HIKARU

そういう日もある。そういう人もいる。

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最近の記事

【ディスコグラフィ】#1 ゲーム編

 先月23歳になりました.この歳になると学生と言えど流石に忙しくなってきて,ゲームにせよ,音楽にせよ,既に好きなものばかりに触れてしまい,それ以外のジャンルに手を伸ばす冒険心みたいなものが薄れてきます.  ではその「好きなもの」は一体どこから来たんでしょうか?ふと気になったので,自分の人生に影響を与えたと感じる作品・人物を趣味ごとにまとめてみることにしました.同世代の方に楽しんでいただければ幸いです.  第1弾はゲームです.理由は,そもそも上記に思い至ったのが「ゼルダの伝説

    • 僕と世界と兄について

      世界の果てには何があるのだろう? 歩き続けて辿り着いたその場所に何もないのだとすれば,僕たちはまだ先に進めるはずだ. 進み続けたその先で壁にぶつかったとすれば,その壁の厚さだけ世界の続きがあるはずだ. 行く手を阻むものはなく,かと言って前に進むこともできないのだとすれば,そこにあるものはきっと「死」だ. この瞬間,世界は僕の中に在る. だって,僕の「死」は僕だけのものだから. 世界について考えることは,自分を見つめ直すことだ. 物理や化学をはじめとした自然科学も,

      • いつだって,探している. 確かに存在したあの日を,探している. 「思い出」というのは,心に空いた穴の名前だ. 出来事というのはその場・その瞬間にしか無くて, そこにいた私たちの心には,それが在ったという事実だけが刻まれていく. そうして空いた穴を,私たちは必死に何かで埋めようとする. その甘美な喪失に,人は「思い出」と名をつける. しかし,その穴を他のどんな出来事で埋めようとも, 壁の亀裂をどんなパテで修復しようとその傷跡は完全には消えないように, 穴のかたちは必ず残

        • 金星と木星、あるいは金木犀について

          米津玄師 2022 TOUR / 変身 に参加してきた。 それはそれは、素晴らしい夜だった。 前回参加したのは2019年のツアー、「脊椎がオパールになる頃」。 あの頃から世界は大きく変わり、 僕という人間もまた、別の人間へと成ってしまったのだろう。 3年半という時間を経て再び辿り着いたあのライブが、 変わらずどれだけ美しい夜であったか。 1週間が経っても未だ興奮冷めやらぬ今のうちに記録しておこうと思う。 ーー 老若男女。 米津のファン層を表すのにこれ程うってつけの言葉

        【ディスコグラフィ】#1 ゲーム編

        マガジン

        • ディスコグラフィ
          1本

        記事

          blue

          群青、紺碧、み空色。 美しき日本の伝統色からどれを取っても、或いはそのどれを混ぜ合わせても言い表せないくらいのブルーな気持ちで目覚めた朝は、いつも決まって死にたくなるほど空が青い。 既に日は高く、夕方からは家庭教師に赴く僕に残された時間はほとんど無い。しかし、そのなけなしの時間でやる事はさらに無い。 寝間着からもはやどちらが寝間着か分からない部屋着に着替え、少し濡らした肉まんにラップをかけて電子レンジに突っ込む。顔を洗い、3週間目に突入したような気もする2weekコンタクト

          縋るということ

          もうすぐ21歳になります。 ハタチの僕はハタチらしい一年を過ごせたでしょうか。 勉学に励めたでしょうか。 ひとりの時間を愛せたでしょうか。 心の底から笑えたでしょうか。 大切な人たちを大切にできたでしょうか。 感謝は伝えられたでしょうか。 人にやさしくできたでしょうか。 20歳という一年は、ウイルス禍にもかかわらず 出会いと別れに満ちた年でした。 大学後期課程の学部が決まったり、 サークルに後輩ができたり、 ご無沙汰していた小中高同期と出会い直したりしました。 恋人

          縋るということ

          肴になるほど青い春がないということ

          最近、ズーカラデルというバンドをよく聴きます。 周囲の人と音楽の話題になる度に勧めているのですが、 恋人も、親友も、家族も、みんな口をそろえて 「嫌いじゃないんだけど…」 みたいな返事をします。 一見まずまずの評価のように聞こえますが、 クラシックの作曲家に親を殺されでもしない限り 嫌いな音楽を持つ人というのは存在しないような気がするので、 多分僕の周りでのズーカラデルの評価は相当低いです。 YouTubeにアップされていた音楽レビュー動画では 「アジカン世代が腐

          肴になるほど青い春がないということ

          優しくあるということ

           先日、愛する後輩からある相談を受けた。 彼は何を「勉強」したのだろうか。 もしそれが優しさであるとするなら、僕は嘘をついたことになる。 名前は置いておいて、全て僕が実際に言われた台詞である。 もしこれらが全て本心ならば、僕は騙したことになる。  たまに、目の前の相手に対して、今ここで「つまんねえよ、帰れ」と言ったらどうなるだろうなどと狂人じみたことを考えてしまう瞬間がある。そして、実際に発したい衝動に駆られることがある。 その衝動は、相手を選ばずに襲ってくる。どんな

          優しくあるということ

          米津玄師を聴くということ

          そもそも音楽っていうのは画面のなかから流れてくるもので、部屋の隅っこでひとりで見るものっていう、そういうイメージ (ROCKIN'ON JAPAN 2019年7月号)  全くもってそうだ。僕にとっての音楽は。  机と椅子には手つかずの教材が積まれ、従って座る場所と言えばベッドの上のほかなく、自然と重力に身を任せて体勢を変える。僕が米津玄師の音楽と出会ったのは、そんな「部屋の隅っこ」だった。  初めて聞いた楽曲は2015年9月リリース『アンビリーバーズ』。ニコニコ動画のサ

          米津玄師を聴くということ