

親が64ぐらいの時に

即答で

いや、いいです

って返事して

もうお店は畳んで親は隠居してますね。

(いまの会社の方がいいってことですか?)

親が夫婦二人でやってる店だったので

ほんとに大変な事は

分かってたんで。

いろんなお店もみてきたのでお店の苦労も分かりますし

潰れちゃうお店もありましたし。

段々通販も広がってきた時期で

それをやる事だって大変だし

小売業の厳しさは生半可じゃないって思って

サラリーマンとして企業で働いて生きていく方が

自分には合ってるなと思いましたね。

たまに食うならこんな店


(ありがとうございます。
じゃあ最後にお勧めのお店をお願いします。)

飯田橋のせんぴんしゃんってお店がおいしくて

刀削麵のお店なんですけど

そこのマーボードーフが

鉄鍋でぐつぐつしてる状態で出てきてすごくおいしいですね。

(なんで知ったんですか?)

取引先の近くのお店で辛いんですけど甘みも感じられて

自分は中辛でパクチーなしにするのが好きですね。

僕のマーボードーフ人生では一番好きですね。

取引先に11時位に行って終わってランチ始まったら

入る感じでよく行ってますね。

結構ならぶ店で14時とかでも並んでますね。



2023/7/8 祖師谷大蔵 珈琲館にて

面白い人に話を聞いてみたいです。 リアクションあるとはげみになります。 メッセージ添えて頂けたらなお嬉しいです。