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プレイフルでブラボーに

吉里吉里の吉祥寺で除夜の鐘を撞いてきた。

誰かを幸せにした?

夜じゃなくて昼間だったけど、
そうじゃないと子どもたちが鐘を撞けないのでそうしているのだろう。
わたしが子どものころもそうだった。
だけど、吉里吉里の子たちは行儀が良い。
ちゃんとお焼香して、お祈りして、それから撞く。
わたしたちは、普段はできない鐘を撞くなんてことができるから、
やたらめったら連打して連打して連打して、
街中を鐘の音だらけにして呆れられていた。

高橋英悟和尚さんが、子どもたちに鐘を解放する前に、短く説教。
「誰かを幸せにした一年でしたか?」

食べることばかりしか書くことがない

いま、元旦の午前4時にこれを書いている。
12月からつけはじめたミーニング・ノートを見返す。

ミーニング・ノートは、その日にうれしかった出来事を3つ書く。
書いたあとから、その「うれしかったこと」に意味づけする(ミーニング)。
言語化することによって、それが自分にとってのチャンスにつながる。

そのミーニング・ノートに、このひと月、食べる「うれしいこと」が多かった。
誰と食べた、何を食べた、美味しかった、楽しかった。
(昨日のnoteはカツサンドだし……)

ふと考えると、仕事は充実していたんだろうか。
ひと月、どんな仕事をしてきたか、振り返ってみた。

豊かさとはなにか

あたなにとって豊かさとはなんですか?

朝ジョギングしながら聞いていたラジオで、
パーソナリティがゲストにそう質問していた。
ゲストは答えた。
「自分がやりたいことをやれる環境、社会です」

わたしは、やりたいことがやれている。
……はず。

じゃあなぜ、ノートには食べることしか「うれしいこと」が書けないんだろう。

わかった。プレイフル(playful)じゃないからだ。

プレイフルとは「ドキドキわくわくする心の状態」のことで、
・真剣に向き合うこと
・柔軟であること
・協調のためのエンジン
・実現できそうな予感にわくわくすること

やりたいことはやれている。
だからわたしはいま、豊かである。
なのにミーニング・ノートに仕事のことがでてこないのは、
プレイフルじゃないからだ。

今年はプレイフルに、ブラボーに、
人を幸せにする一年にしていこう。


『プレイフル・シンキング』上田信行 宣伝会議 2009年