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吾輩は「馬鹿」である

はじめに

むぎの部屋へようこそ。
ここでは私自身の過去、
日々の生活から得た学びを
お届けしています。
何か一つでも
持って帰ってもらえたら嬉しいです。

あなた頭がいいですね!
と言われて悪い気になる人は
そんなにいないでしょう。

それでは、
あなたは頭がいいですか?
と聞かれて
自信を持ってイエスと答える人は
どれだけいるでしょうか。

今日は「頭のよさ」って
何なんだろうという疑問から
浮かんだ考えについて書いてみます。

「馬鹿にしているのか」という発言から読み取れる自意識

よく相手の発言に対してこちらが
訂正したり、否定するようなことを言うと
「馬鹿にしているのか!」
と怒り出す人っていますよね。

いや、そもそもあなたが馬鹿であるか
どうかなんて
どうでもいい話で。
少なくともその発言をするあたり頭悪いな〜と
内心馬鹿にすることになるのですが。。。

「馬鹿にしているのか」
と言う言葉の裏には、
少なくとも自分はあなたより上だ
という無意識下の自意識が
見え隠れしていると考えています。

だから自分より下に見ていた人から
反発されると怒り狂うんですよね。

多分これに関しては私が少し
大人の対応、と言われるものが
欠けているとも思います。

少しでも話に矛盾点や引っ掛かりがあると
つい気になって聞いてしまう。

それを「馬鹿にしているのか」
とあしらう人もいれば、
今の会社の尊敬する上司のように
「確かにそういう見方もあったね」
と素直に自分の理論の抜けもれを
認めた上でその意見を盛り込み
さらに話を前に
進めようとしてくれる方もいます。

この二者の間にあるのが
「全能感」の違いなのかなと思いました。

「全能感」とは、
自分が何でもできる、知っていると
つい思い込んでしまうという
いわば自己陶酔に近い感覚だったと
記憶しています。

「馬鹿にしているのか」
と言う人はおそらくこの「全能感」が強く、
自分は他の人より優れている、偉いのである
ゆえに自分の言うことが絶対である
という意識が強く、
こちらの意見には聞く耳も持たないのに
対して、

今の上司のように
「そういう見方もあるね」
と他者の意見を尊重できる人は
例えいくら立場が上でも、
その自分のいるポジションと
議論に対する知識、意見というものは
全く別の性質であるものとして
あくまでも対等に議論のステージに
乗せて会話が成立しているんですよね。

この違いから、
どちらが一緒に仕事をする上で
心地いいかと言われたら圧倒的に
後者なんですよね。

人によってはもしかしたら
自分の頭で考えたくない、
上司が言ったことにとりあえず
従っておけば無難で楽
という方もいるでしょう。

どちらが正しい、間違っているという
問題ではなく、
あくまでも好みの問題でしょう。

そう考えた時に、
今の私はどうなんだろうと
考えました。

いつまでも「馬鹿」でありたい

私は特に優秀な大学を卒業しただとか、
有名企業に勤めているだとか
そういう誰から見ても「優秀」と
捉えられるような肩書きは
残念ながら持っていません。

その点、自分ことは広い世界の中では
「馬鹿」であり、「雑魚」であると
自覚しているつもりです。

しかし、視野を自分の身近に絞った
時にはどうでしょう。

私の今過ごしている範囲内で
手放しで尊敬できる人は
片手で数えるほどでしょう。

それでは他の人たちはどうなのか。
正直、日本語なのに
全く会話が成立しないような
話しているだけでストレスを感じる
ような人が大半です。

そういう人たちに対し、
もしかしたら無意識に私の中でも
「全能感」が芽生えてしまって
いなかったかもしれない。

あからさまに態度に出すかは別として
少なくとも心の中では
「馬鹿だなこいつ」
と思いながら会話をしているし、
そういう人たちに関して
このnoteで取り上げることもありました。

待て待て、私は世間で見たら
まだまだ底辺のはずなのに
何を偉そうに。

大いに反省しております。

もしかしたら自分が今手の届く
範囲の中では物足りないくらいかも
しれない。

しかしあくまでも
井の中の蛙であって、
外の大海においては私なんてまだまだ
ミジンコ以下です。

先ほどから触れている「全能感」、
これを持った時に人は成長することを
やめるのではないでしょうか。
自分が他より優れているなら
頑張る必要がないですからね。

しかし私が目指しているのは
そんな小さな池であぐらをかくことではなく、
もっと大きな海で結果を出したい。

そのためには
自分なんてまだまだ、と
常に上を意識して行動しなければいけないと
感じました。

だから私は改めて胸に刻み
行動をしていきます。

吾輩は「馬鹿」である

と。

おわりに

周りと自分とのレベル感にギャップがあると、
人は自分を過大評価してしまうのも
無理ありません。

しかしそれはあくまでも
限られた範囲の中での
「相対評価」であり、
全体と比較した時の
「絶対評価」で見れば
まだまだ、というのは
よくあることです。

幸い、私の場合「相対評価」による
「全能感」によってあぐらをかくことは
なく、まだ先を目指して進めているので
良かったですが、
これが度を過ぎるとまさに序盤で触れた
「馬鹿」な上司に成り下がってしまうのでは
ないかなと思いました。

今のうちに気づけて良かった。

いつまでも自分は「馬鹿」で
「学び」は尽きない。

限られた人生の時間で
いかに多くを学ぶことができるか。

楽しみですね。

最後までご覧いただき
ありがとうございました。
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もしかしたらあなたにとっての
気づきになるものがあるかも。
良かったら好きなものを
持って帰ってくださいね。

いってらっしゃい。

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