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帰るのは、思い出してくれる人のこころ。

お盆も今日まで。
生きた人も、亡くなった人も
日本のあちらこちらへ帰省していたと思う。


私も先月末、
一週間程 地元に一年ぶりに帰省した。




帰省して、強く気づいたことがある。


それは
帰省とは、生まれた家や実家と言われる場所に
帰るものではないということ。

帰省とは、離れても自分のことを
強く想って思い出してくれる人の元にするもだと
いうこと。


自分が会いたい人…というよりも
自分の名前を心の中で呼んでくれる人。
自分のことを度々思い出してくれる人。

ある意味、そんな人のもとにしか
生きた人間も、亡くなった人間も
帰省することができないのかもしれない。

仮に、自分が会いたくても
相手の中での自分が既に薄まっている時
会いには行けないものだ。
(よっぽど強いメンタルがないとね;)


これを書きながら何故か泣きそうになってるけど
今回帰省してみて、
それを強烈に感じたのだった。




一週間しかない時間で
私のことを思い出してくれる人達全てのもとに帰るのには、あまりにも時間が足りず(自惚れ失礼!)
後ろ髪を引かれる思いで北海道に戻った次第…

「私もアナタを思い出してるわよ!」と
もしも思ってくれている人がいたら
これから再会を果たせるように
頑張って帰省したいと思っている。



この仕事を始めて12年。
(この仕事→霊能の感性を生かした人生相談)

ご家族の死や最愛のパートナーの死を
受け止めるために
私を頼って下さるケースは
男女の悩みの件数と同じくらい多いものだった。


・お墓や仏壇が用意できていない
・年忌や法要の形に悩んでいる
・故人はたまにこの世に帰ってきてくれているか
・私の想いはちゃんと届いているのか

等々…
色んな相談がある。


それらの疑問に対して
私はまだ今世、実際に死んではいないから
亡くなった人達からの伝言を受信して
伝えることしかできなかったけど
今回、身を持って解った。

帰省とは

生きていても、亡くなっても

自分を想う人の心に触れに行くという事。



仮にお墓や立派なお仏壇が間に合っていなくても
あなたが愛する故人を心から偲んで
想いを馳せている時

その人は、
必ずあなたのもとに帰ってきてくれる。



そして、自分がいつか死ぬ立場になる時
立派なお墓を作ってもらえなくても
色んな人に思い出してもらえるような
そんな生き方をすることの方が
本当の幸せかもしれないと思う。 


今回の短い宮崎帰省時間は
私をものすごく元気にしてくれた。

事前に綿密に計画して
人と会う約束をしていた訳ではなかったけど

北海道に発ってからというもの
何度も励ましの連絡をくれた人達のもとに
今回はふわっと帰省した。


生まれてはじめての帰省。
みんなからの「おかえり。」に照れたけど
幸せを感じた時間だった。

宮崎、ありがとう。


生きて故郷に帰省した人も
死してこの世に帰省した人も
また今日から自分の場所で
健やかに生きていけますように。


取り急ぎ、最近感じたことを記録するために
色々端折って書いた今日のnote。


夏休みもようやく終盤🍉
またじっくりnoteを書きたい。 

Asami


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