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旅のはじまりは、曖昧で、そしていつも少しさみしい。

金曜21時の成田は、ばらばらとまだらにグループができ、想像したより空いていた。保安検査のレーンも半分しか空いていないのに、5分程度でするりと抜ける。日本人より海外の人が多く見えたのは、気のせいではない気がした。

保安検査場の前の人だかりに、少しだけ気持ちが焦る。ところが近づくと、実際には列すらできていなかった。「頑張ってね」「ありがとう」「遊びに行くね」「また会おうね」そんな言葉が行き交っている。そういえば卒業のシーズンか。旅立つ人たちを、それよりもずっと多い人たちが送り出しているところだった。

あちこちで起こる撮影に写り込まないように、足早に通り過ぎる。すっぴんで髪も一つにまとめただけのジャージの人間が通るには、あまりに華やかな道だった。

私にはもちろん見送りなどいない。在宅ワークで打ち合わせを終えたパートナーが、家を出る前にハグをしてくれた。月に一度どこかに行く身分にしては、贅沢なほどである。

またひとつの旅が始まろうとしている。それとも、航空券をとったときには始まっていたか。より強く旅の実感が訪れるのは、飛行機を降りて、異国の匂いの空気を浴びたときだと思っているけれど。

チケットを取ったときにはついにあの場所に行けると気持ちが高まるのに、不思議と日にちが近づくにつれて義務感に変わるのは何故だろう。ひとりで初めての国へ向かうときは、今でも少し不安な気持ちになる。

私の旅は、日常からの解放と同時に、狭い視野を抜け出す使命感からくる気がしている。それは国内でも国外でも。何故そこに行くのかと聞かれたときに、行ったことのない場所を自分の目で見たいからと答える。人から聞いたことじゃ満足できないのかもしれない。自分の五感に語らせることに意味があると思っている。

ひとり旅の間には、安心という感情がほとんどないのも、私だけだろうか。勝手知ったる日本やニュージーランドを除いて、常に緊張の糸を張っている。だから
誰かと一緒に飛行機に乗り込んだときには、肩越しの温度の心強さに心底驚く。

保安検査場の前の彼らは、これから急にひとりになって、なにを感じるのだろう。私ならきっとさっき撮った写真を見返して、それで過ごした時間を振り返りながら感傷に浸ると思う。

今が最高だと思っていても、これからそれが塗り替えられていく。大人にはその事実こそ眩しいかもしれないが、学生はかえって寂しくなるのではないかな。

別れの寂しさに慣れて空が白み始めたら、彼らはそれぞればらばらの土地にいる。国際線のターミナルだったから、みんな日本ではないどこかで違う味の空気を吸っているんだろう。こういう場面に立ち会うと、大袈裟かもしれないけれど、人がそれぞれの人生を生きているのだと感じる。新宿駅であんなにたくさんの人とすれ違っても、そんなことは思わないのに。

帰る人と、向かう人と、しばらく帰ってこない人と。みんな無事で、次の安心に迎えられるまでの冒険を楽しめますように。


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