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「龍宮の遣い」第2話

 「入社日は四月一日。当日は筆記具、印鑑持参のうえ、午前八時三十分までに出社すること。 クラウン電工株式会社 取締役営業部長 駿河幸太郎。」という短い文章のハガキが届いたのは三月の半ばで、それまでは何の連絡もなかった。駿河さんはまだ来ないと思っているのかなと少々不安になったが、入社に関する連絡を忘れていておろおろする恵比須顔を思い浮かべたら不安も消えた。入社後暫くの間は子供の頃によく遊びに行った大阪市内の叔父の家で世話になることにしていた。三月三十一日の昼過ぎの列車で地元を離れることにした。というのも、前日の夕飯は母が私の好物をお膳いっぱいに並べ、珍しく父は酒が進んで私に昔話を聞かせたたからだ。両親は私の出発を祝ってくれ、別れを惜しんでいるのだろうと思うと、私もいつになく多弁で箸も進んだ。別れの宴が終わったら見送りなどいらぬと思い、両親が仕事で留守の時間に家を出ることにした。家を出るときに玄関の下駄箱の上に選別と書いた封筒が置かれていたのを見つけた時は、胸が熱くなり「ごめん。」とつぶやいてしまった。一度も地元を出たことが無い私は、新天地への旅立ちは希望と興奮だけで頭がいっぱいの状態がよかったのだ。

 叔父一家への土産や弁当などを買っていて出発が遅れてしまい、大阪駅に着いた時はすっかり日が暮れてまっていた。列車から降りると蒸し暑い空気に包まれ北陸とは随分季節の進みが違うことに驚き、たくさんの派手なネオンサインが私をニヤニヤさせた。叔父宅への詳しい到着時間を伝えていなかったので、この時間から訪問すると夕飯時で叔母の手を煩わせると考え、食事を済ませてそちらへ向かうと公衆電話から叔母に伝えた。大阪の夜の街の空気は不思議な魅力があるような気がする。都会のネオン街で大盤振る舞いができるほど懐に余裕はないので、入社面接の前夜に食事をした安い居酒屋へ行くことにした。街は帰宅時間でどこも混んでいて、大きな鞄を抱えていたこともあって大阪駅から居酒屋までずいぶん時間がかかってしまった。到着した居酒屋は大繁盛でぎゅうぎゅう詰め状態。一つだけ空いてたカウンターの席に案内されたが両隣の客とは肘が当たるほど近かった。注文をしようと店員を呼ぶのだが大声で騒ぐ客の声に阻まれて私の声は届かない。たまたま近くを通った店員にビールとお刺身の盛り合わせを頼んだら、ひどく混んでいると言うのにあっという間に出て来たのには驚いた。
「これが大阪か・・時間の感覚が違う。時は金なりか 。ついて行かないと。」
私も明日から大阪商人の仲間入りだ、大阪商人とはどんな気質なのだろう、毎日がお祭りみたいな街に通用するデザインってどんなデザインだろうか、よく冷えたビールを飲みながらニヤニヤ顔で考えていると、店の奥から飛び切り大きくて陽気な笑い声が響いた。声に引かれてそちらを振り返ると、忘れられない恵比須顔が同席の作業服の二人と大声で笑いあっている。恵比須顔は私の方を向いていて、連れの二人は背中を向けているが若い人の様だ。恵比須顔は身振り手振りで話し、グラスのビールを飲み乾しては、ビールを手酌で注ぎ、また話し始めては大笑いを繰り返している。それを誰もたしなめることは無く、他の客も負けじと騒いでいる様に見える。それを見ている私は嫌な気はしていない、むしろ私の心も少し弾んでいる。知人だからだろうか、それともサービス精神あふれるこれこそが大阪人気質なのだろうか。大阪に来た初日から大きなカルチャーショックを受けてしまった。よしと意気込んで店員にビールを頼むがまた声が届かない。
 何度か声をかけていると背後から、「お姐さんそこの若いお客さんが呼んではるよ」と聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると恵比須顔が私を指さして「あの人」と店員に告げた。この喧騒の中で遠くの私の声が聞こえているのか、顔は恵比須だが地獄耳。店員が慌てて私の席に駆け寄って来てくれたので、ビールとよく分からないが安いので土手焼きという料理を頼んだ。やはりビールはすぐに届き、土手焼きもほどなく届いた。
 土手焼きという名前から焼き物かと思って頼んだが、もつ煮に近いみそ味の不思議な料理だった。コップに次いだビールを一気にあおり、土手焼きを飲み込むタイミングを計っているとまた背後から「思い出した。そこの君・・君、竹田君とちゃうか?」と大声が飛んできた。仕方なく立ち上がってお辞儀をすると「やっぱりそうか、こっちの席においで、わしの隣に座って一緒に飲もう」と手招きされた。
恵比須顔が新入社員であることを説明してるのか同席の二人も振り向いて手招きするので仕方なくカウンターから恵比須顔の隣の席に移動した。移動を済ませて元居た席を見ると既に新しい客が座っているのには驚いた。
 恵比須顔と同席している若い人の作業服の胸に豊中電器店と刺繍してあったので、得意先の電気店の人だと想像がついた。恵比須顔は営業部長さんだから接待の席なのだろうか。私が闖入して問題はないのだろうか。
「明日からクラウン電工に入る、竹田と申します。よろしくお願いします。一緒に飲ませてもらってよろしいですか」と、私は二人に挨拶をした。
そんな私の丁寧でもない挨拶に対して、豊中電器店の二人は恐縮して名乗り頭を下げてくれた。いよいよ大阪の接待に参加するのだと思い、少し緊張して前の席の二人にビールを注いだ。仕事の話がいつ始まるかもしれない、分からない話でも俯かないで胸を張らないといけないと思い背筋を伸ばして座っていたが、恵比須顔は仕事の話のカケラもすることは無く人気女優の話とか、やくざ映画の話で二人を楽しませてビールの酌は私にさせた。
 飲みすぎ、食べ過ぎ、笑いすぎを豊中電器店の二人が口にし始めた頃、「ほな今日はお開きにしましょうか・・二人には若いきれいな奥さんが居てはるから、遅くなったら寂しがるしね。それでは明日からもよろしくお願いします。」
豊中電器店の二人は私にも食事の礼を言い、席を立ち始めたので私も続いてに席を立った。恵比須顔は支払いもせずに店の外に出て、二人と握手して手を振って送っている。私はどうしていいかわからずお店の勘定場の人に目を向けると
「もうお愛想は済んでますから大丈夫ですよ。」と微笑まれた。
いつのまに自分たちの分だけではなく私の分まで。とりあえず恵比須顔を追いかけて店を出ると、恵比須顔はまだ二人に手を振っては頭を下げていた。「駿河さん、ごちそうさまでした。では私もこれで失礼します。」と声をかけると
「明日からは部長って呼んでね。もう一杯だけ付き合ってくれるか。」と恵比須顔はそのままに酒気の抜けた返事が返ってきた。この人はさっきまであんなに酔っていたのに、客と別れたらもう酔いが醒めている。最初から酔っていなくて芝居だったのか、芝居であんなに楽しそうにできるものなのか。これも大阪人の気質か、私もいつかはそうなるのか。
 もう一杯ということなので付き合おうかと思ったが、心安い叔父の家とは言え、世話になる初日から酒に酔って遅く帰るわけにもいかないと思い、今日はこれで失礼させてほしいとお願いした。すると恵比須顔はあっさり、「ほな、気をつけて帰りや」と微笑んでくれた。大学時代の先輩との飲み会の経験から、こう言う時はお願いしても無理やり付き合わされるかとも思ってたので、ほっとすると同時に拍子抜けした。
お辞儀をして地下鉄の梅田駅に向かって歩き出したところ、
「酔おとるんか? 梅田駅やったらこっちやがな。」と恵比須顔は背後から声をかけてくれて、私が歩き出した方向とは逆方向を指さして笑っていた。慌てて恵比須顔のいる方へ戻り、もう一度お辞儀をして駅へ向かおうとすると、「社長にもろた宿題は、できてるか? 社長は君の答えを楽しみにしてるんや。」と恵比須顔は楽しそうに、それでいて少し意地悪そうに問いかけてきた。
「はい、大学の図書館で辞書を参考に色々考えてきました。」と返したら、恵比須顔は噴出して、高笑いを始め暫く笑った後で無理やり笑いをこらえて、「明日の初出社、楽しみにしてるから。明日は土曜日やから半ドン。うちの会社も仕事は午前中で終わりや。昼からこの前会社説明会をした四階で新入社員の歓迎会をするから。ほな、早う帰り・・。」
私はキョトンとしてしまい恵比須顔にもう一度ペコリとお辞儀をして駅の方へ歩き出したが、さっきの恵比須顔の言葉が気にかかった。もしかしたら恵比須顔は酒に付き合えと言ったのではなく、社長からの宿題のことで何か話があったのではないかと思いなおしたが、かといって引き返すこともできず舌打ちして地面を蹴っ飛ばした。

  四月一日初出社日。着慣れないスーツで始業時間の三十分前に出社した。故郷ではまだコートが必要なのに、大阪ではスーツだけでも歩くと汗をかいた。会社に着くと既に仕事は始まっている様で、面接の日と同様にビルの周りには営業車が数台エンジンをかけたまま停まっていた。学生時代はいつも始業の二、三分前にしか教室に入らなかったのに、この変わり様は何なのか自分でも心の整理がつかない。しかしこの心地よい緊張は人生で初めて心血を注ぎ高評価を得た卒業制作作品に取り組んだ時のものと同じだった。
 まず営業部長の恵比須顔に挨拶だと思い、一階の営業部のドアを開けた。部屋の全員の視線が私に注がれた。「おはようございます。今日からお世話になります竹田洋志です。よろしくお願いします。」と皆さんに挨拶をした。部屋にいる人は全て作業着姿で既に臨戦態勢の様だが、皆さん目礼をしてくれた。この人達にも祖父の工房に出入りしていた人たちと同じ雰囲気がある。きっと気骨があって優しい人達だろう。ドア近くの席のおそらく私より若い先輩社員が、部屋の奥を指さして目配せした。部屋の奥には、部屋全体を見渡せるように大きな机がこちらを向いて据え付けられていて、駿河部長が引き締まった顔で気をつけの姿勢で前に立つスーツ姿の若い社員になにか話していた。引き締まった顔を目指して歩み寄ると、私に気づいた駿河部長は私にはいつもの恵比須顔で、先に気をつけをしている社員の横に立つように手で促した。先に気をつけをしているのは入社説明会で聞いた縁故入社の大卒新入社員だろうか、あんまり緊張していないみたいに見えるのは縁故のせいだろう。
「おはようございます。今日からお世話になります 竹田 洋志 です。よろしくお願いします。」と挨拶して「それから昨夜はごちそうさまでした。」と付け足したら、「シーッ いらんこと言わんでもええねん。」と駿河部長は目を尖らせたが、背後の社員がどっと笑らったのですぐに恵比須顔に戻って、「竹田君 よろしく頼むよ。君の隣にいるのが同期の篠原義彦くん。篠原君は文学部哲学科出身や、難しい理論を知ってはるで。」
「篠原君、竹田君は美術大学でデザインを勉強して来てはる。商いはこれから勉強してもらうことになる。北陸出身で大阪のことは何もわからんみたいやからよろしく頼みます。」
営業部の社員は仕事を始めながらも耳は駿河部長の話に向けられているのが背後の気配で感じ取れた。私も篠原もハイと返事したが、篠原のハイは元気がなかった。
 駿河部長からの訓示の後、部長直々に営業部員一人一人を紹介してもらい、全員に挨拶をした。やはり篠原は元気がなくやらされてる感さえ感じさせた。入社初日は土曜日で、午前中で仕事が終わってしまうので、詳しい仕事の指示は週明けの月曜日ということになり、篠原には営業部のドアに一番近い席が、私には部長のすぐ横の席があてがわれた。これはどういうことなのかと思ったが、訊くこともできずにただ従うだけだった。不思議な気持ちで席に着くと間もなく私と篠原に総務部から印鑑持参で来るようにと内線電話で呼び出された。駿河部長に「総務部へ行ってきますと」告げて一礼してから篠原と二人で二階へ上がっていった。二階へ上がる階段の途中で、「同期なのに席が遠いね」と篠原に話しかけたら、「僕は縁故やからあれでいいねん。」とそっけなく応えられてそれ以上話しは進まなかった。
 二階の総務部の入り口には両開きのドアがあり、中に入るとカウンターがある。カウンターの中には女性が三人、面接の時と変わっていない。呼び出しの内線は男性の声だったので、男性社員を探すと面接の時に座った応接セットのまだ奥に営業部長と同じ机が据えてあり、かなり年配の人が座っていた。カウンターの女性が私が名前を知らないと察してくれてか「島田専務、新入社員の篠原さんと竹田君が来られました。」と声をかけてくれた。専務さんだけあってかなり年配だ、でも何で私は「君」で篠原は「さん」なのか、もしかして篠原は私よりかなり年上なのかと考えた。おずおずと専務の前に行き駿河部長と同じ挨拶をした。島田専務は好々爺という感じで微笑みながら、「君が竹田君か、そうか頼むよ。」と声をかけていただいたが、篠原には顔を見て頷いただけだった。専務は私たち二人を前の応接セットに座らせて、入社手続きの書類の記入方法を説明してくれた。その場で書類に記入をはじめて篠原より先に完成させた私は、篠原の完成を待った。篠原はの字は奇麗だが書くのが遅く、待っていると余計に時間が長く感じて先に席に戻ろうかと考え始めたていた時、「ボン まだですかいな?」と専務が篠原に声をかけた。ボンってボンボンのボンなのか。
そういえば面接の時に社長は篠原と名乗っていた。ということは社長の息子か、もしくは親戚。さっきからの篠原の解せない態度の訳が少し分かった気がした、彼は就職というよりも不本意な修行のような気分なのだろう。篠原に悪態をつかなくてよかった。
この同期の篠原が後に切磋琢磨する相棒であり命をつないでくれた恩人になろうとはその時は思いもしなかった。

 総務部から営業部に戻ると、駿河部長と一緒に開発室に挨拶に行くことになった。開発室には春まで待てないと言ってくれた社長がいらして今日も研究しているはずだ。誰かに期待感をもって待たれてるいということ、任されることがあるということは、もしかしたら人間が感じる数少ない幸せの一つかもしれないとその時に気が付いた。だから他からの誘いにも乗らずにこの会社に就職したのだろう。その誘いが傍から見たらどんなに好条件で将来性があったとしてもだ。三階の開発室に向かう階段をのぼりながら胸が躍った。開発室は社外秘が多いのだろう鍵がかかっていて、入っていくにはインターホンで社員を呼び出して内側から頑丈なドアを開けてもらわなければならない。駿河部長が営業部の新入社員を連れてきたことをインターホンに告げると、社長自らドアを開けてくれた。
「竹田君 よく来てくれた。 義彦もご苦労さん。」今度は竹田君と義彦、これもまた辛いだろうなと同乗の念が湧いた。
 社長はまず新入社員で開発室に配属になった二人を紹介してくれた。一人は国立の高専を卒業した中島君と府立の工業高校を卒業した荒木君。荒木君はまだ十代で可愛さが残っていた。そして、新入社員四人は開発室の中を社長の案内で見学させてもらった。技術のことはさっぱり分からないけれど、熱い気持ちは感じることができた。社長の説明に中島君が色々質問して盛り上がったので見学は一時間以上を費やし気が付けば駿河部長は姿を消していた。篠原は相変わらずやらされてる感満載で、それでも同期の手前か話を聞いていた。
 館内放送で正午を知らせるチャイムが流れて、開発室の社員たちが仕事の片づけを始めたので、開発室見学は終了となった。中島君は相当優秀なエンジニアの様で気後れしてしまった。
開発室を出て階段を下りていると、また館内放送でが流れた、
「四階の大会議室で新入社員の歓迎会を開催します。社員の方は全員ご参加ください。」ということなので、踵を返して四階まで上った。
 会議室は奇麗に掃除され、会社説明会の時とは見違える程の奇麗さには驚いた。テーブルにはお寿司やお料理とおつまみ類、飲み物はビールや日本酒、ジュースまでふんだんに用意されていた。本社と工場の社員全員が参加する新入社員歓迎会は、新入社員が早く企業に溶け込むことと共に社員の慰労も兼ねているのだろう。
まず乾杯と言うことで駿河部長が乾杯の音頭をとった。長々挨拶するのかなと思ったら、マイクを握ると「クラウン電工は新入社員を心から歓迎します。乾杯」で終わった。
 社員の皆さんが食事を始めて、私は中島君、荒木君に耳打ちして挨拶がてら皆さんにビールを注いで回った。篠原にも耳打ちしたのだが、溜息が返って来て会場の隅に行ってしまった。皆さん優しい人たちで食事を勧めてくれたり、ビールを返杯してくれて、いろんな話を聞かせてくれた。高校を出たばかりの荒木君がビールを勧められて断るのに苦労をしてたので、代わりに私が飲んであげた。
 歓迎会の半ばで、篠原社長が立ち上がり
「今年は新入社員が四人も入ってくれました。一人ひとり自己紹介をしてください。」ということで、開発部の二人そして私、篠原の順で、出身学校、名前、趣味か特技という簡単な自己紹介をした。社員はそれぞれに拍手をしてくれて、松竹映画の一シーンの中にいるような気持になった。
 自己紹介が終わると再び社長がマイクを取って
「実は、今年の新入社員には私から宿題を出しています。その宿題は、社員みんなで作ろうとしてる快適というもの。その快適の反対語はなんですか?というものでした。その答えを聞きたいとおもいますので、皆さんも聞いてください。」と新入社員の方を見て荒木君にマイクを渡すと会場は拍手で湧いた。
荒木君はひどく緊張した表情でマイクを握り、
「反対語辞典というのが本屋にあったので調べたら、『不快』とありました。だから私の答えは不快です。」その答えを聞くや否や、駿河部長が噴き出した。昨夜私と別れる時と同じ状況だ。駿河部長は笑いをこらえて、「いやいや、私も大学を出てこの会社にお世話になる時に社長から同じ宿題をもらいましてね。荒木君と同じように辞書で調べて『不快』って答えたら、社長もまだ若かったからゲンコで頭叩かれてアホかって怒鳴られたんですわ。時代が変わってもやることは皆同じやな思たら可笑しなってしもて、荒木君ごめんね。」と駿河部長の噴き出したことへの弁明に会場は笑いに包まれた。
 部長は気を良くしたのか解説を続けた、「例えば『痛い』の反対語が『痛くない』ではないのはわかりますよね。これは反対語ではなくて否定語なんですわ。そやから『快適』の反対は『不快』ではおかしいということです。『不快』は『快適』の否定語なんです。『便利』と『不便』も同じような関係の言葉ですね。因みに『痛い』の反対語は『痒い』なんですけどね。実はこれ社長に怒鳴られた時に教えてもろたんですわ。」会場では「なるほど」という様な声が漏れた。
 荒木君の顔は真っ赤になってしまったが、荒木君につられて緊張ぎみだった会場の雰囲気は少し和んだ。社長は荒木君によく頑張ってくれたみたいだけど荒木君の考えを聞きたかったと優しく諭した。そして次ということで中島君にマイクが回ったけど、やはり辞書で「不快」を見つけただけだった。駿河部長はやはり大笑いをして「社長が歳取って気性が丸くなっててよかったわ」と付け足した。中島君は、「すみません」を繰り返してやはり真っ赤になってしまった。
 つぎに社長がマイクを取って、「次は竹田君の答えを聞きたいと思うのやけど、その前に竹田君は自己紹介の通り美術大学を卒業してます。実はその美術大学から卒業作品展の案内を頂いて駿河部長と見に行ってきました。竹田君の作品は最高賞を受賞していました。これからうちの会社が手つかずにしてる宣伝を任せようと思ってます。どうか、皆さん力になってあげてください。」と社長の言葉に社員全員からの大きな拍手が巻き起こったが私はそれどころではなかった。「では美大出の感性あふれる宿題の答えを聞いてみましょか。」と社長からマイクを渡された。駿河部長が遠くから半笑いで見てる。
 どう答えようかともじもじしていると、篠原が私だけに聞こえる声で「反対語は無いって堂々と答えたら。」と言ってくれた。藁をもつかみたい心境の私は、それでも落ち着いたふりをして、「『快適』という言葉に反対語はありません。」と応えた。
「反対語が無いとはどういうことかな?」と社長は興味深そうに訊いてくる。「はい、反対は無い、つまいり『快適』は一方方向やということです。」と思ってもない言葉が口からするすると出てきて私自身が驚いた。「なるほど・・・よくわかるよ、快適は不可逆ということやね。私も似た考えやなあ」と社長が微笑みながらなんども頷いてくれた。よかった多分正解や、私は見えざる神に助けられた。
 「ほな、篠原君の答えも聞いてみよかな。」と社長は篠原に向き直ったので、私はマイクを篠原に渡した。今度は義彦じゃなくて篠原君か。社員全員が篠原は社長の息子やということは知っているようで、何となくざわついたが拍手は無かった。篠原が用意した回答を私が答えてしまったので申し訳ない気持ちでいっぱいで篠原を見つめた。やはりここでも篠原はやる気のない素振りマイクを私から受け取り話し始めた、
「『快適』の反対語ですが、この会社に就職した私の答えは『過去』です。」
「『過去』とはどういうことですか?」と社長の追及に篠原は
「先ほどの竹田君の答えの通り、快適には反対語がありません。何故なら進化し続ける一方通行のものだからです。例えば私が子供の頃は氷を使った冷蔵庫でしたが、今は電気冷蔵庫が当たり前です。子供の頃の氷冷蔵庫がもたらした住まいの快適は、今では快適と言えません。だから電気製品がもたらす『快適』を考えると反対語は『過去』ということになります。先ほど駿河部長が例に出された『便利』という言葉も電気製品がもたらすものと言う範疇ではやはり反対語は『過去』になると思います。しかしここで忘れてはならないことは電気製品がもたらす快適についてのみだということです。例えば暮らし方の変化を考えると故郷を離れて都会の団地暮らしで核家族と良くニュースで取り上げられています。この場合を考えますと、今の方が便利やけど昔の方が快適ということが言えるかもしれません。となると『快適』反対語は『現在』、『便利』の反対語は『過去』という風になります。電器業界の人は電器からしか社会を見ませんが、社会にはいろんな立場があってそれぞれの状況は違うということが分かっていないといけないと思います。」と理路整然と応えた篠原を私は半口開いて眺めていた。会場の社員は唸り声をあげ大きな拍手で篠原の考えの深さを讃えた。私はふてくされの篠原がここまで深く考察していることに驚き、この会社に入社する意味と自分の立場を十分に考えたうえでこの場にいる篠原の姿勢に尊敬の念を抱いた。それに比べて私は見えざる神の手がうまく危機回避させてくれたとほっとしている自分の不甲斐なさに消えてしまいたい気持ちだった。篠原の答えに社長も大変満足した様で、宿題の答え合わせは終了した。

 私がクラウン電工に入社した年は、二年前の万博に続き札幌で冬季オリンピックが開催されるという明るい年だったが、会社の状況は社会ほど明るいものではなかった。昭和四十年に業界団体で「ルームクーラー」から「ルームエアコン」へと名称を変更することが決定されて家電メーカー各社がこぞって採用し始めていた。しかしクラウン電工はまだルームクーラーという名前でモノづくりをし、営業はルートセールスに励んでいた。名前を変えなかったのは駿河営業部長の勘だった。駿河部長の勘は敏腕営業ならではのもので、クラウン電工のお客さんは新製品を喜ぶ消費者ではなく、身近な下町の消費者であるという営業の現場感覚から生まれたものだった。当時大卒の平均初任給が四万八千円の時代に十四万八千円もするエアコンを買える人は限られている。現に全世帯普及率は九%しかない。はなから買うのを諦めている人もたくさんいるはずである。故にクラウン電工は価格の限界に挑戦して勝負する。主流になりつつある室内機と室外機のセパレートタイプではなく、一体型とタイプは古いが安くて安心な商品を提供する。この思想を反映して従来名称のルームクーラーで通すというのが駿河部長の説だった。
大阪商人らしい発想だと感心した。そしてこの勘を篠原は「我が社のポジショニングとコンセプト」と呼び、広告理論にして私に説明してくれた。
 このポジショニングとコンセプトに基づいて私は宣伝助成物を作ることになった。勿論最初は入社面接の時に作った情報と対象の表組を作ることから始めた。この表に既存の製品それぞれの宣伝助成物をはめ込んでいく。
やはり表はスカスカになった。足りないものが多すぎる。ではこの表の空白に何をどの順番で作るのか、篠原に相談してみるとまずは電器屋さんを訪問して聞いてみようということになり、駿河部長にお願いして訪問を許してくれる心安い電気店を紹介してもらった。
 篠原と二人で訪問するつもりであったが、駿河部長も同行するというので三人で大規模、中規模、小規模の電器店を訪問した。小規模電器店のほとんどが総合電器メーカーの販売チェーン店で、それらのメーカーの商品が高価でお客さんが安いものを求めたときクラウン電工のような価格で勝負の専門メーカーに注文してくれるということだった。故に小規模店はお客さんに商品を説明する時に使える分かりやすいカタログが欲しいということだった。中規模電器店も小規模と同じような感想だったが、店員が数名居るので総合電器メーカーがやってるような勉強会を開いて欲しいとのことだった。そして大規模電器店では顧客は来店して商品をその目で比較して購入するのでほとんどの製品の製品見本をずらりと並べている。高い商品を買いに来た顧客が、同じ性能で安いものがあるとわかるとそちらを選ぶので比較できるような商品見本を全支店に配ってほしい。商品の周りには機能が比較できるようにカタログとそれを差しておくスタンドを提供して欲しいこと。旧型商品と新型商品を比べられる新製品レポートも必要だが商品チラシと兼用でよい。勿論たくさんいる店員がいるので商品の勉強会を開いて欲しいとのことだった。また大型店では値引きが当たり前で顧客はその積りで来店するので、値引き幅も含んだ価格表示にしてほしいとも付け加えた。
 大変参考になったので大規模電器店の社員さんに深々と礼をして去ろうとすると「それから。」と教えてくれたのは、安売りで有名な大手スーパーマーケットさんが電気製品の販売もはじめているので、アプローチしてみたらと提案してもらった。確かにそこは価格の主導権を握って商品を販売することで有名で、故にそのスーパーマーケットから撤退した総合家電メーカーもあるぐらいだ。そのことは駿河部長も承知していたようで、帰り道に「あのスーパーマーケットへのコネクションは無いか。」と私に訊いてきたので、「ありません。」と答えたが、部長が私に訊いてくれるのがうれしかった。篠原はスーパーマーケットのことを熱心に手帳にメモしていた。なにか響くものがあったらしい。
 電器店からの聞き取りを基に宣伝助成物の制作計画を駿河部長と篠原と私で会議室に籠って、侃侃諤諤の議論を繰り広げながら作り上げて行った。価格の限界に挑戦するクラウン電工の商品は、消費者に直接指名される商品ではない。売り場で比較して選ばれる商品であるから、宣伝助成物とその掲載情報は流通を通して消費者へ届くことだけを考えるべきである。今はやりの総合電器メーカーのようなテレビやラジオや新聞・雑誌で派手に広告を打って新しい物好きを惹きつけるのは意味がなく、むしろ総合電器メーカーの商品に惹かれて寄ってくる消費者に商品情報を提供して選択していただくという結論に達した。
 この結論が出るまでに丸二日三人で、聞き取りの時にもらってきた総合電器メーカーのカタログや電器店向けの商品レポートなどを会議机に並べて議論するうちに駿河部長の相手思いの人柄や、しらけているようで実は思慮深く情熱あふれる篠原の性格に触れてチームで仕事をする面白みを感じ始めていた。
 具体的に制作する宣伝助成物は、第一に電器店さんが要望されたカタログの形で企業思想や商品にかける思い、商品自体の性能などの情報、実際に使われた人の感想やレポートが掲載されていて販売しているルームクーラーを全部掲載している総合カタログ。二番目に今年の新商品だけのカタログと同じ情報を載せたチラシ形式の新製品レポート。これら二点は流通と消費者向けとして分り易さを前面に出したデザインにする。三番目は売り場の人が直接お客様と商談される際に使用できる商談用の商品解説書で、これは勉強会の教科書にもなるもの。以上三点を今年の梅雨明けまでに完成させて営業員全員でまずは関西圏の電器店に直接もしくは郵送で配布する。という作戦が完成した。
 翌日からカタログ制作を開始することになった。ここからは私中心の作業になるのだか、デザインするための器具が全く揃っていないので、心斎橋の画材屋に買いに行くところからはじまった。総務部の女性に物品の購入方法を聞いたら稟議書が必要ということだったが、稟議書など作ったこともなく時間がないので篠原に相談すると、社長に直談判してくれて社長に買ってもらう形にして解決した。社長も一緒に画材屋に行くことになり、画材店は初めてだった様で楽しそうにあれこれ見ていたが、支払いの段であまりに高いので不機嫌になってしまった。必要なのだからしょうがないと思ってくださいとお願いした。
 会社に戻ってデザイン用具を広げて制作の場づくりを終えて、次の段取り入るべく今までの商品チラシを見ていて思いあたったのは新しい告文案の制作だった。今までのチラシのように何処かから拾ってきたような文章では、消費者への誠意に欠ける。気が付けば終業時間を過ぎていたので、帰ってしまう前にと今度は駿河部長に相談した。これが失敗だった、今までのチラシのコピーは実は駿河部長の文案だったのだ。
「やさしさに欠けるようならもう一回考えてみよか。主力商品は四点やね、一週間で考えるわ。」と言い出した。私はプロのコピーライターに外注することの許可をもらおうと思って言い出したのだが、部長にやる気になられてしまい困ってしまった。ましてや一週間も待っていられない。どうしたものかと困っているとまた篠原に救われた。篠原はもしかして私を救うために現れた見えざる神の化身ではないのか。営業先から帰ってきた篠原は、部長席の前でどう言い出したらら良いのか困っている私を見かねて「部長はお忙しそうですし、私がかわりに文案を考えますわ。私は文学部出身ですから文章作りはお任せください。」と言ってくれた。
やる気満々だった部長は不満そうな表情になって何か言いかけたが、予定を思い出したのか腕時計を確認して、「そうか、ほな頼むわ・・篠原は小さい時から作文上手やったしな。ほな今日は先に失礼します。」と言ってそそくさと会社を出て行ってしまった。おそらく夜は大切なお客さんか業界の人との交流会があるのだろう。
「助けてくれてありがとう、営業から帰って疲れてるのに悪かったね」と篠原に頭を下げると、篠原は照れ笑いして「ほんとに僕にやらせてくれへんか。外のコピーライターに発注するにしても、こちらの意向や情報を教育して、納得してもらって書いてもらうのにはやっぱり一週間はかかるよ。それに、大学時代にコピーライターのアルバイトをしていたから要領は分かってる。デザイナーとのやり取りもバッチリできるよ。それに部長公認やから営業の仕事より優先できるし」と笑顔で言ってくれた。やはり篠原は見えざる神の化身にちがいない。
「助かった。今日の所は引き上げて、明日から本格的にかかることにするよ。明日からよそしくね。」と言って制作活動第一日は終わった。

 帰りの地下鉄の中でもカタログ制作の段取りを考えていた、次の手配は優秀な写植屋さんと版下屋さん、印刷会社さんを探さないといけない。
明日篠原が広告文案を考えている間に探しに行くことにするかと思ったが、電器店を探すように簡単に見つかる訳が無いことは容易に想像がついた。電車の中吊り広告を何気なく見上げると私が入社試験を受けた総合電機メーカーのカラーテレビの中吊り広告が目に入った。大学の友人が大阪のこの総合電機メーカーに入社したことを思い出した。何か情報を持っているはずだ。連絡先を知らないので電話したうえで会社に乗り込んでみようと心に誓った。「今日はくたくたでよく眠れそうや。」と地下鉄の中で独り言ちていた。
 翌日出社すると一番に友人が就職した総合電機メーカーの電話番号を電話帳で調べて代表電話に電話してみた。クラウン電工という名前をだすと電話に出た相手が身構えては困ると思い大学名と名前を名乗った。最初に電話に出た交換の人は、大学名を聞いて宣伝部につないでくれた。次に電話に出た人も私を大学生の先輩訪問だと勘違いした様で、私の友人は新入社員研修中で会社の研修センターに行っていてまだ配属先は決まっていないこと。二か月ほど会社には出社しないこと教えてくれた。電話の要件を聞かれたので、私は大学生ではなく、電話を掛けた友人と同じく大阪の会社のデザイン部に就職したのだけれど、会社が優秀な写植屋さんと版下屋さんと印刷会社を探していて友人に相談するために連絡をしたことを伝えてみた。すると、私でよければ力になると言ってくれた。思いきってなぜ親切にしてくれるのかと訊いてみると電話口の人は大学の先輩だった。また見えざる神の手なのか、必然の偶然。
 善は急げと思い「会社に急がされているので今からお邪魔してもいいですか?」とダメもとで言ってみたら。「随分急いでいるんだね、じゃあ今日の午後一番に会社まで来てください。」と快く了承してくれた。
会社の場所は知っているのかと訊かれたので、「採用面接を受けたので知っています。」と応えかけて飲み込んだ。先輩にそんなこと言えるわけがない、だいたい分かると伝えると、最寄りの駅と詳しい住所と直通の電話番号を教えてくれた。
 先に広告文案制作を始めてもらおうと思って篠原に事情を話したら、一緒に行くと言い出した。大企業の宣伝部がどんな所で、これからうちの会社の宣伝部はどうなって行くべきなのかについて参考にしたいときっぱりと言われた。見えざる神の化身にそうきっぱりした態度を取られると抗うことはできない。会社の同期でコピーライターということで同行することにした。大阪の外れにあるその総合電機メーカーは品質の高い広告作りで有名で様々なの広告賞を受賞していた。
 約束の時間に遅れないように早めに会社を出て、各駅停車しか止まらない駅で降りて国道を渡ると広大な敷地が現れる。ここに来るのはこれで二回目だ。宣伝部の場所は本社棟といわれる敷地の随分奥の建物の四階にある。四階全フロアが宣伝部で百人以上の人が在籍し、様々な業者さんが出入りしている。主力商品だけでも数百点を超える大企業の広告物の全てをここで制作、管理している。一緒に来た篠原は落ち着いてはいるが、企業の宣伝部の仕事場の情報を吸収しようと目を見張り耳を澄ませているようだった。篠原の明晰な頭脳はこういう観察力から生まれているのだろうと思った。

 宣伝部にはドアはなく、部屋の入口のカウンターで最寄りの席の人に今朝電話で話した先輩に取り次いでもらうようにお願いした。その場で待っていると数分で先輩は現れた。「ここはまずいから」と一階の喫茶コーナーに案内された。広告は企業の秘密情報なのだろう、篠原も肝に銘じている様だった。テーブルに着くと先輩が、「大学に電話して竹田君のこと聞いてみたよ。今年の卒業展の最高賞を取ったんだってね、うちの人事も見る目無いね。」バレていた、おしゃべりな大学だ。
「で、クラウン電工さんは宣伝部でもつくるのかな?」
「そこまでご存じなんですか」と苦笑いをしながら答えると先輩は、
「弊社の情報が漏れる可能性があるから同業他社さんに業者なんか紹介しないよ、と言いたいところだけど。後輩に頼られて協力しないといわけにはいかないよね、それに正直言って君の会社は弊社のライバル企業ではない。だから要望通り信頼できる優秀な業者さんを紹介しましょう。」
ありがとうございますと座ったまま頭を下げて、ちらっと篠原に目をやると顔は平静を保っているが拳を固く握りしめていた。
 「腕の良い印刷会社の弊社担当の部長さんに連絡しておきます、写植屋さんと版下屋さんは印刷会社に紹介してもらう方が印刷会社にとっても御社にとっても効率的だと思うよ。写植と版下だけではなく、カメラマンやイラストレーターを仕切ってくれるデザイン事務所も紹介してもらったらいいよ。会社の中で全部こなそうとするのは非効率だし実はコストも高くなる、良い協力会社と共存共栄の道を探すのが良い仕事のコツです。企業の宣伝部はディレクションに徹するのがいいんじゃないかな。会社に戻ったら連絡してみて。」と言って、社名と担当者名、電話番号の書かれたメモを渡してくれた。素性がバレてることが分かったので、順番が逆になって申し訳ないと詫びて名刺交換をした。先輩の名刺の肩書には副参事とあったが、どのくらい偉いのかはよくわからなかった。
 その後今の大学の状況を訊かれたので、できるだけ丁寧に話して丁重にお礼を言って席を立った。先に席を立った篠原がエントランスに掲示されてある大判のポスターの前で足を止めた。緊張感から解放されて俯いて歩き出した私は篠原の背中にぶつかってしまった。
急に立ち止まったことを咎めようとすると篠原はポスターを指さして、「戻れなくするつもりや」と呟いた。そのポスターには未来の家庭をイメージした写真の上に「快適創出」と大きくな文字で事業理念が載せられていた。
帰りの電車で私は篠原に、「あの会社が創出する快適ってポスターの写真みたいにエアコンの効いた部屋で、でっかいテレビでハリウッド映画を見るとかそういうやつかな」と話しかけてみた。篠原も同じことを考えていた様で、「いやもっと驚くような、例えばロボットが掃除したり、洗い物したり、お風呂やトイレでテレビが見れるとか、そういうのやないかな」と応えてくれた。僕は、「大阪万博で見た世界が総合電器メーカーの力で家に来るということか」と呟いてニヤニヤした。

 先輩訪問は昼一番の約束だったので篠原と梅田地下街で遅い昼食を済ませて、会社に戻ると夕方近い時間になっていた。席に着くと早速紹介してもらった印刷会社へ訪問の約束をするために電話をかけた。こちらの会社も交換手が出て、紹介者と紹介してもらった部長さんの名前を告げて取次ぎをお願いすると、すぐにお目当ての部長さんが電話口に出てくれた。
「はい、日本精密印刷の川瀬です。お話は伺ってます。」と親切そうな口調で応対してもらい、翌日の午後三時に淀屋橋にある本社事務所を訪問することになった。私としては午前中に訪問したかったが、相手が時間を指定してきたので従うほかなかった。
営業から戻った駿河部長に「部長、日本精密印刷っていう会社知ってますか?」と聞いてみると、「日本でも五本の指に入るぐらい大きい会社やで。なんでそんなこと訊くんや」と返されたので、今日の出来事をかいつまんで説明した。部長は納得したのか、してないのかわからない表情で頷き、「今まで取引してた印刷屋さんもたまには使こたってな。あそこは内のクーラーを事務所に入れてくれてるからね。」と言って溜まった伝票に判を押し始めた。おそらく暴走するなと言いたいのだろうと察したので「はい。承知しました。」と返した。

 翌日の日本精密印刷への訪問も、当然のことながら篠原が同行することになった。梅田から淀屋橋までは一駅の距離なので歩いていくことにした。奇麗なビルが建ち並ぶ御堂筋を南へむかって歩き、地下鉄淀屋橋駅の出口から歩いて一分ほどのところに、日本精密印刷ビルが聳え立っていた。本社事務所はこのビルの一階から三階までで受付は二階、四階以上はテナント企業であることを入口の銀の案内板が示していた。想像以上に大きい会社で私は気後れしてしまったが、篠原は平気だった様だ。篠原に促されて受付に進み川瀬部長を訪問したことを告げると、女性社員が応対に現れて広い会議室に案内された。程なく背広姿の男性二名とカジュアルな服装の男性一名と女性一名が会議室に入ってきた。早速名刺交換ということになり、想像どおり背広姿で年配の男性が、川瀬部長でもう一人の若い人がうちの会社を担当することになる平田さんという社員さんだった。カジュアルな服装の人たちは、一人がコアと言う名前のデザイン事務所のディレクターの木村さんで、もう一人は同じ事務所のコピーライターで釜田さんという女性だった。
 会議机に着くと川瀬部長から本来は訪問すべきところを来社して貰ったことへの謝辞があり、ここにいる四名がクラウン電工の宣伝助成物の制作チームと紹介された。企業の宣伝部はディレクションをする立場で、実際の制作は外注先が行うと言うシステムが今や広告業界の標準的なスタイルであることを初めて知った。しかしうちの宣伝助成物はこれだけの人にかかわってもらうほどたくさんは無い。
 今のところ商品の総合カタログと新製品レポート、流通向けの商品解説書それに商品に同梱する取扱い説明書。現在の主力商品点数が四点。どのように相談しようかと考え込んでいると篠原が切り出した、
「弊社はまだまだ弱小で、お願いする宣伝助成物も数点しかありません。御社に大きな収益をもたらすほどのお仕事をお願いすることはできません。ましてや、担当者はこの竹田と私だけで、二人とも大学を卒業して先日入社したばかりの新入社員です。もちろん社内に宣伝部門を新設しようとしていることからお分かりのように大きな飛躍を期しておりますが、こんな私たちとお付き合いしていただけるのでしょうか。」一気に話したが珍しく最後は声が震えていた。
すると川瀬部長が微笑みを浮かべながら、「昨日お電話を頂いた後に、御社の状況は調査させていただきました。なかなか手堅くお商売をされていますね。販売戦略は取扱商品の市場状況と企業のポジションを十分分析して反映させた素晴らしいものだと思います。こちらこそ御社の成長をお手伝いさせてください。」と優しく強く日本精密印刷の意向を話していただいた。
訪問時間を午後三時に指定したのは調査結果を分析するためだったのかと納得した。私と篠原は椅子から立ち上がり深々と礼をし、受け入れてくださる感謝を述べた。
 感謝の言葉の後は、実際の制作の話へ移ったので、川瀬部長は席を外され、部下の平田さんとデザイン事務所の木村さん、釜田さんとの会議になった。私にとって人生初の宣伝会議だと思うと、ニヤニヤしてしまいそうになって太腿をつねった。そんな私をみて篠原は笑いをこらえるのに必至のようだった。先ず私から広告情報の性質と対象別分析と宣伝助成物の現状を説明した。この分析方法はデザイン事務所の二人は初めてだったようで熱心にメモしてくれていた。次に、電器店での調査結果から私たちが導き出した宣伝助成物の種類と内容を示して、印刷会社とデザイン事務所の意見を聞いた。カタログ類については納得してもらったが、電器店向け店貼り新商品ポスターの制作を提案してもらった。ポスターについては我々の考えが及んでなかったので受け入れることにした。次に表現のテイストへ話が進んだ。表現のコンセプトを木村さんが訊いて来たので、私は迷わず「電気製品が作る暮らしの快適」を表現したいと話すと篠原は舌打ちした。木村さんと釜田さんか篠原に目を向けたので、篠原は社長の宿題のエピソードを話した後、「後戻りできない不可逆の世界が快適というコトなのであまり良い印象を持っていないんです。」と心情を吐露した。コピーライターの釜田さんがとても哲学的ですねと感心した後、「後戻りできないのではなく定番化、つまりいつも傍にあるという考え方にすれば印象が変わるのではないでしょうか」と意見を挟んだ。私はこのような言葉による観念的な議論が不得意でいつも篠原に負かされてしまうが、強い味方ができた思いで「釜田さんの『快適』の反対語は『定番』ですね。」と私が返すと穏やかな笑みを投げてくれた。この意見に篠原も納得した様で表現コンセプトは「電気製品が作る暮らしの快適」でテイストは「いつも傍に」となった。
 最後に制作スケジュールと制作部数と費用の話になり、無理を承知で梅雨が終わるまでに関西の全電器店に配りたいと伝えると、わかりましたとあっさり言われて拍子抜けしてしまった。平田さんにそんなにきつくないスケジュールなのかと訊くと、「竹田さんの先輩の会社は、この半分のスケジュールで御社の十倍の部数を要望されますよ。」と可笑しそうに笑いながら応えてくれた。制作費用の概算見積を翌日までに提出いただく様にお願いして長い宣伝会議が終わった。

 帰り仕度をはじめる私たちに平田さんが少しここで待っていてくださいと言って会議室を出て行った。平田さんが再び帰ってきた時には川瀬部長と一緒で、川瀬部長に再度来社の謝辞を頂いた。
そして「この後時間が許せば、懇親会などいかがでしょう。」と誘われた。既に終業時間は過ぎていて、これから会社に帰っても報告すべき部長は会社を出ているに違いないと思い、ありがたくお誘いをお受けした。私は篠原に懐が寂しいことを小声で伝えると、篠原は心配しないで大丈夫と小声で答えてウインクをした。もしやこれから始まるのは噂に聞く接待なのか。とすると生まれて初めての接待だ。今日は生まれて初めてが重なっている。まだ入社して一月ほどしか経っておらず、大学の同期は新入社員研修中だというのに、私のこの幸運はやはり日々の努力と見えざる神によるものなのかと浮足立った。しかしこの接待がわが身を滅ぼす禁断の果実であることをその時の私は知る由も無かった。

 デザイン事務所の二人は後で合流とするということで、川瀬部長と平田さん、篠原と私はタクシーでネオン輝く夜の街へ向かった。ここでも篠原は落ち着いている、都会の大学生はいろんな体験が出来る様だと田舎出身を悔しく思った。四ツ橋筋を北へ向かい堂島川を越えたところでタクシーを降りて先導する平田さんについて行く。平田さんに「北新地は初めてですか?」と訊かれ「大阪へ来てまだ一月ほどしか経ってないんです。」と伝えるとそうでしたねと納得されてしまった。こ「こが大阪が舞台のドラマに必ず出てくる北新地か。」と思うと胸が躍った。到着したのは新入社員には不釣り合いなふぐ料理店だった。こういう場合の作法は学校でも両親にも教えてもらっていないし、ふぐを食べたこともない。仕方なく篠原と全く同じ動きをすることにした。御曹司の篠原はおそらくこういう場での作法を教えてもらったことがあるのだろう、もしかしたら子供の頃からしょっちゅうふぐを食べているのかもしれない。篠原は卒無く食事を進めていく。篠原ばかり見て固くなっている私を見かねて、平田さんが今日開陳した私の広告理論が素晴らしかったと川瀬部長に聞こえるように褒めてくれた。川瀬部長が私のグラスにビールを注ぎながら是非聞かせて欲しいと乞われたので仕方なく説明していると篠原の動作を見失ってしまって、そこから先の食事は諦めてビールばかりを飲むことにした。鍋が出てきたのでこれなら大丈夫と食事に復帰したが、鍋が出て来てからもデザイン事務所の人たちは来なかった。大人の遠慮というか、そういうことになっているのだろうと思った。
 食事もビールも沢山いただいて緊張も解れてきた頃、叔母に食事は要らないと電話するのを忘れていることに気が付いた。ここへ来る途中に洋菓子屋さんがたくさんあったので叔母にお土産でも買って帰って謝ろうかと考えていると、川瀬部長がここはこの辺にして次に行きましょうかと二次会に誘ってもらった。
 今考えていた事情を話してそろそろ帰らないといけないと打ち明けると、川瀬部長は大いに笑って、この店から叔母に電話すればよいと言ってもらい、お土産は美味しいお菓子を紹介しましょうと言ってくれた。後で知ったことだが大人の世界では食事の後に次の店に行くことを二次会とは言わないらしい。
 川瀬部長に連れて行っていただいたお店は、ラウンジという種類に属する美しいホステスさんが接客してくれるお店で、川瀬部長が贔屓にしている店だった。固めのボックス席に着くと高級ウイスキーが出され水割りの用意が進んでいく。そのうちにそれぞれの隣にホステスさんが座り接客を始める。平田さんに「こういうお店は高いんでしょ?」と小声で訊くと「部長の贔屓のお店だから気にしないで大丈夫。」と言って貰ったので「ありがとうございます。」と平田さんに礼を言ってしまった。
 川瀬部長は知的な話題が豊富で楽しい話をこちらの負担にならないように上手に話してくれる。篠原はその話題を膨らませて返し笑いあっている。駿河部長と飲みに行った時とはずいぶん違うなと思った。私の横に座ってくれたホステスさんは私と同じぐらいの歳のとても可愛いい人だった。もらった小ぶりの角の丸い名刺には、ラウンジ高瀬 堀井真理とあった。お昼は歯医者さんでアルバイトをしているとのことだった。真理さんとの話が始まると川瀬部長のお話は上の空で、皆が笑うと合わせて笑った。
 少し酔ったなと感じ始めたので、平田さんに先に失礼しても良いかと尋ねると、雰囲気をさっした川瀬部長が、「では今日はこの辺で」とお開きを告げ、私と篠原は深く頭を下げてお礼を言った。川瀬部長と平田さんはまだ残って飲むということなので、私と篠原はホステスさんにエレベーターで地上階まで送ってもらった。別れ際に真理さんに、川瀬部長さんからと言って、洋菓子の入った紙袋を渡された。最後までさりげなく気を使う鋭い人だと感心した。鋭いところは駿河部長と同じだった。別れ際に真理さんに「また会えるかな」と言われて「給料が出たら。」と応えたが大卒の平均初任給に届かないうちの会社の給料では来れるはずもなかった。こういう席でも篠原は冷静で女性には興味がないといった態度を通していた。恋人か親が決めた人でも居るのだろうかと勘ぐりたくなった。

第3話 https://note.com/mucci3104/n/n3742925c3d7a

#創作大賞2023

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