時代についていく、ついていけない、取り残されるとは?~64歳の雑感
今年65歳、いよいよ「高齢者」となる私です。
仕事柄、若いディレクターと関わっているお陰もあり、
年齢の割には「時代と共に」やれてきたと思いますが、
さすがに「こら、もうついていけてへんなぁ」と実感。
で、結論。
「ついていく必要もなければ嘆くことでもない」
「逆に、ついていかんでええし」
「ついて」いくには、かなりの情報に接しないといけないし、
それを理解する必要もあります。
さんまさんはそれをやってはるようですが、
さんまさんの場合は「好きなこと・興味あること」が広い、多い。
それでも・・・限界はある。
タモリさんはマイペースか。
自分の興味あることを深めてきた感じ。
これはこれで真似るのは簡単でもない。
対照的なお二人ですが、今も一線です。
一線だからこその意味もありましょうが、
私ごときは結局、どっちつかず。
「私ごとき」で考えますと、
◉情報の量を減らしていく
「時代についていけない」のは、
流行りについていこう、「情報としての流行」かな、
そんな気持ちでいるからいけない。
「知らない」ことは「知らない」でいい。
◉丁寧な暮らしを心がける
もう「ぱっぱ」とやれんのですな。
それを嘆いても仕方がない。
一度に2つも3つもできない、やろうとするとミスる。
荷物を持って玄関のカギを開けようとすると、
「落とすわ~」を何度もあるわけでして、ならば!
荷物を置いてからカギ出して、開けて・・・と、
ひとつひとつの動作を丁寧にやっていく、
そうすれば「落とすわ~」は減る。
さらに「カギを開ける」に集中する^^;
ここもポイントなんですが、それでも落とす^^;;
感覚的には
「ゆったりと時間を流していく」
「ここは時間がゆったりと流れている」というのは
旅行先で感じたり、聞いたりする話ですよね。
それを日常的に取り入れる、感じていく。
「ジタバタ慌てても一緒」という諦観でもあります。
というのを心がけるようになりました。
相変わらずジタバタすることはあっても。
こうなると「処理できる情報量」は限られてくる。
自ずと減る。
そもそも「処理能力・速度」は落ちる一方。
つまりこれが「ついていけない」ということになるので、
それでいいじゃないか!という結論です。
◉選択と集中
まず70歳に向けて何を選択し、どうエネルギーを傾けるか。
ある程度「選択」できてきています。
それでもまだまだ多いなあ。
時間の使い方は考える必要はありますが、
徐々に「選択したこと」は収斂していくでしょう。
◉あとは、とにもかくにも元気で健康に^0^
これに尽きますね。
心技体が「健康」であるように。
不安と心配が多い時代ですが、
個人の思う「不安・心配」のほとんどは
「要らぬ心配」だそうです。
「明日はどうなるか」に心を支配されないように、
今日できることに心と力を注ぐしかないのでしょう。
不安を煽ることが多いメディア、情報に惑わされず。
俯瞰で見るようにもしながら、
「ほら、今日の空は青いぜ」で、ええよなぁ。
◇「取り残される」という感覚とは?
高齢者の孤立は社会問題、課題となっています。
人と関わらない、社会と関わらない、
そんな生き方をしていると、
そう感じやすくなるものなのか。
若い世代にも「時代に、社会に取り残されている」
と感じている人もいるようだ。
私とて、年を取れば取るほど、
心のありようがどうなっていくのか分かりません。
だからこそ今から「心がけて」いくことで、
「んなもんやろ」で終われたら御の字としたい。
年頭にあてっての雑感、
または今年のテーマでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?