劇団「治外法権」第五回本公演「額縁の短編集」

僕はこの劇団の客層には含まれて無いんだろうなぁ、と言う場違い感を覚えました。

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親友、梅崎信一の所属する劇団の芝居を見に行きました。

3回公演の『パレード』が、もうどうしようも無いくらい受け付け無くて、心底楽しめなかったんです。
4回公演は行かなかった、それは時間の都合であって、こちらの劇団はもう見ない!とかでは無くて、だから今回、時間が取れた5回公演は見に行かせて頂いたんですけど。

う〜ん。

面白く、なくは、ない。
ただ、このお芝居を、例えば再び配信などで無料で見れます!と言われたところで、二度と見ることは無い。

とは、思います。

「パレード」の感想記事に、そのお芝居は、あんまりにも好みで無く、僕の中ではお芝居ですら無い虚無の何かだった、と書いたんですが、今回のは立派にしっかりお芝居として受け取れました。

割と「この先どうなるかな」と期待しながら観てはいました。

しかし、2本あった短編の、そのどちらも、

「は?」

と言う終わり方で、意図がなんとも受け取れませんでした。

オチが無い、と言うか、オチてない、と言うか、起承転結で言えば結ばれて無いと言うか。僕はそう思っちゃいました。


どうやら、「このお話の受け止め方はそれぞれのお心の中で考えて」と言う提示の仕方が、この劇団のスタンスであるようで、考えてみると過去見てきたこの劇団のどのお話もそんな感じだった気がするんですけど、

それにしても、え?ん?は??と言うような変な終わり方で、僕としてはどうとも思えなくて。

なんて言うんでしょうねぇ、数式がずらーっと並べられていくんですが、そこに「=」の記号がくれば、こちらとしても、ここで終わりなんだな、じゃあその解は今まで観てきたお芝居の中から導き出せばいいんだな、って思うんですが、その「=」が見えないまま、文字の羅列だけで急にぱったりぶつ切りにされるもんだから、ただ戸惑うのみ、って感じでして。

また、その数式はキッチリした数字では無く、多くが「X」だの「Y」だのと言う、一見未確定な代数にて構成されてるんですが、その代数の値を導き出すヒントが、僕の認識の中では極端に少なく、そんなものの羅列で構成された式を見せつけられたところで如何ともし難い、と言う感じで。

なので、観終わった感想は、「...で?」と言うものになりました。


正直、なんの思い入れも無く、感情移入出来るような積み上げも懐の深さも無く、基本ただ鬱陶しくて独善的で面倒くさいキャラの行動を小1時間見せて貰ったところで、それに対して想像する事も別に無いのです。
その人がどうなりました!と言う結論までみせて貰えばそれは物語として受け取れるんですが、そう言う人が居て、こうなって、さぁ後は皆様のご想像にお任せします!と言われた所で、「知らないけど」にしかならないんです。

僕は。


察しがいい人は、「=」が見えたのかも知れません。

頭のいい人は、代数にキチンとした数字を入れられるのかとしれません。

センスのある人は、一見変な人間に見える登場人物達の心を受け取り、彼らの行く末に想いを馳せられるのかもしれません。


でもそのいずれも持ち合わせていない凡愚たる僕には、治外法権さんのお芝居はどう観ていいか分からないのです。

終わり良ければすべてよし、なんて言いますが、終わりがわからないともう全て分かんないストーリーだった、となってしまうのです。僕は。


歌舞伎を、それなりの知識やイヤホンガイドを無しに見ようとしても良く分からないように、「何かを持ち合わせていないと」受け取れない作品はあると思います。
簡単に言えば、日本語が分からない人が日本語の演劇を観ても理解が出来ないように。

僕には、治外法権さんの演劇を観るレベルに達していない人間なんだな、と思いましたね。

今回の作品は絵描きの物語、美術に造詣があったり、作品作りに思い入れがあったり、演劇に親しんで来た人であれば、今回の作品はさぞ美しいものだったのかもしれません。

僕は今回、仕事で着ていた作業着姿のまま、一切着ざること無くお芝居を観に行きましたけど、そういう、ただ普通に、気軽に、何も考えずに頭を空っぽにして、面白い物語を観たいと思う、普段着の一般の人間には向けられていないお芝居なんだろうな、と言うのが今思う事でしょうかね。


結末付近までは楽しませて頂きました。
結末を見届けた結果、それは何もないものとなりました。

やっぱり僕は、世界一高価な抽象画より、Twitter、Xでたまに投稿されてるプロ未満の人が書いてる漫画の方が100倍見てて楽しいです。

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