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22歳の学生がブランドを立ち上げ東京コレクションに出るも1枚も売れずに大撃沈した話

ファッションデザイナーの村松です。ファッションブランドの『muuc』や、ニット文化を広げるプロジェクト『AND WOOL』を運営したり、サスティナブルブランド『CARL VON LINNÉ』のデザイナーをしたりしています。

私が運営しているブランド「muuc(ムーク)」の前身となる「everlasting sprout(エバーラスティング・スプラウト)」は、私が学生時代に立ち上げたファッションブランドで、今年で20周年を迎えます。

ファッションブランドを長くやっているというと、なんだかいつもうまくいっているように思われがちなのですが、実は失敗ばかりの20年でした。特に、立ち上げたばかりのころは苦難の連続で…今回はそんなお話をしようと思います。

※※stand.fm で音声配信しています。

東京コレクションでは1枚も売れず…業界の厳しさを痛感

自分のブランドを作ったとき、私はお金も社会経験もない22歳の学生でした。何者でもない状態でしたが、ただ自分の才能を信じて疑わなかった。

というのも、ブランドを立ち上げる前、専門学校での活動や作品が評価され、イタリアに留学してた時期がありまして。そのときは世界的に有名な会社に特待生のような形で呼んでもらって、そこでも本当に評価していただいて、私と一緒に働きたいと言ってくれる会社さんだったり、デザイナーさんたちの声があったほどだったんです。

イタリアに残る選択肢も考えましたが、私は自分のデザイナーとしての可能性を信じ、日本に帰って自分のブランドを作る道を選びました。

ところが、いざブランドを始め、最初に東京コレクションでファッションショーをやったとき、業界の厳しさを痛感しまして…。業界の新聞に「レベルが低い」とわざわざ書いてもらったり、お洋服を売りたくても1枚も売れなかった。東京で行われた別の大きい展示会にも出展して、そこでもやっぱり全く服が売れなくて、むしろもっといい服を作れと怒られるみたいな…本当にびっくりして、学生時代や、イタリアで評価されてたことは幻だったのだろうかみたいな、自分が信じてきたものは何だったんだろうって思ったんですよね。そんな苦いファーストシーズンでした。

パリのファッションウィークで再挑戦

どうしようかと試行錯誤している中、フランスに若手デザイナーを支援したり見出している有名な女性がいるという噂を聞きまして、その方に自分の現状を記した熱いメールを送ったんです。

そうしたら、「君の気持ちはわかったし、作品をぜひ見せてくれ」と返信をもらいまして。すぐに、東京コレクションに出していた服をパリに送りました。その後、なんとその方が主催している展示会に出してみないかと声をかけてくださり、パリのファッションウィークに出させていただくことになったんです。

展示会では、周りは雑誌とかでも見たことのある有名ブランドやデザイナーばかりの中、自分も展示させてもらって、会場にいた皆さんともすごく仲良くしてもらって、そこでやっと初めて自分の服がちゃんと売れたんですね。

口コミで、なんか面白いデザイナーがいるんだって、みたいな感じで、わざわざ私の展示を見るために来てくれた人もいて、これ以上ないほどたくさん褒めてもらって、やっぱり海外では素敵って言ってくれる人がいるんだなと、救われた気持ちになりました。

同時に、多くの企業や著名な方から「あなたの作品は好きだけど、日本では絶対に成功しないよ」とも言われました。

なぜ自分のお洋服は日本で売れなかったのか

今になって思えば、私が作るお洋服はオリジナリティが高過ぎて、日本では評価のしようがなかったのでしょう。私はニットが得意なので、ニットで新しい表現を創作したり、自分のキャラクターを見せるためにお洋服を作っていたんです。でも、実はその考え方自体が、失敗の原因だったんですよね。

イタリアにいたときの仕事は、ファッションを作っているブランドやデザイナーさんに向けて提案する仕事だったので、オリジナル性が高いものだったり、他にはないものを求められていました。また海外では、ファッションが自己表現の1つにもなっているし、おしゃれをしてパーティーに行く機会も多いので、独自性のあるお洋服も喜ばれるんです。

ただ、そのままの感覚で日本に帰ってきてお洋服を作ったところで、調和を重んじる日本人にはなかなか受け入れられなかったんだと思います。

そのことにすぐに気づければよかったんですけど、当時の自分は、「なんで日本では売れないんだろう、評価されないんだろう」と、よく分からないまま、自分のスタイルを変えずに突き進んでいました。不安ばかりでしたが、悩んでいてもしょうがないと、足を使っていろいろなところへ行き、手を使っていろいろなことをやって、そうして少しずつ少しずつ進化していった感じです。

その後も紆余曲折あり、本当に歯を食い縛ることの連続でしたが、良くも悪くも、小さくコツコツ進めてきたからこそ、ここまで続けていられるというのはあるのかもしれません。

全然うまくいかなかったときに支えてくれた仲間や、自分のことを信じてくれた人、たくさんのお客様に本当に感謝ですね。

まだまだ失敗談はたくさんありますが、今日はここまで。


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