見出し画像

noteを書いて、2ヶ月。これで20本目

noteをはじめて、2ヶ月経ちました。
この記事では、ざっくり今の気持ちや発見を書いてみます。

反応も落ち着き、ここからが本番!

ひとつの記事がnote推薦の記事となり、300スキを超えることができました。それ自体は、とても素敵な体験でした。

その余波も少しづつ落ち着き、知人が応援でスキ・いいね・ファボ・フォローをしてくれる時期も過ぎ、続けてぼくの記事を読んでくれる方も正常に減ったことと思います。

ここから先は、しっかり考えをまとめて記事にできた時に運が良ければ評価されるフェーズに入るのだろうなと思います。そこに関してはあまり悲観はなく、ようやく『変なこと始めた人』から『書き手』になれたような気分でワクワクしています。

個人的には、100フォローされるより、1人の味方や仲間と会えることの方が重要だと思っています。誰かの心にささるよう引き続き文章を書いていきたいと思います。


パンツを脱ぎたい

映画やアート作品をつくる中で、取り繕わずに自分の恥ずかしい部分まで作品に反映できているかの比喩として「パンツを脱げているか」という表現を耳にすることがあります。

文章を書いていると、あたかも自分のやってきたことが正しいかのような表現として伝わってしまうことがあるとわかりました。そのニュアンスを取り去ろうと必死に推敲しても、「立派ですね」的な感想をいただいてしまい、なかなかうまく伝わらないなと感じます。「繕っていない文章が書けるか」努力のしがいのあるポイントです。

思ったように伝わらないことが、悪いことだけとも思っていません。文章を書く結果として、記事に共感してもらって味方・仲間が増えることが最大に嬉しいですが、敵をつくることも良いことかもしれません。

これまでは、自分と相性の悪い人から距離を取る術をぼくは持っていませんでした。しかし、今後は記事を読んでいただいて「うげ、おまえこの程度のスキルしかないの?」「偏った思想をもってるのね」とご判断いただき、ぼくの元を離れる人がいるのであれば、それはお互いにとって幸いなことなのかもしれないと思います。

ぼくを適切に値踏みしてもらえるような記事を書けるようになりたいです。


気づきに自覚的になった

「これは記事にしたい」「あれは文章にできそう」などと考えることが日常になってきました。これまで、仕事をする中で大切なことに気づいたとしても、3日後には忘れているということを繰り返していたような気がします。脳の構造が、考えをストックしようとする状態なったことには、自分のことながら成長を感じます。

先日、親戚の葬式に参加し、お坊さんが尊い訓話を聞く機会がありました。今までであれば、「よく、このシチュレーションにあった素敵な訓話の引き出しがあるな。お坊さんはすごいな」と思っていましたが、その時は「このお坊さんは、日々さまざまなシチュレーションで話せる訓話の引き出しを増やしているからすごいのだ」と違う考えが湧いてきました。

noteを始める前の自分と比べて、違う角度の気づき、現象に引っ掛かる感度が増し、良い変化だと自認しています。


心が折れないように、読んだ本

ここまで、noteを書く上で得られた前向きな発見を書きましたが、noteを書くことが辛く感じることもあります。

やはり、スキが増えなければ、Twitterでいいねがなければ、それなりに凹みます。上記で書いた前向きに捉える気持ちと、書くたびに人から見放されるような暗い気持ちと、今年はイタイやつであり続けるんだという盲信すると決めた目標と、全部が同居していて心の中は常にぐちゃぐちゃです。

この1ヶ月は、そんな心を補強したくて2冊本を読みました。どちらも他の人に進めたくような素敵な本でした。


感想に挑戦する

少し先の考えとしては、自分の好きなものを語ってみたり、本のレビューを書くことに挑戦してみようと思っています。

どちらも「どの口が言ってるんだ」と思われてしまいがちな、(ぼくのような)なんの背景を持たない人が、気軽に手を出してはいけない分野であるとはわかっています。
しかし、現在35歳で老いる一方であり、これからどんどん社会のメインキャラではなくなっていくであろう中で、「ろくな感想も話せない、軸のないおじさん」に価値が付くとは思えないとも考えています。「人の気持ちを害せず、コンテンツの感想が言えるか」は向き合いたいテーマです。

さがまち学生クラブのOGの女の子から「お笑いのことを書いてくださいよ」とリクエストをいただきました。スベる覚悟で、そんな記事も書いてみようと思います。


毒も吐く

これもまた老いから感じることですが、場に最適なことを言おうとし過ぎて、自分の発言がどんどんつまらなくなっていっているように感じます。このままでは「いい人」一人歩きして、等身大の自分が消えてしまいそうな危機感があります。

嫌われても良いから毒を吐くことも、時には必要な気がしています。


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?