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これを読めばニワカじゃないプレミアム。堀口恭司の過去を覗く事で見えてくる現在と未来編。

先日、堀口恭司君が31歳の誕生日を迎えたというツイートが目に入って来ました。

私の率直な感想と致しましては、「あぁ彼はもうそんな歳になったのか」と同時に自分との年齢差が4つとそこまで離れていないことに気づかされました。

私が現役時代、彼が内弟子を志願してジムに入ってきた時は、もう既に私はボスの弟子になって5年の月日が経とうとしていました。彼にとって私という存在は一番身近な、だけど少し遠い兄弟子だったと思います。

何が言いたいのかというと、正直恭司は私の歴史の中でも最も掛け離れた後輩で、当時ボスが用意してくれた「どくだみ荘」(ボスが付けた一軒家の名前)寮には、KRAZYから住み込みになったカズト(現在格闘フォトグラファー)やブラジルの先生がいたお陰で、わざわざ私が何か教えるという事は特になかったからです。

なので、恭司の年齢なんて気にしたこともなかったですし、そもそも私は厳しい先輩達のお陰で後輩との接し方は年齢とか関係なく、フラットに接していましたので、年齢なんて気にしたことがありませんでした。

後輩の矢地やカズト、ブラジルの先生と遊びに行くときに一緒に恭司も行った事くらいしか彼との思い出というものはありません。強いていうなら、寮生活でピットブルの散歩や洗濯も一番最後に入って来た恭司がやっていた事でしょうか。あとは基本的に私がぶっ飛んでいたので、そういう姿を見てどう思ってたのか知りませんが、多分びっくりしていただろうなというくらいの記憶しかありません。

恭司の話になると「最初から化け物だったんですか?」と聞かれる事がありますが、そんな事は全くありませんでした。

最初の練習に参加した彼は、何も出来ずにやられていたような感じで、私もグラップリングの練習で胸を貸したことはありますが、当然素人の彼は私にもやられていました。

当然の事ですが、プロ練習にいきなり飛び込んで先輩達がいきなり相手してくれるような環境ではありませんでしたので(先輩の練習にもならない)、彼は若手の人間と練習するしかなかったですからね。

堀口恭司が入門してプロになるまでちょうど1年ちょっとくらいだったと思います。パンクラスの前座で戦っていた私がアマチュア修斗に魅了されて全日本を目指して2年目の事でした。

1年目の全日本は矢地に獲られて自分は補欠一番目と、本線に出場できなかった悔しい思いをしました。翌年、本線に出れる2年目の全日本に遊び呆けて申し込みを忘れた天才の私を尻目に、恭司はその年の12月にある全関東で優勝をして、文句なしのプロ昇格を果たしました。その頃のアマチュア修斗というのは人数も溢れていましたし、パンクラスのプロがアマチュアに出るくらいレベルの高い大会でした。そんな中でのプロ昇格は今考えてもすごいと思います。

話は少し逸れましたが、彼の才能が爆発したのには理由があります。そして彼には今後どのような試練が待っているのか?堀口恭司が化け物になったきっかけを知っている私だからこそ書ける事をお話しようかと思います。

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