noteを始めて、3ヶ月。 人が文章を書く意味を考えてました。
noteをはじめて、3ヶ月経ちました。
が、この丸1ヶ月は全く記事を書くことができませんでした。
ようやく noteが書ける状況が戻ってきたので、noteを書くリハビリの意味も含めつつ、記事を書かなかったことで気づいた自分の気持ちなどを文章にしてみたいと思います。
◆自分の気持ちを文章にすることは、セルフでコーチングするようなもの
2023年1月から2ヶ月間、3日おきのペースで記事を書くことを習慣にし、仕事が詰まってしまい3月の頭に文章を書くことを止めました。
この書かない期間は、自分にとっては思いがけず苦痛でした。
気づいたのは、noteを定期的に書くことは、自分で自分にコーチングを行っているような思考を整理する効果があったということでした。
コーチングでは、コーチとクライアント(コーチングを受ける人)が1対1で対話をし、コーチから的確な質問を投げかけられることで、クライアントが自己理解や目標設定を深めていく手法がよく取られます。クライアントは自分の考えを言葉にすることで内省し、コーチからの質問に答えることで新たな気づきを得ることができます。
一方、noteで記事を書く行為は、自分の考えや主張を文章にまとめていき、やや形になってきたところで、作成した文章と向き合い、「これで読み手に伝わるだろうか?」「誤解を生んでいないか?」と何度も疑いを持ちながら推敲を重ね、完成形にしていきます。このように、自分一人で書き手の気分と読み手の気分を行き来しながら、文章を完成させます。
この主観と客観の往来に、コーチングと記事作成の共通点を感じました。
ChatGPTが特にこの1ヶ月でぐんぐんと台頭し、すでに簡単な文章は数秒で作文されてしまう状況となりました。知識共有を目的とする文章なら、AIが書いた方がわかりやすいという日も目前だと思います。
それでもAIではなく人が文章を書き続ける意味としては、
考えを深めたり、内省をしたりする部分は、これから残り続けるのかもしれないと思いました。
◆記事を書けないことが悔しい
当たり前ではありますが、、、
「noteで記事を書く」という趣味は、記事を公開することで、自分が作文作業に取り組んでいることが周囲の人に知られる可能性があります。また、作文作業に時間がかかることが周知の事実です。このような性質から、周囲から仕事よりもnoteを書くことを優先し、「仕事を放置しているのではないか」と誤解される可能性が高いことに気づきました。
他の趣味と違ってひっそりと行うことが難しい。。note継続を願うならば、タスク管理が重要だという学びを得ることができました。
◆書けない中で、目標が叶う
仕事が忙しくnoteが書けない中で、noteを書く目的のひとつが叶ってしまいました。それが「noteを通して、新たな人と出会い、コミュニケーションをとること」でした。
先日、町田市100人カイギに参加させていただいた際に、ぼくのnoteを読んで興味を持ち、100人カイギの会場まで足を運んでくれた方が現れました。
とても嬉しかったです。
これは当然noteを書かなければ起きなかったことです。デザイナーという仕事をしているので、自分がつくったものが影響力を持つ瞬間にはそこそこ立ち会ってきました。しかし、自分いち個人に興味を持ってもらうのはなかなか経験したことがなかったので、素直に感動しました。
◆自分の記事を読んで、4月のことを考えていた
このnoteが書けない期間は、なるべく自分の記事を読み返していました。
少しでも文章力をあげたい気持ちからの行動です。読み返すと「もう少しなんとかできそう」だと感じ、恥ずかしくなります。
『noteを通して、自分を知ってもらうための努力する』と目標を打ち立てて、とりあえずできることをやってみているような状況でしたが、少しづつ人の反応をいただくなかで、もうすこし人が読みたくなりそうなものにもチャレンジしてみたいと思いました。
1ヶ月間、ずっと書きたいなぁと思っていました。
まずは自分のため、また書き始めたいと思います。
4月から12月まで、記事を止めないことが、目標に加わりました。
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