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コロナ後遺症で味覚探しの旅に出た

8月上旬、新型コロナウイルスに初感染した。感染して4日目。

夕飯におみそ汁と酢の物、ナスの煮びたしを食べていた。
おかしい。
不思議に思い、おでこに貼っていた冷えピタをはがして嗅いでみた。なにも匂わなかった。梅干しを食べても、砂糖をなめても、無味無臭だった。

突然、嗅覚と味覚を失った。

病院へ行き、先生に症状を伝えると「戻るには早くて2週間以内、長い人は半年かかります」と言われた。
食べることを愛してやまないわたしには、ショックなできごとだった。

でも、別に死ぬわけではない。気ままに感覚が戻るのを待つことにした。
むしろ、食への研究になると思って受け入れた。
そして、わたしの生活がいかにいろんな匂いや味で支えられてきたのか実感することになった。

失って得た意外なメリット

1)ノンカフェイン生活になった

コーヒーや紅茶、緑茶などを飲まなくなった。何を飲んでも味がしないので、蛇口をひねって出てくる水道水でじゅうぶんなのだ。カフェインを摂取することがなくなり、身体を労わることができた。利尿作用がないから、飲んだ量の水が身体へ吸収されていく。
もちろん、お菓子も味がしないので食べなくなった。

2)スースーしなくなった

龍角散のど飴を食べている状態でも、水がガブガブ飲めて便利だった。ふつうならスースーしすぎて、涙が出てきてしまう。
療養中でもあったため咳が止まないうえに、喉がイガイガした。喉をうるおそうと龍角散のど飴をなめる。あの特有のスースー感が全くない。もともとちょっぴり苦手だったから、ちょうどよかった。
ちなみに嗅覚もないため、メンズ系のボディソープを使ってもスースーしない。
あと歯磨き粉もスースーしない。だから、歯を磨いたかどうか記憶しておかないといけない。これは少々やっかいだった。

3)苦手なものが食べられる

不思議なことに苦手なものが食べられる。わたしはゴーヤなどの苦い食べ物が苦手だ。
たまたま大根をぬか漬けにしたら、苦くできあがってしまった。葉の方ではなく、根の方の大根を使ってしまったからだろう。
夫は「苦い」と言いながら食べていたが、わたしには味が分からなかった。もはや口に入れたものが大根のぬか漬けなのか、たくあんなのかすら、見ないと分からないのだ。
苦手なトマトも食べられた。無敵になった。

失ったら不便だった!デメリット

1)味つけができない

嗅覚と味覚を失っても、夕食はきちんと作っていた。食材を切って、煮たり焼いたりするのだが、味の決め手となる味つけがなにもできない。ふだん調味料は一切図らずに目分量で入れ、味見をして整えていたものだから、こういうときに困る。
夫に味見をしてもらうと「薄いかも」と言われ、塩コショウを足した。飲んでみると、かなり舌にピリピリくる。どうやら濃くしすぎてしまったようだ。夫は汗をかいたから、しょっぱいスープが飲みたかったらしい。まんまと騙されてしまった。笑
結局、お湯を足していい感じになった。

2)食欲が湧かない

食卓にならんだ料理の匂いを嗅ぐと誰だってお腹が空く。それがなくなった。
料理をしているのに全然いい匂いがしないから、「おいしそう」ではなく「生きるために食べなくちゃ」となる。朝食は起床してすぐに食べるから大丈夫だけれど、昼食はもし部屋に時計がなかったらすっかり忘れてしまうだろう。

3)入眠に時間がかかる

お風呂に入り、いい香りのするシャンプーで身体を洗ってホッとする。お風呂から出たら、いい香りのするオールインワン化粧水で顔を保湿して、アロマキャンドルをたきながらヨガをする。就寝前にハンドクリームで手を保湿して、いい香りにつつまれて寝る。
香りにはリラックス効果があるのだけれど、それがことごとく断たれてしまった。
どことなく、なにかがもの足りない。香りによるリラックス効果が得られず、入眠まで少し時間がかかるようになった。

ちなみに味覚を失っても、ゆいいつ辛みは感じることができた。どうやら辛みは、五味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)と違い、痛みなどと同じ“刺激”として感じ取るものらしい。つまり、神経が違うのだ。
辛みを感じ取るときちんと神経が機能して、みんなと同じように生きてるんだなぁと感動した。

処方された漢方のおかげで3週間後には嗅覚と味覚が戻り、元の生活に戻った。
もう一度、失いたいとは思わない。いろんな匂い、味を感じられる方が何倍も人生が豊かになると知ったからだ。
ない世界よりもある世界の方が愛おしい。

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