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NVCyouth合宿で、ドロドロの自分を自己開示してみた時の裏話。<NVCシリーズ⑥>

<今までのNVCシリーズ>
【NVCとは?】基礎まとめ・動画や資料付き<NVCシリーズ①>
共感コミュニケーションが私の世界観をどう変えたのか<NVCシリーズ②>
褒め言葉の意図と、思わぬインパクトを考える。<NVCシリーズ③>
「嫌いな自分」を受け入れていく<NVCシリーズ④>
妖怪ナゼワタシバカリとの付き合い方<NVCシリーズ⑤>
<マーシャル・ローゼンバーグの動画書き起こしシリーズ>
「どっちが正しいか」のゲームが浸透し、あらゆる暴力が容易になった。
<NVC動画-1>

キリンにとって「愛」は感情ではない。<NVC動画-2>


今年一緒にやらない?と声をかけられて始まったNVC youth合宿、いすみ市にある古民家「パーマカルチャーと平和道場」に総勢28名でぎゅうぎゅうになりながらの2泊3日を終えました。

山あり、谷ありだったその合宿を振り返って、谷底から不意に見えた星空と、そこから山頂に登るまでの道のりが、私にとってすごく大事なものだったので、ここに書いてみたいと思います。

「本物さ」を感じられないと泣き出した

合宿2週間くらい前から、自分の中に暗雲が立ち込めていた私。

・どんな意図があって自分がこの言葉を発しているのかわからない
・自分が今反応しているということに気づけても、「何を守ろうと、選択しているのか」には気づくスペースとエネルギーがもてない
・「生き生きさ」が失われているから、何をするのも「〜せねばならぬ」。
(喜びや愛から行動したいと言っているのに。思っているのに)

という感じで、合宿が始まる前から自分が取っている行動の一つ一つにモヤモヤしていました。

合宿初日にクラスを持ったあと、その感覚は増幅し、
自分に対して「こんな笑顔嘘つきだ。」「こんな自分は信頼できない。」
「こんな状態の私がファシリテーターとしてパワーを持って場を作るなんて、あまりに不誠実だ。」と怒り

「そんな私であることを、オーガナイザーや参加者のみんなにどう思われるだろうか?信頼されなくなるのではないか?」と不安になり、

2日目の午前中、泣き出しました。(今となると笑い話。。)


そんな状況に気づいた友人(恩人)雄也は

「もう、私の中の感情も思考もぐちゃぐちゃだ〜。どうしたの?と聞かれても、何を話したらいいのかわからない;; もうこの自分が嫌すぎる〜」と泣いている私に

時にリフレクションして、話の焦点を定めてくれたり
時に共感して、その気持ちの揺れ動きを一緒に「ある」と認めてくれたり
時に質問したり、雄也から見える世界を教えてくれて

光を照らされたところから、暖かさと秩序と力が戻ってきました。

怒りや悲しみや、批判の声ですらも、
聞き続けると、ただ「愛」が見えてくる。


「私がこんな状態でファシリをするなんて不誠実だ!」という怒りの奥には

「受け取ってきたNVCの希望や学びを十分に分かち合いたい。そこに十分にエネルギーを使いたい。」という願いが、
「ファシリテーターという役割を担っていても、自分の気持ちをないがしろにすることなく、私自身を大事にしてあげたい。」という愛が、
「そうやってありのままの自分をそれぞれが許し、受け入れることができる世界になったら、どんなに希望あふれるのだろう」という光がありました。

私の大事にしたかったもの、NVCの文脈のニーズで言い換えれば
「学び(への)貢献」「希望(を)分かち合うこと」「本物さ」「誠実さ」「大事にすること、されること」などなど。


怒りや悲しみ、不安などネガティブと言われる感情の奥にも、ただものすごく大事なものがあり、それを守りたくて必死になっている「愛」がある。

批判的な言葉は「それがどれだけ大事な事なのか」という切実な訴えがあり、満たされていない嘆きが、違う表現として現れているだけである。

そのことを思い出せば、一見敵に見える、自分を批判するような人にも、私と同じようにただ大事にしたいものがあるだけだということに気づけます。

今回も、「私は不誠実な、準備不足で、頭の足らないやつだ!」と
自分を批判していた声の奥に、多くの守りたいものを必死に大事にしようとしている姿が見えて、その愛おしさを十分に感じられました・・\祝/


自分の痛みを語る事が、私や周りの人にとって
本当はギフトであると信頼していきたい


今年、7月にアシスタントとして参加した NVC “Being” Programにて、
敬愛する重子さんが言っていたこの一言を最近、胸になんども染み込ませています。(正確に書き起こしきれなかったので、また本人に確認して、表現の修正が入るかもしれません。)


「本当は言いたいけど、でも言いたくないって思ってしまうようなことがある時、口をつぐんで言わないことは、自分の奥深くで苦しみになる。

どんなに痛いことかっていうことは、
それがどんなに自分にとって大事であるかということであり、
それが相手の人にとってもすごく大事なことである。

自分の痛みを語ることは、本当はギフトであるということを信頼していきたいのです。コミュニティにとってどれだけのお祝いや貢献になるかということを信頼していきたいのです。」

この話を聞いた時に、「なんとなくその感覚がわかる気もするけれど、全身を持って信じられないな。私の痛みは私のものとして、自分で頑張って消化してしまおうと思うだろうなぁ」と思いました。

でも、きっと体感してみればわかるものがある。

そう思って、今回の合宿で自分の痛みを表現してみました。実際話してみて、私にとっても居合わせた人にとっても多くの収穫があったように感じていて、少しその経験の層と信頼が積み重なった感じでした。\祝/


自分を大事にできなければ、
誰のことも大事にできないのだ、と信じている。


私には、自分の気持ちをないがしろにして、自己犠牲的に他の人に尽くし、自分でない誰かのために命を使ってきて、つぶれた経験があります。

そんな出来事に気づいて、乗り越えたきっかけは1ヶ月のデトックス

そんな経験をへて、「自分のことを大事にできなければ、誰のことも心の底から大事にすることは難しい」と私は体感しているので、場の調和や安心のためにと自分の感情を犠牲にする癖が出てくるたびに

「どんな私でも、どんな気持ちでも、そこにある今の私をそのまま認め、受け入れ、許すことから始めよう。そうでなければ、誰のことも大事にできない。私の目に敵が増えてくるのだ」と思い出します。

「自分を大事にすること」は一般的にはあまり歓迎されません。
でも、・・・これは私の体験ですが、自分のことを大事にできない時は本質的に他人のことも大事にできないように思うのです。

「自己中」であることと「自分を大事にすること」は違うとよく言います。

私の中では、自分を大事にしようとする行動によって、他の人にどんなインパクトがあるのか知ろうとすること、それをケアしようとすること。もし、そのような相手への思いやりを一切持てない時には、その自分のスペースのなさを嘆くこと。が自分を大事にすることだと認識しています。

だから、「あぁ、みんなのニーズや流れと合わないかもしれないけれど、私にとってこれは譲れない本当に大事なものだ」と気づいた時に、

出来るだけ周りへのケアをしたいという意図を持ちつつ、その大事さを表現する勇気を持ちたいのです。


「参加者はこの場を求めているのか?」


自己開示をする時に、「参加者はこの場を求めているのか?」という不安が出てきました。「クラスの学び」とは違う「実践の学び」だと自分では思いつつ、求めてないことを押し付けられる授業なんてまっぴらごめんだよな〜と不安になったのです。

その時には、雄也に
「チャコがNVCを伝えていきたいと思っている根底にある世界観を、むしろこのリアルな感情のプロセスを伝えることで体現できると思う。その実践にすごく情熱があるのであれば、譲らなくていい」と背中を押してもらい

オーガナイザーチームと相談した時に
「クラスの前に、自己開示の時間を30分作るから、聞きたい人は残ってね。他の人は一旦休憩の時間を取ってね。」と伝えることを決めました。

こうして、自分の安心と、参加者の選択を大事にできたのです・・・!(祝


無防備にさらけ出してみた


そうだ。「この怒りに隠れた愛の声をきこう。」
そうだ。「誰よりもまず、自分の必要としていることを大事にしよう」
そうだ。「この自分の願いをリクエストしてみよう。」

そんな訳で、自分に起こっていることを伝える時間を作りました。

・この時間を持つことの意図
・そもそもNVCをシェアしたいと思っている根本の願い
・今この話をする時に、どんな気持ちでいるのか
・出来事、感情、ニーズ、思考の入り混じった話
・それらがどう収束していったのかの話をした後に

・この話を聞いた参加者にリフレクションしてもらい
・話を書き留めてくれていたどりちゃんが、話の構造を解説してくれて。

そこからは、もう 別人かというくらいの変化がありました。。

安心と、くつろぎ、信頼、オープンさ、流れに溢れて、本物さを感じられる喜びと、みんなとのつながりを感じ始め、何もかもが違いました。

無防備さの実践や、内側のプロセスを共有することで
皆の学びや希望への貢献になったこともすごく嬉しいし、
私が、本物さ、誠実さを大事にできたことも嬉しいし、
「ありのまま」で受け入れられたという感覚もあったかかったし、
そのように、体現したい世界をこの場でつくれたこともお祝いでした。


今回の合宿での収穫


今回のNVC Youth 合宿では、このような山や谷を超えて
自分へのあり方への信頼と、NVCの学びや質感を分かち合うことへの熱意が深くなり、「刺激に反応する自分がいた時に、どのように自分と対話して、行動を選ぶのか」というプロセスを私がどれだけ大事にしたいのか、気づきました。

NVCyouth合宿を終えて得た収穫はいっぱいありますが、
「ソーシャルジャスティスの合宿に行くと腹を決められた」ことが大きな一歩です。ぜひその行動を選択するに至ったプロセスを書いてみたいなと思っています。


合宿で場を共にして、一緒にこの道を歩んでくれた皆、どうもありがとう!
読んでくださって、ありがとうございます*


<次のNVCシリーズ>
IFSのフレームで内なるパーツの配置と役割を見ていく自己共感の旅が面白すぎた<SJ×NVC -1>


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