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髪を切って、私らしいを手放した。

髪を切りました。ショートボブ。

いつもなら切っても肩にかかるくらいのふんわり丸いボブなのだけれど、今日はなんだかそこから少しだけはみ出してみたくなったから。

滑らないでくださいね。立ち上がって床をみると、10センチか15センチくらいの髪の束が扇を描くように散っていました。

そっと耳の後ろから指を通すと、すとんと途中で宙を舞います。ああ、こんなになくなった。不思議と、マスクの下で頬が緩むのを感じます。


私らしい、を時々裏切りたくなるんです。

あなたらしく生きよう!わたしらしさが大切!あなたらしいよ。わたしらしくないね。

綺麗で明るく聞こえるけれど、じゃあ、「わたしらしいわたし」って何でしょう。

わたしらしくないわたしは、わたしじゃないの。

わたしらしく生きられなかったら、わたしの人生失格なの。


こんな私もいたんだよって。知らなかったでしょうって。

自分が閉じ込められていた、誰かが思い込んでいた、そんな「私らしい」を覆します。

新しい私も、いい感じ。

インナーに入れたシルバーもいい感じ。

何かを手放した日には、もしかしたら何かを得ることができるのかもしれません。

帰り道、道端のショーウィンドウの前はわざとゆっくり通ってみました。顎下でできっちり揃えられた女の子が、弾むように歩いて行きます。


そうだ、お花でも買って帰ろう。

駅前の花屋さんで、いいことがあった日にも、悔しいことがあった時も、私は生花を買ってしまいます。

それは、日常を少しだけほどくこと。

余計なものはないけれど、余計じゃない命の灯った部屋になります。

色と、温度と、香り。作られたものではなく、刹那のもの。


活けた2輪のチューリップは、部屋の中で最も愛おしいものに見えました。

若草色と薄緑の間の太い茎は、そのまま花びらの付け根まで同じ色をしています。

大きく中心を包むような恥ずかしがり屋の花びらは、少女が頬を染めるような桃色を中心に、外側を黄色が彩っています。

脈のように花びらに線が張り巡らされ、その艶やかな表面は血色の良い肌のようでした。

柔らかく、指先で触れてみます。

ひんやりと冷たく、しっとりと手の動きを感じています。その形を確かめてイメージと置き換えるように、水を吸う生き物を丁寧に見つめます。

恐る恐る、くちびるで触れてみます。

冷たく、何かのパッケージに触れたかのように最初はつるんと跳ね返されます。目を閉じて辿る感触に集中すると、その凹凸のある、花びらの主張を感じます。

愛おしい。

赤でも黄色でもピンクでもない、このグラデーションした淡い色が。

殻のようにも、ドレスのようにも見えるこのかたちが。


2輪のチューリップは花弁の大きさも、葉の大きさも、花びらの色づきも、葉の傷も違います。

あなたたち、チューリップらしく咲こうとか思ってないもんね、きっと。

私も、いつの間にできてた私らしさなんて、崩してみたよ。

デスクの上の2輪の花が、私の心をあたためる味方です。



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この記事は、#手放してよかったこと というnote企画への参加記事です。素敵な企画に、滑り込みですが参加できてよかったです、、!


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