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透明人間になった私

仕事を辞めてから、1ヵ月以上が経った。
これといった進展は、まだ無い。

4月の間にぽつぽつと応募は続けていたが、どれも書類選考の時点で落ちてしまう。
なかなか面接に進むことができないままゴールデンウィークに入ってしまったので、応募した企業からの音沙汰ももちろん無くなった。

ゴールデンウィーク期間中は、とても憂鬱だった。
何をしても進展がないし、求人もなかなか更新されない。

無趣味なわたしは、余った時間をどうやって潰せばいいのかも分からない。家に引きこもって、早くゴールデンウィークが終わってくれることだけをひたすら待ち続けていた。

そして長い連休もようやく明け、何かしら進展があるかと期待した。
しかし、その後も状況は連休前と特段変わらなかった。

応募をしても、何の反応もない。
「YES」も「NO」も何もない。

わたしには、それが一番辛かった。
「好きの反対は無関心」とはよく言ったもので、書類選考が落ちた時は「あーまあ仕方ないよな、他の会社にも応募しよう」と思えるのだが、何の反応も無いとすごく虚しい気持ちになる。

もちろん、企業も忙しくて書類を見ている暇がないのだろうということは分かっている。

でも、なんというか

「ねぇねぇ」と肩を叩いているのに、相手は前を向いたまま、こちらを振り返ることはない。
まるで相手には自分の姿が見えていないかのようで、悲しい。

それならいっそ、「こっちは忙しいんだよ!」と叱責された方がまだよっぽどマシな気もする。


先行きが見えない毎日で、正直生きた心地がしない。


次の職場を見つけないまま先に退職してしまったことを少し後悔している。
前の会社で働いていた時はメンタルがもうもたないと思い先に辞めたが、やはり働きながら次の職場をじっくり探す方が良かったかもしれない。

学もスキルも無い、いい歳した大人の転職活動はなかなか難しい。
いや、選ばなければどんな仕事でもあるのかもしれないが、それでは何のために転職をするのか分からない。

気分転換にと思い、いつも散歩で立ち寄る公園に行ってみる。

この季節は、散歩をするには最高だ。
気温も絶妙だし、風も少し吹いていて気持ちがいい。

公園に生えている木々の緑も、色が濃い。
風でゆらゆらしている様は本当にきれいだ。

このきれいな景色を心から楽しめない状況にいることだけが悔やまれる。
早く肩の荷を下ろしてこの景色を存分に味わいたいのに、それができない自分自身に悲しくなる。
こんなにきれいな景色が目の前にあるのに、悲しみで涙が出そうになる。


ベンチの周りには、お爺さんとまではいかないが恐らく第二の人生を過ごしているであろうおじ様たちが集まり、何やらずっと話をしている。
木の下に小さなテーブルと簡易椅子を置いて、将棋を指している人もいる。
その様子を歩きながらチラッと盗み見ると、長年使っているからか将棋盤のマスの目は擦り切れて見えなくなっている。

向こうの方では、向き合って話をするおじ様たちもいる。
一人は松葉づえをついていたが、立ったままお喋りをしている様子が見えた。

自分は、あんな風に誰かと向き合って話をすることができるだろうか。
スマホも持たず、身一つで誰かと向き合い会話をする。
そんな簡単なことも今の自分には難しそうな気がする。

あのおじ様たちからすると、30代前半の私は若い部類に入るのだろう。
「若いんだから人生まだまだこれから」そんな意見もあるだろうが、自分からすると彼らの方がよっぽど自分より充実した人生を送っているように見える。

シンプルにうらやましい。
あのコミュニティに、透明人間はいなさそうだから。

ワンカップ片手に将棋を指して、暗くなるまで会話をしながら公園で過ごす。
明日になると、また同じような顔ぶれで集まる。
そんな毎日も、素敵だなあと思った。


自分にもあんな人生が送れるのだろうか。。




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