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ハロウィーン(過去ログ)

玄関のドアを開けると、ハロウィンの飾り付けがしてあった。
壁のタペストリーは紫色の夜空にオレンジ色のカボチャの親子らしき飛行物体。
それを睨んでいる赤紫の三日月。
靴箱の上には、カボチャのランタンが灯り、玄関から真っ直ぐにリビングに繋がる廊下には、そこここに小さなオレンジのランタンがゆらゆらと頼りない明かりを点している。
そう言えば、こう言ったメルヘンチックな飾り付けを彼女は良く好んでするんだよな。
この玄関で、ウキウキしながら飾り付けをしている彼女の姿が目に浮かんでしまった。
そんな事を思ったら、何故か表情がほころんでいたのかも知れない。

この飾り付けには、一体お金をいくら使ったんだろうなぁ。
貧乏性の俺は、ついついそんな貧困な思考に走ってしまうのは、彼女には明らかに似つかわしくない男なんだなと、ほころんた表情に上書きをする様な苦笑いが浮かんでしまった。

足元のランタンの値段に気を取られながら廊下を進むと、ドォーンとだだっ広いリビングが広がっている。
そのリビングの突き当りには、これまた庭なのかと思わせる様なテラスが薄暗くなった夕刻時に、街灯に照らされて閑に浮かび上がっている。
リビングの右脇にキッチンがあり、その反対側の左側には、広いベッドルームがあるのだ。

廊下の終わり辺りまで近付くと、キッチンの方から彼女の鼻唄が聞こえて来た。
いつも、俺が訪れると分かっている日は俺の好みに合わせたジャズや、ときにはソウルとかを掛けているのだが、今日は何故か音楽は全く聴こえずに、彼女の気合いの入った鼻唄とも言えない熱唱に近い歌声が聴こえて来たのだった。
なんだか、かなりご機嫌な様子で、軽くステップなんかを踏みながら、菜箸を片手にリズムを取っていた。

コトコトと何かを煮込んでいる鍋の音と彼女の歌声以外の音がしない、ある意味で静かなリビング。
楽しそうにステップを踏む後ろ姿が、なんだか凄く可愛いらしくて、ついつい声を掛けそびれて眺めていると、
俺の気配を察したのだろう。
ふと振り返り、
「あっ、お帰りなさい。」と、叫ぶように言って、突然に、その場でぴょんぴょんと跳ねた後に、持っていた菜箸を流しに放り投げて、マホガニーの重厚なカウンターが邪魔と言わんばかりに、小走りで駆け寄ってくるのだった。

きちんと整えられた長い黒髪。
多分、丁寧に仕上げてあるであろう薄化粧。
適温に調節された室温でくつろげる、一見してラフに見えるが実はそれなりのブランド品の可愛い部屋着は、身体のラインを絶妙に隠し切らないセクシーさを醸していた。
シースルーのひらひらをなびかせながら、嘘偽りの無い笑顔を称えて飛び付く彼女。
肩に腕を乗せ背中に絡ませて俺をホールドして、遠慮のないキスを浴びせ掛けて来る。
前歯が当たろうがお構い無しに、舌を唇に這わせたり、歯茎の裏側にまで舌を侵入させたりと、折角の化粧も気にする事なく俺の唇を食べ物の様に貪っている。
この歓迎ぶりは、まるで飼い犬が帰宅したご主人を出迎える、大喜びに似てるな。
と、変に冷静に思ってしまったのだった。

彼女は何がそんなに、こんな男の何処が、、、
いつも、何度も考えさせられてしまう。
確かに、久し振りではあった。
と言うか、この新型コロナ騒動?で俺達二人の関係もすっかりと様変わりしてしまたったのだった。

まだ世界中が封鎖される前に勃発した海外派遣の仕事が頓挫してしまい、中途採用で定年間近の俺は、社内的に本社での一線を退かされてしまい、安穏な地元の横浜工場へと左遷されてしまったのだ。
その為に一変してしまった俺の生活。
地方出張専門のメンテナンス要員は、このコロナ騒動で国内移動が制約されて、本社内に缶詰状態を強いられてしまい、いわゆる穀潰し的な部署へと転落してしまったのだった。
海外派遣を拒否してしまった俺の立場は、社内的にも部署的にもかなりの悪評価が下されていた矢先の、このコロナ騒動でメンテナンス部署縮小の社内風潮に追われて、肩叩きではないが、かなり弱い立場に追いやられてしまったのだ。
社内でブイブイ言いながら、伸し歩いていた強者の成れの果てである。
技術系から生産系への都落ちだった。
市ヶ谷本社から、横浜工場への左遷辞令の発動で、この彼女のマンションからは通勤経路から外れただけではなく、俺の自宅近くの横浜工場での勤務は、自宅から工場の単調で規則的な生活へと激変したのだ。

単独の地方出張には一緒にくっついて来ては、温泉や観光を楽しみにしていたし、不規則な勤務形態を利用して彼女のマンションに長期間滞在も出来ていたのだが、
今や、定時出社の定時上がりである。
残業もなければ、出張もない。
はんで押した様な、単調な毎日が繰り返されて、家内的には収入は減ったものの、毎日毎日亭主が安心安全な仕事をしている。
長時間の自動車運転もなければ、夜通しの作業もなくなって、毎日同じ時間にきっちっと帰って来ると言う、普通?の生活に喜んで満足している様なのだ。

俺は家内に対して大した不満などは持ってはいない。
確かに、お互いに人間なのだから一緒に暮らしていれば多少なりとも不満はあるだろうし、嫌いな面目あるものだ。
けれど、それは敢えて口に出して波風を立てる必要はないのだ。
それを口に出した所で、家内にだって俺に対しての不平不満は沢山あるだろうし、それをお互いが言い合ってもなんの解決にもならないし、一緒に暮らして行く上でのメリットは少ないのだ。
どうしても我慢がならない様な部分は、二人が穏やかな気持ちの時にやんわりとオブラートに包んで、何度か繰り返し理解を求めれば良いのだ。
それでも改善されなければ、自分を変えるか諦めるしかないのだが、そう考えてしまうと我慢するしかない様にとらわれてしまうのだが、確かに諦めて我慢はするものの、それは家内の他の好きな所や優れている部分との相殺だったり、余りある性格だったりするので、以外と飲み込めたりもするものなのだった。

そんな愛おしい家内が居ながらも、尚も彼女が存在してしまうジレンマ。
この彼女が、これ程までに俺と言うおじさんをどうしてこれ程求めてくれるのか?
何故、こんなにも嬉しそうに喜んで迎えてくれるのだろうか?

彼女は家の都合で突然に莫大な資産が手に入り、お金には全く困ってはいないのだ。
いや、逆に有り過ぎて困っているのだ。
なので、俺が彼女に対してお金を支払う様な事は全く無く、寧ろ逆に俺を援助し様としてしまう位だった。
そう言った意味で俺は、彼女に対して、俺の為にお金は使わない様に厳しく言わなければならない立場になってしまっているのだった。
彼女の俺に対するお金の使い方は、しっかりと見張っていなければ、俺の目の届かない所、例えば、このマンションの部屋の一室を俺の部屋にしてくれているのだが、その部屋の調度品や家具を非常識な値段の、いわゆる高級品に買い換えてしまったりするのだ。
もちろん、それらの物は俺の物ではないのだが、俺の為に買った俺の好みに合わせた物であって、彼女の生活には全く必要性がない物なのだから、そこに大金を使うと言う意味は、つまりは俺だけの為に使ったお金と言う事になってしまう。
その代金を支払いたいとは思っていても、俺の収入なんかでは、この部屋の中の椅子一つの代金を支払うだけで一ヶ月の労働賃金を支払っても足りない位の物なのだ。
俺は、彼女の経済的の前では虫けら同然の小さな生き物でしかないのだ。

それでも俺は、半ば意地とでも言うか、長年働いて来た男のプライドとでも言うのか、歯の立たない抵抗は無駄に続けているのだ。


ちょっと気取ったブティック?に手を引っ張られて連れ込まれたのは、かれこれ5年も前の出来事である。

俺のクローゼットの中には、
温かい時に着ると暑くて煩わしくて、かと言って、寒い時に着ても温かくないジャケットを持っている。

太陽光で少し色褪せたスカジャンが似合わない年齢に達していた俺は、彼女の若さに合わせて、無理な出で立ちで歩いていた。
己れのファッションに全く無頓着な俺は、自分の着る服に関して拘りなど一切なく、自分の意志で自分で買った服は一着足りとも持ってはいない。
生まれてこの方、母だったり姉だったり、彼女だったり、今では家内が俺の衣服を揃えてる。
全くもって、自分のファッション感覚と言うものは持ち合わせてはいないのだ。
その時に着ていた古びて色褪せたスカジャンも、昔に付き合っていた彼女と歩いていたどぶ板通りで、「こんなの着てみたい。」と言われて、ペアルックではないが、良く似た柄をお揃いで買った物だった。

そんな着古した派手めのスカジャンを着た輩には明らかに場違いな、高級感のある気取った雰囲気が満載のブティックに無理矢理引き摺り込まれて、「年相応の落ち着いた、貴方らしい格好をして欲しいの。」と言われてしまった。
要するに、みっともない。
と、彼女は言いたかったのだ。
まあ、確かに着古したスカジャンは、鮮やかだった刺繍の色が落ちて柄の持つ威圧的な迫力がしょげかえってる様にも見えてるのだが、そこは天下のスカジャンである。
色彩に派手さは失われても、あの独特なヤンチャさ加減までは損なわれてはいないのだ。
そして何よりも、そこそこ着古したスカジャンはそこそこの年齢を重ねた俺の様な枯れ具合のおっちゃんが着てこその味が醸せるのだ。
牙を剥いて吠える様の虎や、眼光が鋭い鷹が大翼を広げて羽ばたく様の荒々しい挑戦的な柄ではなく、控え目な黒豹が躍動的に跳躍してるだけの、スカジャンにしては地味な絵柄。
それは、何年も着古さなければ出てこない渋味や、年齢を重ねたからこその哀愁が隠し味として飾られるのだ。
などと、場違いなブティックに連れ込まれ、己れのファッションを真っ向うから否定されてしまった気分の俺は、日頃の服装の無頓着さを棚に上げて、心の中で反発していた。

だがしかし、彼女の目に映っていた俺の姿は、明らかに昔の彼女が買ったと思われる想い出深い遺物を纏った未練たらしい男に見えていたのかも知れなかった。
考えてみれば確かに、デートとは言い難い街歩きではあったが、彼女の知らない昔の彼女が買ったと明らかに分かる衣服を着ていられるのには抵抗があったのかも知れなかった。
その辺の配慮の無さは、正に反省すべき点ではあったのだ。

見るからにお洒落なデザイン。
丁寧な仕立てで、生地の手触りも良く、品のある色の合わせ方。
店構えに相応しい品揃えのブティックだった。
スラックスやパンツ、インナーとジャケット。
彼女の言いなりの、彼女好みのスタイルに仕上げられてしまったのである。
まぁ、センスは多分、良いんじゃないのかとは思えた。
と言うか、その値段を考えれば、それなりの形にはなるのだろうとかも思っていたのも確かではある。
あれから5年も経てば、パンツやインナーは流石にくたびれてしまったけれど、ジャケットだけは余り着ていないので、
と、言うか限られた、寒くもなく、かと言って暑くもない、この時期にしか着られない中途半端なペラペラな生地のジャケットは未だに、彼女のマンションの俺の部屋のクローゼットの中で健在なのである。
その他にも、本社勤務していた頃の名残りの高級なスーツやネクタイもたくさん吊るされているし、
このクローゼット以外のタンスの中にも、
長期出張の時のオフタイム時に着るカジュアルな服やパジャマや部屋着等、そこはまるで俺が常に暮らして居るかの様な日常品が買い揃えられてしまっているのだった。
それらの品々は、当然の如く彼女の生活には必要のない品々であって、彼女に取っては無駄遣い以外の何物でもないのである。
しかし、彼女の言い分としては、
それらの、いわゆる俺の生活必需品を一つ一つ買い揃えて行く時の気持ちの高揚感は、幸せそのもので、私に取って貴方の存在が私の日常生活に居てくれなくてはならない人なんだと実感している時間らしいのだった。
なので、それは勿論、無駄遣いをしているなんて気持ち等は全くなくて、逆に、寧ろ、なるべく良いも物を、使い易い物、使い勝手の良い品物だったりを考えてしまうので、自ずと値の張る物に目移りしてしまうらしいのだ。

確かに、俺は彼女から現金を貰っているわけではない。
施しを受けている分けではないのだが、俺の為に買い揃えられた高価な日常品に囲まれた、俺の部屋と称される彼女の高級マンションの部屋で心から寛げるのかと言えば、
それは、身の丈に合っていない高価な品物を扱わなければならない、変な緊張感や、重厚な開閉感のする家具の扉には馴染む事は出来ないのだった。
それらの物は、彼女の物であり、俺の物ではない。
俺は借りているに過ぎない品々である以上は、それに不満を抱くのは筋違いなのだが、
俺の為に買った物と言われてしまうと、ちょっと話しが違って来るし、消耗品に至っては、明らかに俺の物であって、他の誰の物でもないのは明らかである。
歯ブラシや懐中電灯の小物電化製品から、でかいテレビやスピーカー、畳のスペースに置かれた家具調こたつ。
いや、この俺の部屋と呼ばれる一室が丸ごと彼女に取っては無駄以外のなにものでもないはずなのだ。

そう、彼女に取って俺の存在自体が無駄遣いと言うよりも、無駄の根源なのだ。
このサイトのどこかに既に記してあるのだが、
この大都会のど真ん中の新宿にマンションをあっさりと購入してしまった事態が、そもそもの間違いの始まりなのだ。
新宿駅は俺の通勤経路のターミナル駅である。
会社に行く日は必ず通る駅だからと言う理由で、このマンションを買ったのだ。
そして横浜工場勤務になってしまった今は、
今度は、横浜に移り住むと言い出しているのだ。
マンション自体は売却可能で家具も売る事が出来る物なので現金化は可能なのだが、、、
可なりの金額を掛けて改築してしまったバスルームや寝室は、とてもそのままの状態では、他人に見せる事などは出来ない有り様なのである。
一般的に無難な浴室に直さなければ、このマンションの一室は売り物にはならない。
その為には、改築した費用以上の金額を出費しなければならないのだ。
そんな事をさせる分けには、絶対にいかない。
もうこれ以上彼女に不必要な出費を重ねさせる分けには行かない。

俺は彼女に対して、それに報いるだけの事など出来はしないのだから。


俺は既に、ふかふかのソファーに押し倒されてしまっていた。
ここ数日の秋雨前線の北上で天候は不順になり、しとしときた雨の日々が続き、気温もだいぶ下がって来ていたので、それなりに着込んでいた筈の衣服は、彼女の手馴れた手付きで、キスをしている合間にあっさりとはだけさせられてしまっていた。
香水なのかヘアースプレーの香りなのか、甘く柔らかな香りがする耳元が鼻先を掠めて行って、衣服のはだけた胸元へと沈む。
胸板や脇の下を這うように唇が動き回り、呼吸が荒くなって行くのが感じられた。
キッチンの方から、火力調整が自動で調整される電子音が鳴っている。
俺は彼女の背中に軽く手を置いて、とりあえず成すがままの体制を維持している事にした。
暫く会えなかった彼女の蓄積された思いを素直に受け止め様と思った。
今までの付き合いで俺は彼女の持つ不満の在り方は、この俺の体が何度も受け入れ経験して来た事である。
特に今日の様な、会えなかった期間が長くて間が空いてしまっている場合には、彼女の思いのままに自由に気の済む迄したい事をさせて上げるのが、とりあえずの出発点なのだった。
だがこれは、あくまでも彼女が俺に会えなかった時間に蓄積された欲求を吐き出させる為だけの行為であって、性欲の出発点としての愛撫ではないのである。
したい事をさせて上げるとは言っても、大体のパターンは決まっていて、先ずは、俺が一日を着て過ごしてた着衣をはだけて、首筋や肩、胸や脇の下の俺の体臭を犬の如くクンクンと嗅ぎ捲り、これまた犬の如くに舐め回されるのだ。
何故か分からないのだが、それが兎に角、俺に会えたと言う安心が得られる一番の証らしのだ。
会いたかった思いを一先ず落ち着けさせる、この臭いを嗅ぐと言う行為は、やがて舐めて味わうに成長して行き、それの範囲が次第に広範囲に渡る様になって行くのである。
その過程で俺の着衣は脱がされて、彼女も何時の間にか全裸になっているのが常なのだった。
俺と会えた。
俺が直ぐ傍に居る実感は、抱き合ってキスをするだけでは満足できなくて、兎に角俺の臭いに包まれて、肌の温もりを感じて生きている味を味わい、とりあえず自分の唾液や体液を全身にまぶさなければ、俺に会えたと実感が持てないらしいのだ。
その終着点が例え俺の一物が彼女の口の中に納まって、どんなに激しく責め立てられていたとしても、例えフィニッシュを迎えていたとしても、それは彼女の性欲が成したものではなく、あくまでも、会えなかった寂しさを埋める為だけの挨拶にしか過ぎないのだ。
彼女の性欲はその程度で火は点かない。
俺の一物は彼女に取っては、単に俺の身体の敏感な一部分であって、そこを愛撫して刺激する事は一種の挨拶に過ぎない。
二人の性欲は、その局部にだけに集約されているのではなく、もっと精神的な深層部に秘めているピュアで尚且つどす黒い塊を引き摺り出さなければ晴らす事が出来ない事を彼女は知っているのだった。



付き合い出した頃から彼女のおしゃれの感覚が理解し難い。
それは、ファッションセンスと言う意味ではなくて、今のこの現状の有り様の事である。

これだけ期間を空けて会えなかったのは久し振りだった。
なので、ついさっきまで裸で激しくも淫らに縺れあってしまって、現状の彼女の状態は、ある意味で悲惨な姿をしているのだ。
俺がこのリビングの端に立つまでの彼女は、おそらく、エステに行って体を磨き、美容院に行って髪型を整え、ドレッサーの前に長い時間座り込んで、念入りに化粧を施して、あれやこれやと悩みつつ、色々な服を取っ替え引っ替え着替えて、髪型やお化粧に合った部屋着を選んで、準備万端で俺を迎え打つ準備に備えての戦闘態勢を取っていた筈なのである。
それに費やした時間は推定で半日以上。
いや、もしかしたら、昨日辺りからエステなどの予約をして計画準備に余念がなかった筈である。
それほどまでに時間を掛け気合いを入れてのフル装備で、「私、素敵でしょう?」と飾り立てていた筈なのだ。
それなのに俺がその姿を見たのは、ほんの2~3秒間だけだったのだ。
しかも、くしゃくしゃの喜びの笑顔で慌てて駆け寄って来てしまったので、全身の仕上がりは愚か、着ていた服などはほぼほぼ視界には入らずに、ただヒラヒラして可愛い感じ位の印象しか残っていない有り様なのだ。

そして、今の彼女の姿と来たら全裸なのである。
別に全裸なのは、日常的な生活の姿なので全く違和感は感じないのだが、そこに至るまでの苦労が見えているだけに、理解し難いのである。

綺麗に整えてあったのであろう髪型は、今ではシュシュでざっくりと束ねられて、化粧に至っては、目の周りにはカラフルな痣の様な模様が散らかってしまってる有り様なのだ。
俺は今さらそんな姿だからと言って、彼女に対する気持ちや感情には全く変化などがあろう筈はないのだが、折角のフル装備をじっくりと見せてくれる事なく、今のこの姿を染々と目の前で見せられている、この矛盾感はいったいなんなんだろうかと、激しく疑問に思ってしまうのだ。

左右のアイメイクの崩れ方が違う、演芸のふざけたコント風の顔のまま、全裸で食事の支度をしてくれている彼女の、その姿を見ていると、無性に愛おしく感じてしまうのだ。
それは多分、彼女の姿や形などの見た目には全く影響されない、そのひた向きな愛情が彼女の内側から涌き出ているからなのだと俺は知っている。

「さっ、食べよ!」
テーブルの向かい側の椅子に腰掛けた彼女の嘘偽りのない笑顔が、玄関に飾ってあったタペストリーのカボチャよりも、滑稽でふざけたメイクになっていようとも、俺にはこの彼女の溢れんばかりの笑顔が眩しくて堪らなく好きなのだ。


寝室のキングサイズベッドの四隅にはローマ彫刻?か何かは分からないが、彫刻が施してある柱が立っていて、それが支えているのは、ゆったりとしたサテン生地の天蓋である。
天井からのエアコンの風が、眠っている身体に直接当たらない様にベッドを覆っているのだ。
なので、常に空調をしている、このベッドルームの天蓋は波の様な、波紋を広げて行く様な揺らぎを繰り返し続けている。
彼女が眠れない様な夜には、この天蓋を眺めながら、浜辺にいる自分をイメージして妄想に耽ったりしているらしいのだ。
そのベッドの直ぐ横には、建ち並ぶ高層ビルが幾何学的に切り取った夜空が広がる大きな窓がある。
薄いレースのカーテンを開け放つと吸い込まれる様な黒灰色にポッカリと月が浮かぶ夜空が広がるのだ。
その空間は、俺が普段生活している庶民的生活の中には存在しない余りにも閑で落ち着いた眠りへの誘いが漂っている。
彼女は毎晩、この場所で眠りに着く迄の時間に、こんな腑抜けた男を思いながらこの景色の中に居ると思うと、時折、ラインで同じ空の下で同じ月を眺めているんだとは思いたくない程の格差を感じてしまうのは、卑しいひがみなのだろうか。

今宵の月は、多分、彼女の目にはこんなにも鮮やかには映っていないのかも知れない。
久し振りの合瀬に積もりに積もった性欲を爆発させた彼女は、後先も考えずに暴走の限りを尽くしてしまい、正体を失くしてしまっていた。

食事の後に繰り広げられたバスルームでの狂喜の宴は、その詳細をこの場に記する事は出来ないが、俺はバスローブに包んだ彼女をバスルームからお姫様抱っこで、この寝室に運んで来なければならない程に疲労をさせなければ収まらなかったからなのだ。


そして、この寝室の四隅には、オレンジ色のぼやけた灯りを放つ、それはそれは大きなランタンが点り、寝室全体を暗いながらも楽しい雰囲気に包み込んで、これからまだ繰り広げられる性技を照していたのだった。

       完

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