「映像制作の現場にとって原作者の意見は邪魔!」

現場作業員として新築の建物の建設に関わっておりますが、たまにお施主さん、高いお金を払って建物を建てるお客さんが現場を見に来たりします。
そんな時、作業員たる僕は思います。

「たまにきてアレがダメこれがダメとか素人が口出すな!邪魔だよ!来んなよ!!」


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現場作業員の朝は早い。
工事現場の8時の朝礼に間に合うように会社、僕にとっては自宅を出ようとすると、近い現場でも6時台、遠い現場だと5時台、場合によっては4時台とかに家を出たりします。

朝起きて、家を出るまでの時間、毎日のルーティンとして、テレビをつけてニュースを流します。家を出る準備をしたり歯を磨いて顔を洗ったりスマホゲーの日課を熟したりしてる中、気になるニュースやその日の天気などを横目で見ているんですが、観ている番組は6時前だと『Oha!4』、後だと『ZIP』を流しているのが通例です。
しかし、ここ最近はどちらも観ていません。テレビはつけますが、違うチャンネルにしておりますね。
理由は、両番組が「日本テレビ」の放送だからです。


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芦原妃名子さんのニュースが、何故だかずっと頭から離れません。
僕は『セクシー田中さん』を読んだことは無しい、なんなら今回の騒動を知るまで存じ上げませんでした。芦原妃名子さんの名前も、初めて知りました。

X、旧Twitterをやっておりますので、日々色んな話題に接して、色んな事に興味を持ちます。松本人志さんの件もそうだし、サッカー好きとしては今は伊東純也選手の件とかが知りたくて、色々情報を見てしまいます。能登半島地震の情報や、それに伴う一部政治家の独断での被災地行き、迷惑系私人逮捕系YOUTUBEの「今は来ないで」を無視したボランティア参加など、沢山見ているとやっぱり僕も考える事があるし、言いたい事も出てきたりするんですが、まぁ基本的にはあんまり発信はしないようにしてます。

何やら崇高な意思の元そうしているわけでは無く、単に沢山の情報に接している中で、自分の意見だと思ってる事が、よく考えたらXで見た他の人の意見に影響されてる、そのまんま思考をなぞってるだけ、と言うのが良くあるからです。とかく僕は人様の意見に染まりやすい人間なのです。
なので、何かのニュースに対してAと言う強い意見を見るとすぐ「Aだな!!」って思うんですが、それに対する反論、Bと言うカウンターの投稿を見ると「やっぱりBだな!!」と簡単に意見を引っ繰り返していしまう、意思が弱いと言うかすぐ相手に言い負かされちゃう人間なので、まぁSNSで何か言ってみたところで誰かの剽窃だったり洗脳だったりするので、黙っていようと思ってます。

それに、結構飽きっぽくもあるし、忘れっぽくもあり、昨日まで興味津々だったニュースに対して、翌日になるともう殆ど考えなくなってたりする事も多いです。僕自身に直接被害のあるニュースだったりする訳ではありませんから、時間を追うごとに興味も色あせて行ってしまいます。

先週ですか、Xにて芦原さんの訃報に接したとき、強いショックを受けました。その前の日だったか前々日だったかで、脚本家さんとの意見の相違でトラブルになってる旨、SNSで拝見していた直後だったことで、とても驚きました。当該脚本家、また『セクシー田中さん』のドラマを放送していた日本テレビに対して、大きな憤りを覚えました。

とは言え、やはり僕に被害のあるニュースではない、原作のファンだったりする訳じゃないので、急に意見を言うのも違うだろうし、きっと他のそれまでのニュースのように興味の波も引いていくんだろうと思っていたわけですが、何故だか本当に全然この件に関するモヤモヤは持続したまま、収まる気配がありません。
なんだろうな~と思いつつ、仕事をしたり遊んだりしながらこの件について考えていたんですが、ひょっとしたら。

僕が、原作者とは反対側の立ち位置に居た事のある人間だったから、なのかなと、思いました。



他の記事にて沢山書いておりますが、僕は20年くらい前、アニメ制作会社で働いておりました。

その頃、本気で思っておりました。

「原作者の意見は邪魔!!!!」



シスタープリンセス、と言うアニメの制作に、末端の末端ですが関わっておりました。

シスタープリンセスってのは、12人の可愛い女の子が出てくるんですが、それが全員「妹」であり、「お兄ちゃんの事が大好き」と言う設定の、ちょっとどうかしている作品です。
「オタクはこういうの好きなんだろ」のエッセンスの中で特に濃い味のものを沢山鍋に放り込んで極限まで煮詰めて濃縮したような、ヤバイお話でした。

この頭のおかしいシスタープリンセスと言う物語は、アニメオリジナルでは無く、原作がありました。
『電撃G’sマガジン』と言う、ゲームの中で特に萌え系の女の子キャラの特集に特化した、手に持ってるだけで恥ずかしい雑誌が有ったんですが、その中で雑誌オリジナルの企画としてコーナーが設けられ、徐々に人気が爆発して言って様々なメディアミックスを繰り広げました。

そのメディアミックスの中の一つにアニメがあり、僕はその中で第二期、かつその半分の『キャラクターズ』と言うパートを担当しました。


ここで。


当時周りにも、そしてその後アニメ屋を辞めて、SNS等でそれらの制作に関しての日記やら何やらを書いてた際にも、その後今に至るまで、一切言っていなかった事をカミングアウトしてみたいと思います。



シスタープリンセス。


大好きでした!
アニメ屋になる前からG’sマガジンを毎月購入し何ならシスタープリンセス略してシスプリの企画の開始からその後の様々な展開ずっと追いかけていました!
買っていたG’sマガジンは古いものは捨ててましたが、シスプリ連載し始めてからのものは全て持っておりました。保存しておりました。大事にしておりました。アニメ屋になる際、埼玉の田舎から東京に引っ越しましたけど、基本漫画とかは捨てて引っ越したのにシスプリ掲載雑誌は持っていきました。
ゲームも買いました小説も買いました、ええそれはもうシスプリ大好きな典型的なオタクだし「こういうの好きなんだろ」がまんまと好きだったし、妹たち全員大好きだったし特に千影推しでしたしまぁでやっぱりみんな大好きで萌えてフンガフンガしておりました。

ま、20年も前の話、「昔は俺もイタかった」と言える過去ですし(まぁ今もイタいんだけど)、今は昔よりオタクが市民権得ているので照れもせず言えます。
兎に角、僕は大好きな原作のアニメ化に携わることになりました。
昔のこと過ぎて細部を覚えて無いんですが、何故かアニメ第一期は観た記憶があんまりありません。原作は間違いなくブヒ萌えしてたんですがね??

ともあれ、2期の制作に下っ端の下っ端として参加しました。
そこでどんな仕事をしていたかは過去の記事に散々書いているので繰り返しませんが、兎に角激務でした。
電車通勤でしたけど、退社するのは「早くて始発」。
半月家に帰れず会社に寝泊まりなんてこともあり、毎日東京中を車で走り回る日々。

そんな中、シスプリの制作における「原作者からの意見」で一個強く覚えてる事があります。

「版権」って言う仕事がありました。
版権って言葉が正確にどういう意味なのかは兎も角、アニメ制作の中で使っていた「版権」ってのは、アニメ雑誌の表紙や扉絵、ビデオ、DVD等のパッケージに使用されるイラストを、アニメ―ターさんに発注する際に用いられていた言葉でした。
主にキャラクターデザイン、作画監督レベルの人たちにお願いするもので、1枚絵なんですが数万円の報酬で依頼する仕事。
アニメーターさんにとっては「美味しい」仕事になるかと思います。アニメの絵って、僕が働いていたレベルの低い会社の単価ですと、当時の価格として動画は1枚200円前後、各カットの原画に関しては、動きのタイミングの指示や画面に映る絵の動きの見本絵やあたりを数枚描く必要があって4000円前後だったのを考えると、アニメーターさんにとっては悪くない仕事であったと思います。

シスプリにおいても版権をお願いすることがありまして、その時は確かアニメ紙の表紙の絵を、キャラの立ち位置としては常に中央に位置する極めてスタンダードな女の子、「可憐」の絵を描いて欲しいとアニメーターさんにお願いして、とても綺麗でそれこそ可憐な、ヴァイオリンを弾く可憐ちゃんを仕上げて貰い、チェックに回しました。

ごめんなさい顛末うろ覚えでどうなったのかは忘れちゃったのですが。

「可憐が弾くのはピアノ!ヴァイオリンじゃない!!」と言う返事が返ってきたのを、今でも忘れず覚えています。
それでもヴァイオリンバージョンを使ってもらったのか、ピアノに描き替えたのかは覚えて無いんですけど。



「雑誌の表紙だぞ!でっけぇピアノなんか描けないだろ!!」

と、ひどく腹が立った事が忘れられず頭に残っております。


繰り返しますが、シスプリは大好きでした。流石に今は大好きとは言いませんし、当時も仕事としてアニメ制作に携わる中、読者として好んで読んでいたころと比べれば気持ちは落ち着いていましたけど、それでも今でも好きな作品ですし、勿論その時だって引き続き好きでした。

でも、その時は「原作者余計な事を!!」と憤りました。
可憐がピアノを弾くのだって知ってましたよ。きっとどちらかが間違えだと言うなら、アニメーターさんの方なんでしょう。
でも、あの当時の激務の中、仕事を増やす可能性のある発言をする原作者さんに対して、良くない感情を抱いたのは事実でした。


何度も書いてる通り僕は末端の人間ですから、原作者さんと絡むことはありませんでした。
監督やメインのアニメーターさんとは密にやりとりしてましたが、僕に何か作品に対する意見を言う権利なんてないし何もできません。
それでも、と言うか、だからこそ?
敢えて当時思っていた酷い言い方をするなら、「高いところから言葉を下してくる」原作者さんに対しては、不快感を持ってしまっていました。

シスプリに限らず、僕はその前後で幾つもの作品のアニメ制作に関わりました。
その中で、アニメオリジナルでは無い原作ありきの作品は多くあり、そしてシスプリ以外には「原作が好き!」と言う作品には関わりませんでした。

そういう中で原作側から「そうじゃない」と言われることは、まぁそれほど多かった印象は無いんですけど、やっぱりありました。「そのキャラはそんなこと言わない」「そのキャラの色はそれじゃない」。

そういう原作者さんの言葉を頂いたとき、現場の僕としては、どうしても思ってしまったものです。

「原作者の意見は邪魔!!!!」


好きなシスプリですら不快感持ってたくらいですから、そうでない他の作品の時の気持ちは推して知るべし、ってところでしょうか。


ですから。


僕は、今回の『セクシー田中さん』の脚本家さんの気持ちが、ちょっとですが分かりもするのです(的外れで本当は全然当たってないかもしれませんが)。
立場が全く違うので「お前に何が分かんねん」って話でもありますが、現場側としても手を抜いたり馬鹿にしたりする気も無く、各々の立場で最善の、最高のものを作ろうとしているのに、足を引っ張られた!と言う感覚があったとしたら、それは僕が当時抱いていたものと似ています。

葬送のフリーレンと言うアニメで、一部話数で作画監督を務めたアニメーターさんが過去にX(当時のTwitter)で投稿した「アニメ制作に於いて何一つ、石ころより役に立たないのが”原作者”と言う存在」と言う文言が、今回の騒動の中で掘り起こされて一部で話題になってましたけど、正直なんとなく理解できるんです。先ほど僕が書いたものと同様のものですから。流石にそこまで極端ではないにしろ。

日本シナリオ作家協会ってところがyoutubeで「原作者と脚本家はどう共存できるのか」と言う内容の動画をあげて、即削除したと言う話も目にして、その中身が原作者さんに対するリスペクトが欠けてると話題になってましたが、動画自体は消えちゃってるので見てませんが、「原作には興味があるけど原作者とは会わなくていい」とかは、全く変な話でもないかなと思います。会った方がコミュニケーション取れて意思疎通は円滑に出来るとは思いますが、別に合わなくてもやり取り出来ればそれは無理に場所と時間を合わせる必要もないし、対人が苦手な人もいるでしょうし、人それぞれ、ってカテゴリで有って、だから原作者に対するリスペクトが無いとイコールのものでもないでしょう(僕が対人苦手なもので)。
まぁ「原作通りだと脚本家が育たない」「オリジナルは企画が通らないので原作を改変してオリジナリティを出す」みたいな発言があったらしい、未視聴なのでホントかどうかわかりませんが、それを言ってたとしたら、それには何にも同意できませんけどね。

海猿の原作者さんが、ドラマの主演の俳優さんに挨拶に行ったら邪険にされた、と言うのは、まぁ失礼な話で原作者さん可哀そうと思いましたが、シスプリの版権の件でリテイク出されてプリプリしていた僕が偉そうに言えることは何もありませんね。僕は原作者さん本人にそれをぶつけたわけじゃないにしろ、忙しい中で貴重な時間を侵害されてムッとする気持ちは理解できないでもないです。大人として対応が良く無いんだろうなとは思いますけど、役者さんが人格者である必要は無いですから。


こんなことばかり書き連ねてると、僕ら現場の人間は皆原作者に悪感情を抱いてると思われるかもしれませんけど、まぁ基本的に殆どの人は「なんとも思ってない」んじゃないでしょうかね。
良きにつけ、悪しきにつけ。
原作リスペクトで仕事してる人なんて人はそんなに居ないし、原作バカにしてる人も居ない、のが通常かと。

脚本、監督、キャラクターデザイン、そして僕ら事務的な作業をするスタッフは、原作者さんのお言葉に接する機会が少ないながらも有るので、良くない感情を抱く機会にも遭遇する、と言うだけです。そしてほとんどの場合はそういうお言葉も現場にはそこまで多くは降りては来ません。僕がやってた中ではね。
なので常に悪感情を抱いてるわけでは無いんですけど、ドラマは知りませんがアニメに関して言えば、どの時期もずっと忙しくてスケジュールに振り回されてるので、たまにしか来なくてもそのスケジュールを更に悪化させる結果になる原作者さんからの「ご意見」は常に現場にとって「痛い」と感じます。
ですので、そういう意見が下されたときに、どうしても「原作者め!」と憤りを覚えてしまうわけですね。恐らくは原作者さん側の小さな不満や指摘事項は出版社や会社上層部が隠したり握りつぶして現場には降りてこないと思ってますけど、それが出来ないクリティカルな「ご意見」は全てのガードを抜けて現場に下ろされ、それだからこそ確実に対応せねばならず、僕ら側は「時間を削られる」と腹を立てる。
ただそうして原作者さんに良くない感情を抱きつつ、僕らは決して手を抜いたりはしておりません。
原作をないがしろにしよう、とは思ってない…事の方が、多いんじゃないでしょうか。

一回例に出しちゃったのでシスプリの話をしますが、僕が担当した2期のキャラクターズと言うお話の脚本は、確か明確な脚本家を置いていません。
原作側で発刊していた『キャラクターコレクション』と言う短編エピソード集があるんですけど、各キャラ、その中の一編をそのまま脚本として使用すると言う方法を取っています。原作の良さをそのまま活かそうとしたんですね。
そして、監督を務めた宮﨑なぎささんは、自身で集めてきたスタッフに「自由に手腕を振るわせる」と言う手法の監督の仕方をしています。
『ユーリ!!!on ICE』や『呪術廻戦』などでキャラクターデザインを務めている平松禎史さんや、『蟲師』『THE REFLECTION』などで監督として手腕を発揮した長濱博史さん、『フルーツバスケット』や『BANANA FISH』でキャラクターデザインを担当した林明美さんなど、全員挙げると長くなり過ぎちゃうのでこの辺にしておきますが(既に6000字書いてるぞ俺、巻け巻け)当時の僕が所属していた会社などでは招聘することは不可能な超一線級のアニメスタッフを連れて来て、各キャラクター毎に一人、基本的に絵コンテから演出から、出来うる限り原画も殆ど全て、担当してもらうと言う作り方をしました。

一部キャラクターは、原作の絵から距離があったものもあり、また各キャラごとにスタッフを変えたことで、全話を通じると絵柄の統一性が全くないと言う作品になりましたが、キャラクターズは他の話数とのつながりは無い作品だったこともあり、またそれが「高品質のアニメを作る」結果を導けると言う宮﨑監督の考えもあり、多分原作側からの多少のマイナス意見もあったと記憶しておりますが、それを全て宮﨑監督が防波堤となって受け止めて各話担当スタッフにストレスを与えず、結果として素晴らしい作品に出来上がったと自負しております。

僕としても、今は知りませんが、当時は「原画まで終わったら海外に素材を飛ばして、人海戦術の安かろう悪かろうの仕上げをして間に合わす」と言う、品質を落としつつも何とかギリギリ納期に間に合わせると言うやり方が主流だった中、基本的に海外の人海戦術に頼らず、動画や仕上げを殆ど全て国内のアニメーターや仕上げスタッフにやってもらう、と言う、今思うと気の遠くなるような作り方をしてました。
これは宮﨑監督の意向でもあり、僕としての意地でもありました。まぁ国内だから絶対良いものになるって訳じゃないんですが、それでも少しでも良いものにしようと、海外動画仕上げに頼るより何倍も手間のかかるこのやり方に拘っていました。

監督や、各話スタッフが原作が好きだったと言う事は特にないとは思います。おそらく僕くらいなものですw
ただ、監督はキャラクターズを良いものにするため、各話スタッフは任された話をより完成度の高いものにするため、精一杯頑張ってらしたのは間違いありません。
疲れて机に突っ伏して寝ていた平松さんを叩き起こして、シスプリの春歌の作画をしてもらったのを今でも覚えております。
…なんて恐れ多い事をしたものでしょうか…。
なんにせよ、皆全力でしたよ。

シスプリ以外のアニメも、いい加減に作ったことはありません。時間が足りずに悔やまれる出来になってしまったものはいくつもありますが、「原作が好きじゃないからいいや」なんて気持ちは無かったと思います。僕が知っている中で、そういうスタッフは見た事無いかな。

これは原作リスペクト云々ってよりは、出来上がった作品が監督にとっては勲章で有ったり、画面に映った絵がアニメーターにとっては名刺代わりで有ったり、単純に飯のタネだからやってるってのもあるかと思いますが、手を抜いて低品質のものを提供したら仕事を失いますので、それぞれに責任のある仕事はしていたはずだと考えます。


ただまあ。
「良いものを作る」と言う目的は同じでも、向いてる方向は、各自違ってたのかもしれません。

僕は、「納期に間に合わせる」を必ずやらなければならないものとして中心に据えてましたし、
監督は、シスプリで言えば「クオリティの高い作品を作る」、その他の作品などでは「全体を整える」と言うやり方をしていたかもしれません。
作画監督は「その話数の中での絵柄の統一」を至上命題においていたかもしれませんし、
脚本家は、1話30分、1クールなら1クールなりの、2クールなら2クールなりの、それより多ければそれなりの、尺の中に収めるために、原作のどのエピソードをどこに持ってきて、どこに盛り上げどころ、山場を持ってきて、それでいて1話の中に必ず見どころや視聴者の目を引く場面を用意して、等と言う図面を、必死で引いていたのかもしれません。

小説だと、「山場」が後半に来て、それまでが多少平坦、ローテンポでも読んでもらえるかもしれませんが、映像作品だと1話1話に興味を引く場面を用意しなければいけない。
漫画だと、漫画の1話の中で「起承転結」が組み込まれていたとしても、映像化で30分なり1時間なりと言う尺に当て嵌めた時、漫画内の複数話数を映像作品の1話の中に並べる事になり、そのままやると起承転結が幾つも放り込まれる複雑な展開になってしまうかもしれない、それを整えて1個の起承転結にしないと作品にならない、もしくは漫画の1話をそのまま映像作品の1話にしようとすると、どうしてもエピソードが足りずオリジナルの部分が必要になってくる、という葛藤があるのかもしれない……。

いや、脚本書いたこと無いから分からないですけども、ただ、原作通りに、と言われてもなかなかやりづらいのかもしれない、と、少ないながらも2クール物の連続アニメの脚本打ち合わせを横目で観ていたことがある僕としては、思ったりしたのでした。

そして、原作者としては「原作通りの、良い映像作品を作って欲しい」と考える。当たり前の考え、当然の権利、だと思います。

その原作者の「良いものを」と求める思いを、当時の僕のような考えの現場の人間たちが、「俺の”良いものを作る”の目的にとって邪魔!」と言う自分の中の正義を沢山集積させ、重く重くのしかからせ、原作者さんの心を押しつぶし、今回のような悲しい出来事を引き起こすきっかけとなったのかもしれない。


芦原さんを擁護したい気持ちで日テレや脚本家に憤りを持っていた僕が、実は以前は「芦原さんを押しつぶした側」に居た人間だったのかもしれない。

そんな事が見えない棘となって引っかかっていた、そのためずっとモヤモヤしていたのかもしれない、と思い至りました。


現場にとって、「敵対する誰か」がいるのって都合が良いんですよね。

ドラマの現場は知りませんが、僕が知ってる昔のアニメ現場だと、1個のアニメを作るのに何十人、場合によっては何百人って人手がかかるわけです。
その沢山いるスタッフが、もめないなんてことは基本無いです。
誰かと誰かは仲が悪くなります。僕は制作デスクになった作品でメインスタッフ全員から嫌われて自殺したくなるくらい病みました。
監督と作画スタッフが対立する事だってあるでしょうし、演出が「このアニメーター下手!」と求める品質に達してない原画にリテイクを出せば、出されたアニメーターは「あの演出うざい!」ってなる事だってあります。
そんな中、スタッフに満足いくスケジュールを用意できなかった制作側が、「原作が文句を言ってきたせいで遅れちゃって…」なんて言ったら。「漫画家が”この絵だとダメ”って言って来たから」と言い訳したら。
何となく、共通の敵が出来て丸く収まったりするんです。

僕はそんな手を使ったことはありませんが。

もしかして、原作側との窓口を務めるプロデューサーとかが、そういう嘘を吹き込んで現場の一致団結を企んでいたとしたら…?

・・・。

過去のアニメの話でも、今回のドラマの話でも、そんな事が実際あった確証は全く無いので、この話を広げるのはやめましょうか。

ただ、今回の騒動で明確に悪手を打ったのは、プロデューサーレベルの人たちだと思います。


こんなに長く色々書いて結局何がいいたいんだ?って話ですけども、まぁ書いてる僕自身もゴールが分からないまま文字を重ねてますが、ともあれ「現場の人の、原作者を良く思わない気持ちは、恐らく多くの場面であるんじゃないかな」と言う事です。少なくとも、僕の経験した事実として。
「そんな気持ちでいるのはけしからん!」って思われる方もいらっしゃると思いますが、事実は事実として、それを踏まえた上で色んな対策を練るのが大事なんじゃないかと思う次第です。
SNSに居ますと、沢山の「一点の曇りもない正義の味方」に遭遇します。車の通ってない横断歩道の赤信号を無視して横断歩道を渡った、なんて他愛もない「悪い」話でも、それを見つけた「正義の味方」が寄ってきてガンガン叩き始める、って印象です。本人たちは本当にそんなに一点の曇りも無い人生を送ってんのかよ?と思いますが、実は僕自身も気づかず「一点の曇りもない正義の味方」視点で誰かを糾弾したい気持ちになっていることが多々あります。前述の通りの影響されやすい人間です。
でも、実情は原作者に対して悪態をつくような人間であるわけです。

「全員が純真無垢な正義の味方で有れ」と言う議論に、きっと意味など無いです。実現不可能な理想論に過ぎないと考えます。
人間の多くは凡人で、色んな黒い部分を持ち、悪い心を持ち、良くない経験をしていると僕は思ってて、そう言うのを踏まえた上での「じゃあどうするか」と言うのを考えていくべきなんじゃないかと、今回の件も思ったのでした。

関わる全員が原作リスペクトを持てるかと言うとそうではありません。
仕事でオファーが来たからやってるだけ、と言うのは往々にしてありうること。
僕の中の常識に照らせば、それでも来たオファーには全力で取り組んでいる人たちばかりだと信じたいですけども、その「全力」が原作者の求める方向での「全力」と重なることは、きっと稀なんでしょうね。
そこの整合性を合わせていくのを、プロデューサーでありテレビ局であったり出版社の人たちが行うべき、なんだと思います。
「局や出版社は原作を金儲けの手段としてしか見ていない」的な言説もSNSで見かけましたけど、お金を稼ぐこと自体は何も悪い事ではないですよね。僕も小なりと言えど、社員は一人もいないと言えど、現在は電気工事会社の経営者。携わってくれてる職人さんたちに良い仕事を振ってちゃんと儲けさせるためには、会社に沢山のお金がいるのです。お金稼ぐために仕事してるんですし。
局や出版社が沢山お金を取っても良いと思います。
ただ、得たお金に見合う仕事をしてくれれば。
彼らがしなければいけない仕事が、現場間の調整なのですから。
どうしても「向いてる方向」が一致しない、これはもう仕方ない、それぞれ別の表現者たちが同じ看板を掲げて仕事してるんだからどうしてもそうならざるを得ない。
だとしたら、なるべく方向を揃える様な努力を、違う向きになってしまうとしても双方が極力納得した上でその結論に持っていく努力を、するのが局なり出版社なんでしょう。

今回は、最悪の結果が出てしまっている以上、それが大失敗だったのです。

これに関して、局や出版社がどのような正当な努力をしていたと主張しようと、評価は「最低」。お金を貰う価値の無い仕事しか出来なかったという結論だと思います。

僕が勘ぐったように「原作者を悪者にする」と言う方法で現場を纏め上げようとしたのかもしれません、原作者をなだめすかしだまくらかして、緩やかな原作改変認知をすり込もうと思って失敗したのかもしれません。
脚本家の手綱を握れず、暴走させてしまったのかもしれませんし、モチベーション上げるために「原作替えていいよ」と言ってこじれさせたのかもしれません。
肝心な責任者たちが明確な事情を声明として発表してない以上、本当の事は分かりませんが、であれば我々見てる側は、起きてしまった「最悪の結果」だけで評価するのみですし、勝手に想像して、僕にしてみればせいぜい今まで見てきた日テレの番組を観ないってだけです。出版社は良く分かってませんけど。小学館?もともと買って無いのでこれからも買わないようにしましょうか。


僕がネットやテレビなどで見た限りの話の発端は脚本家さんにあるような認識で居ますが、それに関しては多くは述べない方がいいかな。

最初はね、この記事書こうかな、と思った時、どこかに「俺がデスノート持ってたら、脚本家とプロデューサーの名前を書いてやりたい」とか書こうと思ってたんです。
でも、日曜日のワイドナショーに漫画家の柴田亜美さんが出演されてて、脚本家を責めるのはやめて欲しいと仰ってたのを見て、やっぱり影響されやすい僕、もっともだな、と思ったのです。
SNSで「また原作者を攻撃した脚本家を守ろうとしてる」と言う投稿も見かけましたが、柴田さんのお話を聞く限りそういう事ではないと僕は受け止めまして、印象としては、脚本家を責めるのは、芦原さんが最後に残した「攻撃したかったわけじゃなくて」の言葉を踏みにじるような行為だしまた不幸な事が起きてしまうのを止めたい、と言うものだったな、と。

次あるかもしれない「最悪の結果」を防ぐ努力をすべきなのは局と出版社であって、フリーの漫画家の柴田さんの役割じゃない、悲痛な涙を流させてまで何させてんだって気持ちがありますが、であればこそ、柴田さんのご意思は尊重するべきだ、と思いまして。


人間誰だって黒い部分、心の中で沸々と湧き上がる怒りや攻撃性を持っているとは思いますが、その昔、ただ身内の間で愚痴や文句を吐き出して終わっていたものを、今やSNSを通じて世界に発信できるようになってる世の中です。
作業もたついて客に文句を言われたコンビニ店員が、荷物に傷をつけてしまってクレームを入れられた配送員が、時間に間に合わなくて怒られたトラックドライバーが、客と別れた後に言ってきた相手に対して怒りを覚えてそれを仲間や家族に吐き出すのは、有り得ることだし有っていいと思います、憤りや怒りを抑え込んでしまっておく必要は無い、吐き出してスッキリした方が良いと思います。

でも、それを言ってきた本人に直接ぶつけるのではトラブルにしかなりません。SNSで世界に向けて発信するのも同様でしょう。著名な方ならなおさら。大したフォロワーもいない一般人の投稿ですら、見つかって炎上する事のある世の中ですからね。どうしても吐き出したければ、別垢なり鍵垢なり作って「王様の耳はロバの耳!!」と叫べばいいと思います。

これは脚本家さんに向けての言葉じゃなくて、自戒の言葉です。
明日は我が身。
もし本当に「脚本家死すべし」なんて書いて、実際にその通りになったら僕は1ミリでもコンマ数ミリでも、その方の心臓にナイフを突き立てた集団の一人です、無責任を気取っては居られません。



今日も今日とて、僕は工事現場で仕事をしてきました。
本日もお施主さんが来て〜とかだったら話の進め方として出来上がってるのかも知れないけど、今日は別に誰も見学には来ず、ただただ普通に快適に忙しい仕事を進めてまいりました。
その快適さが壊れる事になる、忙しさと不便さだけが残る事になる、「お客様の目」を僕は煩わしく思っているのでしょう。

しかし現場で作ってるのは僕の家ではありません、お客さんのものです。
ですからそこで「邪魔」なんて言えようが無いではないですか。
「客の見学なんて石ころ程も役に立たない」と、僕も思ってます。
でもお客さんは見たいに決まってるんです、僕だって家建てたら途中だって観に行きたいですもん。
そうなった時に現場の人間に「邪魔だよ」と言われたらどんだけ悲しいか。幸せの予感しか無かった新築の我が家が、途端に忌まわしいものになるかもしれません。

なので、僕は現場でお客さんの見学に会ったら笑顔で「お疲れ様です!」と言ってましたし、これからもそうします。
と言うか、恐らく多くの方はそうしてる事でしょう。

それが、ことSNS上だと気軽に不快感を表明できちゃうのは、やっちゃダメとかやるべきでは無いとかは分からないけど、危険な事ではあるんだな、と思い知った事件でした。

愚痴やら文句は僕も気軽に言ってしまうしXに書いてしまいます。
しかし、「ペンは剣より強し」。
言葉の力は、今回の件では脚本家の意図した以上の鋭さと深さで原作者さんを刺し貫いてしまったのかもしれません。
僕が簡単に呟いた愚痴も、誰かに深々と刺さってしまう可能性があるのは心しておくべきなのかなと思います。


当事者でもファンでも無いのに無駄に語りすぎましたね。
これだけ書いて特に結論もありません。
多くの現場にとって、原作者とか施主さんと言うのは邪魔な存在というのは、好きとかリスペクトとか相手のものだからとか、好意的に思っていたとしても生まれてしまう感情である、と言うのは現実として存在するものだと言う前提で、原作のある作品の映像制作の現場は運営して行った方が良いんだろうな、と思いつつ、まぁもうそっちの世界には戻るつもりは無いので、今回下手な運営をした日本テレビや小学館に真摯に受け止めて反省してもらいつつ、このニュースに接した同業他社のスタッフの皆様は2度とこのような不幸な出来事が起きぬよう、お仕事をして頂きたいものだと思いつつ、
誰しもが持つことが出来る、剣よりもなお重く鋭利に相手を切り裂く「ペン」の力の使い方には細心の注意を払いたいと言う自戒を繰り返しつつ、長すぎる記事を終わりにしたいと思います。

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