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独立を目前にして、武者震いばかりの最近。逃げ癖に気づいて、覚悟を決めていく。



2021年、3月を持っていすみ市の地域おこし協力隊を卒業することを決めて、だんだんと武者震いを感じてきている最近。

「私はこれからどうやって、自分の価値観とあり方を統合しながら、
 自分のサステナビリティーと安心を守るのか」

そんな問いをおいて考えていく過程で、
今まで私がいろんなことを避けてきたことが明らかになってきた。

「苦手だから」と避けてきた発信。
「お金をもらう」ことの重さ、怖さ。
「これやります」と宣言し、人を巻き込んでいくことの怖さ。
自分の作品 が評価され、価値をはかられる(と感じる)怖さ

そんないろんな壁を避けるために、
準備の準備の準備みたいなことをずっと続けてきたんだなあ。
「この仕事、本心からやりたくはないんだ」なんて時折文句を言いながら、それを隠れ蓑にして、本気で自分の望みを生きる怖さを避けてきたんだ。

そんな、自分の姿が露わになってきて、
なんとも言えない気持ちが漂っています・・・あああ

と同時に

本番前の武者震いのような感覚が高まってきている。
(わくわく 20%+やる気 30%+不安 20%+緊張30%)


今までは誰かのプロジェクトに乗っかって、お手伝いすることばかりでした。そのプロジェクトのビジョンを握っている人の期待に答え。秩序と効率性のために与えられた役割をこなしていた。それは、気楽さがある一方で、「私」でない何かになってしまったような喪失感があり、自分の主体性やエネルギーの源が途中で枯渇することもよくあって。「私はなんのためにこれをやっているんだったけ」と目的を見失ったり、仲間とのつながりに亀裂が入る末路を何度か迎えていた。

誰かと協働することは、お互いのこだわりや目的を分かち合い、その違いの中でどこか合意していく必要がある。そのプロセスがある意味豊かで(心や時間に余裕があるときはそう思う)、本当に本当に面倒臭くて嫌になることもある。だから自分がこだわりを諦めて、モヤモヤを引きずることもよくあった。

これから、自分主体で動いていく時には、
きっと色んな重たさを抱えるだろうし、怖さに立ち向かう必要も多くなると思うけれど、自分の心が本当にしっくりくる形を諦めなくていい。
義務感ではなく、自分のいきいきした自主性から、意味や目的、わくわくした感覚を原動力に動くことができる。

今の私にとっては、重たさや大変さの代償を背負っても、こだわりや自分の真ん中の表現をすることが選びたいものだから

きっと、これから
本当に望んでいることに向かう中で
その道すがら、やりたくないことに出くわすこともあるけれど
その壁に真摯に向き合って
一歩一歩進んでみようと思います。

フリーになるにあたっての宣誓でした。



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今 振り返って、プロジェクトメンバーとして、お手伝いしていた時
享受していた気楽さや楽しさを懐かしんでいます。

これが私の担当、と決まっていて、それさえやっておけばよかった。
最終的なけつ持ちは私ではないのだと、今思えばどこか他人事で、気負わずにそこにいられた。協働する中で、色んな学びを収穫した。協働する中で、お互いにぶつかったり、共に限界に挑戦することで深いつながりも育まれた。

渦中にいると、嫌なことや不満ばかりに目が向くものだけれど、
あの時の私にとっては、あの体験はやっぱり凄く必要で、大事なものだった。そして、随分と気楽に楽しくやらせてもらった。それがどんなにありがったのかと噛み締めています。

失って気づくとは本当にその通りや。

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