もしも生まれ変わったら

今の記憶を持ったまま生まれ変わることが出来たら、なんてのは誰しもが夢想する事だと思います。
僕もたまに考えたりします。

でも、実際そうなったとして、僕はどんな人生を送るでしょうか。

なんか、結局は同じような人生を送ってるんだろうな、って結論にしかならないんですよねぇ。

サッカーが好きなので、サッカー選手になる?
そもそもの運動神経の面から無理でしょう、仮に幼少期からサッカーボールを蹴る人生を送ったところで、子供の脳だとどんどん吸収して能力を高めていくんでしょうが、「今の記憶を持ってる」つまり大人の脳だと技術が上がっていくって事にならないような気がしますから、やっぱり無理なんでしょうね。

小説読むのが好き(最近はさぼり気味ですが)なので、小説家になる?
でもまぁこれは、今この人生だって、出来ない事ではないのにやってませんからねぇ。生まれ変わったからやる!ともならない気がしますよね。

プロレス好きだったからプロレスラーになる?
いやいや、体を鍛える事をしない自分が、生まれ変わったらそれをできるかと言うと、なんかやらない気がしますよね。

と言うか、全部そうなんだけど、達成するのに時間がかかる事じゃないですか。
でも、今の記憶を持って子供時代を過ごす、ってなると、多分幼少期は凄く才能が有る!と周りに思われて、チヤホヤされる人生を送るんだろうか、なんて考えると「そんなイージーモードな人生の中で努力する俺じゃないな」なんて考えちゃって、恐らくどの夢も上手く行きはしないな、って結論にしかならないんですよね。

で、どういう仕事に就くかとか考えると、「電気工事士」ってなりそうだなって思うんです。
だって、今の記憶を持ったまま、ど新人の僕が今の作業をこなせば、「こいつすげぇ」ってなるじゃないですか。「こんな出来る新人は初めてだ!」みたいな。
そうなった時に、重宝されて鼻高々の自分自身が想像出来ちゃって、きっとその心地よさから逃れられない気がするんですよねぇ。

本当なら堅実に公務員を目指すとか、より高みを目指して官僚を目指すとか、医者を目指すとか考えるべきなのかもしれませんけど、それをするには沢山勉強しなきゃいけませんし、40台後半の現在、受験や資格試験に必要な知識はむしろ若い頃より全然無くなってますから、とても苦労するのが確定しております。だったら、より楽に、周りから良く扱ってもらえる、若いころから今の記憶を持って今の仕事をすると言う、より楽な方に流される人生を送るんだろうな、と思いますね。


それと、僕以外の人は生まれ変わってないと仮定して、僕以外は普通に生活していると考えると、「今仲良くしている友人たちと巡り合えない」事になちゃうのでは!?と思ってしまって。

地元で同級生で同じクラスで、と言う人は別かもしれませんが、僕は現在そういう友達はあんまりいなくて、SNS等で知り合った人たちと仲良くなって、みたいな友達が殆どなんですが、僕が今と違う人生を送る中で、その人たちと再び巡り合えるかと言えばそうならないんじゃないかと思います。

どこまでリアリティをもって考えるかってのにもよりますが、バタフライエフェクト、蝶が羽ばたく程度の小さなかく乱でも、遠くの場所の気象に影響する、と言う効果が実際起きうるものだと言い想像が頭の中にあると、例えば僕はアーティストの平沢進さんのファンなんですが、好きになったのは彼の活動の中でも割と後期になってからで、彼の活動の中の6~7割くらいは全く存在も知らずに過ごしてたんですが、生まれ変わったらその最初の方のライブにも行けるかもしれない。
でも、僕が行った事で、現在仲良くしている、昔からの平沢ファンはチケットを取れずにライブに行かず、今ほどのファンになってないかもしれない。
そうすると、同じ平沢好きと言うきっかけで友達になった誰かとは、新しい人生では知り合う事すら出来ないかもしれない、なんて考えちゃいます。


そこまで難しく考えなくても、SNSきっかけの友達の中には、ある日ふと呟いたたった一言の投稿を僕が見つけて、もしくは相手に見つけて貰って、その奇跡のような偶然の中で繋がりを得て、仲良くなった友達もいます。
新しい人生の中で、その奇跡に再び巡り合えるとは到底思えません。
ずっとSNSに張り付いていればいいのでしょうか?でも、なんかそういう下心あって見つけても、今と同じ関係を築けるかと考えれば、そうはならないと思うのです。その時、その瞬間のテンションと気持ちでのやりとりだからその後に繋がった、と思いますから、頑張って見つけたところで今ほど仲良くはなれない、と思っちゃいますね。
ひょっとして新しい人生で、また別の方と別の出会い方をして、より仲良くなれる、もしくは結ばれる相手も居るのかもしれません。でも、そんな影も形も見えない想定よりも、今いる友人との仲の方が大事で重要だと、今の僕は思いますから、それを目指しては動けませんね。

ボッチの負け組~などと自身を卑下する事もありますが、実際僕は自分がそれなりに充実した人生を送ってると思ってて、それは今僕を友達と思って接してくれてる、失いたくない友達たちのおかげだと思ってますからね。
バタフライエフェクトを意識して、前の人生では右足を先に出して歩きだしてた道を、逆足から歩き出す事で、大事な友達と会えない人生になるとか考えると、もはや前と同じ人生をなぞる事をした方がいいんじゃないかとすら思っちゃいます。

僕はちょっと考えすぎで気にし過ぎなような気もしますけど、じゃあ僕以外の人で、現在子を成している方、その中で現在の配偶者、もしくは元配偶者でも良いですが、そういう結ばれた相手の事をあまり好ましく思って無い方が、「生まれ変わったらこの人とは付き合わない」と思ってたとして、じゃあ本当にそうなった時に「今いる自分の子」が生まれない未来を選択できるのだろうか?と思ったりします。
子供も嫌、って人は別ですが、配偶者は嫌いになっても自分の子供は愛している、と言う人は、生まれ変わって別の人と結婚する事を良しと出来るのだろうか?
まぁ僕はしてないので結論出しようがありませんけどもw
相手が変わってしまえば遺伝子も変わり、同じ子供は生まれないでしょうから、やっぱり結ばれる相手を代え難いような気がしますね。
同じ相手でもタイミングが変わると同じ子が生まれるわけじゃないのかな。だとしたら意味の無い考察ですけどね。


生きている中で、嫌な事があったりすると「もしも生まれ変わったら」と未だに考える僕ですが、なんだかんだとこんな風な考えになってしまいまして、「あんま意味ねぇな」となってしまうむらまさでした。

生まれ変われても、性根は変わらないため、結局は今ある幸せな部分を不確定なものにしちゃうだけで、特に良い事にはならなそう、なんて思ってしょんぼりしてしまう。

そんな、夢の無い夢の話。

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