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大事なことは書いて残しちゃダメよ、の文化

大事なことは文字で残さない。

昨日に引き続き『漢文の素養』を読んでて、
どうやら日本は大事なことは文字では残さない文化らしい。

言霊思想というのがあって、古代から「言葉にするとそのことが起きる」とされていた。
「死ぬ」と口にするとホントに死んでしまう、とか、
いまでも「失敗するかも」と口にすると実際に失敗してしまうことはよくある。

「引き寄せの法則」もそれかもしれない。
(こないだは脳みその「ラス構造」だと書いたけど……)
(ま、いろいろあるんだろう……)
(もう何書いても説得力なくなるなあ……)

口にするとそうなるから、文字にして残すなんてとんでもない!

という民俗は日本だけじゃなくて、古代インドでも釈迦の教えは長く口伝だったし、
キリスト教の旧約聖書でも神様の名前は文字にすることが禁じられていたので、
「THWH」と、子音しか記録されてなくて、それを13世紀以降、
「エホバ」といったり「ヤハウエ」といったりしている。

古代の天皇陵も実はどの天皇のお墓だか定かでないこともあって、
日本で一番大きい前方後円墳は「仁徳天皇陵」だと、
小学生のときからずっと教えられてきたけれども、
どうやら仁徳天皇のお墓ではない、というのが定説化しているそうで。
陵の中に副蔵されていた埴輪や土器をしらべてみると、
『古事記』『日本書紀』が伝える仁徳天皇の在任期間とがあわない。
……なんてことになってる。

もし、単に漢字の字形をまねることをもって漢字の受容とみなすのであれば、日本人は、弥生時代から文字時代にはいった、ということができる。ただ、日本人自身が、自分たちの事跡を漢字で記録することはなかった。

いまでもどうやら、その事跡を記録しない民俗は残っている。
自民党の総裁が岸田文雄になろうと、
総理大臣が岸田文雄になろうと、
記録はしないし、記録はないから記録を追ったりはしない。

でも、それは岸田文雄だからそうなんだということではなく、
わたしたちはわたしたち自身でもそれでよし、とずっとしてきたということにもなる。


『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』加藤徹 光文社新書 2006年